ただ違うだけ
人にはそれぞれその人特有のモノの見方がある。
つまり、一人一人が自分専用のメガネをつけてこの世界をみているようなもので、目に映る事象は同じでも、それをどう認識し、そこにどんな感情が湧くのかは千差万別。
そんなことは少しでも心のことを学んだ人なら、誰でも知っている。
知っているけど、今日もまたそこここで、
「あの人にこう言われたけど、どういう意味???」とか
「あんな風に言うなんてひどい」とか
日々起こるあれこれを、自分のメガネから見えた景色で判断し、嬉しくなったり悲しくなったり。
そしてそれを分かち合うことなく、胸にしまいこんだりして。
そんな風にいう私も、先日、ほんとに違うんだ!と目から鱗な体験をした。
離れて暮らすオットとは、週末にアプリで顔を見ながら話すことが多い。
先週末の日曜日の夜。そういえば今週は話していなかったなと気づいて電話をかけた。
長い呼び出し音の後、ものすごーく暗い声で応答したオット。
私:「あれ?どしたの? 寝てた?」
まだ寝る時間には大分早かったけど、くぐもったその声にそう尋ねると、寝てたという(驚)
私:「中途半端な時間に昼寝だねー」
夫:「風邪…。」
私:「え? 熱は?」
夫:「38.9℃」
私:(驚驚驚!!!)「だ、大丈夫? なんで言わなかったの?」
急速にナースちかモードになった私に対し、オットは一言
夫:「寝てたから」
私:「………。」
あっけに取られながら、深〜く納得。二の句を継げず
私:「そうだよね…お邪魔しました。では。」
と電話を切った。
(寝てたから…)何度もオットのその言葉を反芻しながら、これまでの短くはない夫婦の歴史の中で、どちらかが不調時の、その時々の場面が脳裏に浮かんだ。
私が寝込んだ時、オットにそれを告げると、
「あら、寝るしかないね」
と言って基本後は放置され、そのことを私は(大丈夫?ってたまには顔見にきてくれたっていいのに…)といつもちょっと寂しく、不満に思っていた。
だからしんどいのにわざわざ呼びつけ、用事を頼んだりして
私:「まだしんどいの、ごめんね」とか言ったりして(笑)
夫:「風邪だから。寝るしかないよ」
とゆー不毛な会話を繰り返した。
他方オットが寝込んだ時は、甲斐甲斐しい妻よろしく、こまめに寝室を見に行っては、眠り続けるオットのおでこを触ってみたり、
「何かほしいものない?」ととびきり優しい声で聞いたりして、「ない」と言われると、うっすらだけどイラッとし
そんな状態が3日も続くと治りかけのオットに
「ビョーキになっちゃダメ!」と
八つ当たりしたりした(恥・笑)
その謎がなぜか今回、突然解けた!
不調になった時に、気にかけて心を寄せてほしい私と、ひたすらほおっておいてほしいオット。
気にかけてほしい私は、オットの不調時、そうしてあげることが相手を気遣い、心をかけることだと純粋
“相手のためを思って” 甲斐甲斐しく世話を焼いた。
ほおっておいてほしいオットは、忘れているわけでも、面倒なわけでもなく、”相手のためを思って” それが病人を煩わせない最善の方法と、だから私を放置したのかー!
気づいてしまえば当たり前のことなんだけど、目から鱗。
それもかなりでかい鱗が落ちたようで、(オット、鬱陶しかったろうなー)と心からあの頃のオットに同情している自分に何だか笑ってしまった。
どちらが正しいとか、間違っているとかではなく、ほんとうにただ違うだけ。
人は皆それぞれのモノの見方を持っていて、それに正誤はなく、ただ違うだけ。
このことにもっと意識的になれたら、そして自分とは違うその違いを 互いに認め合えたら、世界はもっと
優しくなると思う。