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絶望からの始まり

こんにちは。今日は少し暖かいです。
皆さん体調などいかがですか??

本日はタイトルにもある通り
絶望から始める事に決めたお話を
メッセージとして皆さんにお届け出来たらと思っています。

お時間がある時に最後まで読んで頂けたらと思います。


全てが終わったあの日から

私の全てが終わったと思ったのは母親から虐待が始まった4歳くらいからだと思いますが
あの時は虐待とは気づいていなかったので本当に全てが終わったのは15歳くらいからだったと思います。

あの時、この先の未来はないと思っていましたし
全てを終わりにしたいと思っていました。
何のために生きて何のためにこの先の人生を歩めばいいのか分からなかったのです。

この世の終わりだって思っていました。
崖の先には底の見えない景色が広がっていて
このまま落ちれば全てを終わらせられる、、、
そんな気がしていました。

私の後ろには母親を含め、多くの人が立っていて
このまま突き飛ばして欲しいとその人達に望んでいる自分が常にいました。

だけど、だれも最後のひと押しをしてくれる事はなく見ているだけ、、、
何で押してくれんの?って思いながらも私自身もそこから飛び降りる事を躊躇っていました。

何故なら、生きたいと思っていたからです。

諦めたくないという気持ち

このまま人生を終わりにすれば楽だと思っていました。
だけど、終わりにしたからといって何かが変わるとも思っていませんでした。

母親が優しくなる訳でもなく、私の周りの人が幸せになる訳でもない、、、
本当にこのままでいいのか??と思えば
いい訳ないって思っていました。

なら、私が今のこの状況から世界から勇気を出して出ていくしかない。
そう思った時、諦める事は確かに簡単だけど諦めた先に待っているものは決して綺麗な景色なんかではないと気づいたのです。
なら、どんな景色かを確かめてから諦めようかなと微かに思った時、今はまだ諦められないと感じて腹を括りました。

それこそが私の絶望からの本当の始まりでした。

この先待ち受けている景色とは

この先の人生に待ち受けている景色は私にしかみる事は出来ません。
綺麗なのか、綺麗じゃないのか?
例え、綺麗ではなくてもいいんです。
その景色をちゃんと自分の目で見る事に意味があると私は思いました。
誰かが見たから意味があるのではなく
自分の目で見る事に本当の意味があって、その時に全てからの本当の意味での救いが待っている気がしました。

この先に待っている景色が少しでも美しく綺麗なものにするためにも
私は絶望から始めることしか出来ないのです。

それが楽な事ではなくても私は諦めたくないのです。

どんなに希望が見えなくても
希望を信じて生きていきたい、、、

その気持ちと共に
私は誰かに寄り添いたい。

私は決して強くないですが
私なりの寄り添い方でメッセージの届け方でやっていきたいと思います。

これからも応援して頂けたら嬉しいですし
温かく見守って頂けたらと思っていますので
よろしくお願い致します。


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