『神聖なる世界』 第十章 聖なる空
Ⅰ.空の意識
note シリーズ「神聖なる世界」も次回で最終回となります。このシリーズの意図は、「はじめに」にも記しましたように、スピリチュアリズムと呼ばれる過去の霊訓や叡智の伝統から導かれた教訓を、もう一度参照していくことにありました。
そして、スピリチュアルの意味だけではなく、ボディ、ソウル、マインド、メンタル、あるいは「意識のボディ」としてエーテル体、アストラル体、メンタル体やコーザル体など、スピリットを取り巻く周辺の用語について大まかに触れてきました。
また、「この世」と「あの世」、そしてその境界をつなぐ「黄泉の国」の存在を通して、私たちの「生命の生活」ライフ・オブ・ライフについても言及しました。
「生命の生活」とは、何を意図するものか、という問いには、おそらく「霊長としてのプロ」という認識に始まる一連の「気付き」と「浄化」と「調和」の中に答えがあるだろうと考えています。
「生命の生活」全体の流れとして、「この世」の「ライフ」や「あの世」の「インナーライフ」そして「黄泉」の存在である「イントラライフ」にも意識した世界観の繋がりを見ていくと、最終的に「空」にたどり着きます。
その「理由」はこれからご説明するのですが、仏教の「空」の世界観を一言で表現するのは非常に難しく、言葉のみで一元的に解説をするとどうしても冗長にならざるを得ません。
そこで「神聖なる世界」の真髄に迫るべく、洋の東西の智慧の再融合を図り「神聖幾何学」を利用しながら、「空」について再度検証して参りましょう。
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