『数字の象形』《おとぎばなし》「3」
「3」
話をしている間に、白鳥はどこかへ飛んで行ってしまったかのう…じゃがな、わしの中にその情景が、まだはっきりと残っておる。
「3」は他者視点の認識といってよかろう。
はじめから、何度も他者たしゃ云々と呼ばわっておるが、その「タシャ」とは一体何者ぞ、という声あるから、ここで、少しばかり説明しておこうかのぅ。
「0」から「9」に至るまでに、わしらは基本的な他者と触れ合うのじゃ。
これは分かりやすくいえば「先祖」といってもよかろう。つまり自分自身のルーツじゃ。ずーと続くその繫がりを示しておる。それが他者の一部じゃ。
それが中心と繋がっておる。先祖は母親の胎内にも宿っておるのじゃ。そこで胎児になるまでが「0」から「9」の姿なのじゃ。じゃが、わしらは普段そのことを忘れておる。
数を象に分けると、直線のみで構成される「1,4,7」、曲線の開いた象「2,3,5」、閉じた象の「6,8,9」がある。直線は、空間の把握や視線に関係する。
そして、曲線が開いたものは視点の存在を示し、閉じたものは視点の合一を指す。
つまりじゃ、「3」の上下の視点は未だ存在という段階であって、どちらも合一には至っていないことを表しておるのじゃ。存在を認識しておるのみということじゃな。
つまり「3」の段階は、上の視点は自己、水面に映る下の自己は他者の姿として印象を残すんじゃ。じゃが、これが後々話す、自己を他者と見做してしまう錯覚の基となる。これも理由があるのじゃがな…まだまだ後々の話じゃ。
わしらはその段階ごとに必要なことを想い出してその役割を全うする。ちょうど建築の木組みと似ておる。優れた大工は二度確認し一度で合わせる。梁の端と端を合せる時は、合わせの一点に集中するじゃろう。その場しか見ておらん。それが視点じゃ。
そして、梁を実際に組み上げていく、大まかに言えば、それが空間を把握しながらやっていく木組みが直線の段階でおこなわれることなのじゃ。つまり次なる「4」が空間を見据えながら梁を組み上げていく段階じゃ。
まだ、楼閣は姿を現さず、白鳥も飛び去ったが、いずれの象もわしの中には残っておる。その印象を抱きながら、わしらは「4」の高みに昇り、そこからもう一度空間にある視線と場所の視点を合わせていくのじゃ。
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