『神聖なる世界』 第二章 天界と魔界
「天界」と「魔界」のお話をする前に、私たちの意識の成り立ちを知る必要があるでしょう。
少しお考えいただければお分かりになると思うのですが、「天界」も「魔界」も私たちが生み出した心象の世界であるということです。心象とはイメージであり、イメージとは大部分が現実社会の文化の中から生み出されるものです。
特に宗教の世界観に大きな影響を受けることがあります。キリスト教であれば、キリスト教なりの、仏教であればそれなりの、あるいはイスラム教であればその宗教なりの影響を受けるということです。
また、宗教のみでなくその地域の土着信仰に基づいた「天使」や「悪魔」の存在や言い伝えがあります。これらのことから、文化的な影響は、有形文化や無形文化を問わず、私たちの心の領域そのものに映し出されることを示しています。
そしてこの心の領域を占めるのが「意識」です。しいて言えば「意識」のうちの「識」のみの世界とお考えいただいて良いと思います。そこに私たちのエナジーの源があり「魂」と深く繋がり、結果的に「善」の領域と成り得る「場」があるのです。
今回の説明に添えて、はじめに一歩踏み込んだお話しをしておきましょう。
実は「善」の領域は「惡」を含んでいます。noteマガジン『「悪」の根本原理』でもお話ししましたが、「善」の領域に「惡:この惡は悪と異なり、自分自身をワルイと感じる感覚」を持ち合わせている、ということです。
これは、現代的な言い方をすれば、基本的に「良心」に依るものが大きいでしょう。悪いことをして「良心がとがめる」という表現もしますね。
良心の理解については、また後でお話をすることとして、この世は、「気付き」と「浄化」と「調和」による世界構築を目的としています。そのための全ての段階に善き心を得るために「惡」は必要とされるのです。
また、このようなお話しを聞くと、社会には「必要悪」がある、と思われるかもしれませんが、この「悪」と「惡」の違いを理解せず、表面的な言葉に即座に納得するのは問題があります。
すなわち「必要悪」について真摯に向き合い、自らの人生において、なぜ「惡」が必要であり続けるのか、深く洞察しなければなりません。この道理を踏まえて、はじめて「惡」が最終的に必要であったことが理解されるのです。
『こころの立体モデル』でいえば、「善」の領域は、ニーズとして確定性から不確定性、自己重要感に関与し、そこには「不安」や「悲哀」など感情的な情動変化を伴うため、まさにこの「場」に「地獄」そして「魔界」が存在することになります。
ですから「魔界」や「地獄界」の存在は、一人ひとりの「意識」の根底にあり、「魔界」の悪魔に出会い、その存在を認識することにより、はじめて「天界」への導きが得られるといっても過言ではないでしょう。
この理由は、今回の「天界」と「魔界」を最後までお読みいただけれはお分かり頂けると思います。
では早速、「神聖なる世界」<第ニ章>「天界」と「魔界」の解説を始めましょう。
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