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『品の正体』 第九講 品の本質


 今回は、『品の本質』として、最終講『品の構造』に至る前の『真・善・美』の中で『善』や『良』そして、『偽・醜・悪』がどのような仕組みになっているかをご説明して参ります。

第九講 『品』の本質

 多少難解なところもあるかと思いますが、最終講の予稿としてお読みいただきたく存じます。

Ⅰ.『仏・法・僧』の成り立ち

 そもそも『品』に私たちがこだわる理由(わけ)とは、どのようなことだったでしょうか。

 私たちは、常に『価値』と『意味』、そして『事実』を追求するのが人間の本性であるから、とご説明しました。

 どんなに、ひねくれて考えてみても、恐らく最終的には人々の欲求というものは、この三点に行き着くのではないかと思います。

 『価値』とは『善なるもの』であり、『意味』とは『美なるもの』であり、『事実』とは『真なるもの』ということが言えます。

 だからこそ、聖徳太子は、私たちが人間のもつ『気品』として人生を懸けて学ぶ必要のあることを、三宝の詔として掲げたのでした。

 三宝の詔とは、繰り返しになりますが、『仏』『法』『僧』のことです。

『仏』は私にまつわることであり、
一人称で表現される事柄です。

『法』はそれにまつわることであり、
三人称で表現される事柄です。

『僧』は私たちにまつわることであり、
二人称で表現される事柄です。

 道徳的な表現をすると、前回の『徳』の話に関連しますが、

『仏』は『品格』『美徳』

『法』は『品質』『功徳』

『僧』は『品位』『性徳』

 に関与するものです。

 私たちの『生きる道』として、これら『真・善・美』の追求は、(こころ)の指向性として、また本質的な欲求として、人々の『人生観』や『道徳』の中に深く根差しているものです。

 『品の正体』では、人生をどのように暮らしていくか、と問われた時に、特に『美徳』の領域が深く関与していることをご説明して参りました。

 『徳』や『美』のセンスについて、今まで様々な視点や角度からお話をして参りましたが、今回は『品格』『品質』『品位』をまとめて『品性のマインド』として、こころを捉えるマインドの構造をご説明して参ります。

Ⅱ.『品性の本質』
―マインドの構造—

 『品の本質』として、美徳が関わることは前講でお示ししました。その構造は次回にお話をすることとして、今回は、マインドの構造から本質的な品の追求をしてみようと思います。

まずはじめに、マインド内部の『偽・醜・悪』と『真・善・美』の構造を解説して参りましょう。


まず、下にお示しした二つの六角構造をご覧ください。

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 左の六角構造には『偽・醜・悪』、右の六角構造には『真・善・美』を掲げています。

 上記の左右の六角構造を合致させると、下の図のような一つの六角構造になります。

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 解釈の方法は、いくつかあるのですが、今回はこの六角構造を主体にご説明して参ります。

 イメージ的には、立方体の奥の面が『偽・醜・悪』を構成し、正面が『真・善・美』を為す構図です。詳細は次回『品の構造』でお話致しましょう。

 次に、基本的な『徳分』をこの中に組み入れると下の図のような関係性が成り立ちます。

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 これらの図は、一つのマインドの構造をイメージ的に概念化して表現しています。

 特にご注目いただきたいのは、『美徳』や『性徳』、『性徳』や『功徳』、『功徳』や『美徳』が重なる部分に、それぞれ、『偽』『醜』『悪』が存在していることです。

 この図については、少し解説を要すると思いますが、重要な確認事項として、次のことを申し上げておきましょう。

 単純にこの集合図をご覧になって、例えば、善を為す『性徳』と、美を為す『美徳』の間、つまり『性徳』∩『美徳』の関係性には、『悪』が存在することになります。

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 一見すると、「???」とお感じになると思います。もともとある徳分である『性徳』と美を追求する『美徳』が重なる部分が、よりによって『悪』とはいかなることなのだろう…と。

 仰る通りです。しかし、よくご覧いただけれはお分かりいただけるように、実はこの集合図には『功徳』という重要な徳性が含まれておりません。

 つまり、この徳性のどれか一つでも欠けると、そこに『偽・醜・悪』が生まれる可能性を表しています。

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 現状では、上図のように、それぞれの徳性がすべて揃うところに、『真・善・美』を根差す『中央の核』が生じるということになります。

 これは、あくまでも概略図として概念的なものです。しかし非常に重要なことをお示ししています。

 この仕組みが理解できると、なぜ、単なる『真』や『善』や『美』の追求が『偽・醜・悪』を生じるのかがお分かりいただけると思います。

 ここには、一つの言葉の定義と解釈の方法があり、『偽』、『醜』、『悪』をどのように見立てるか、という究極の頓智が必要になってきます。

 例えば『漬物』∩『大根』は、『たくあん』、となるのですが、その旨味はどこにあるのか、ただ単に腐った食材にならず、発酵に至らせるにはどのような工夫が必要なのか、というようなことです。

 『漬物』には『大根』の他に『塩』と『錘(漬物石)』が必要になります。単に『大根』だけでは、美味しい『漬物』は出来上がりません。三つが揃いバランスを保つことによって腐敗せず、発酵の循環が起こるのです。

 ですから、『漬物』と『大根』のような二元的な見立てに対して解釈の幅を広げる必要があるように、『品』も同様に平面的な理解から立体的な解釈へと展開する必要があるのです。

 では次回、最終講、『品の構造』では、これらの仕組みがどのような意味を持つかについてご説明して参りたいと思います。

※このマガジン『品の正体』に連載されている他の記事はこちらから

本日も最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました。


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Dr.「こころから研究所」Co-colo-color.Labo.
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