『哲学』の散歩道 SEASON3 「こころ観のこころみ」 Vol.7(1536文字)
前回の層から、だいぶ日にちが経ってしまったが、我ながら、今までの「こころ観のこころみ」を読み直し、正直、唸った。
非常に構造的な理解が深まるだけでなく、主/客の構造について、こころみの段階ではあるが、良くまとまっていると自負している。
いままでの図をご覧いただければ、大体のことは見通しが付くはずであるが、今回は、個々人と集団の振る舞いの違いをそれぞれ解説していくことにしよう。
1)「主/客」に潜む層
先ず以前、個々人の「身近な!」問題から生じる「身」の部分が最も「主」的であることは既に触れた。
今回は、個々人に対する集団の振る舞いの違いであるが、これは、何が問題になるかと言えば、そのキーワードは「身内」である。好と言ってもいいかもしれない。
些細ないざこざや内輪揉めなど、家族などの身内問題は、この「社」に大きく影響することになる。
さらに、会社や組織の文化や風紀などに関した部分でもある。会社の問題はことほど左様に、この「社」の公明性が大切になるのである。
2)集団に関わる「社」の改革
以前「ソニー再生」を読み思ったことがある。
経営者、平井氏は、いったいどのようにしてソニーの業績を回復させたのか。まさに、この「身内」について親身になって考えていった成果だと言えるだろう。
彼は、業績不振の部署に対し、具体的にどのようなコストが存在し、それらの無駄を少しでも省くため、まず現場をくまなく訪問し現場の社員と意見交換を行い親身に対話を続けたのだった。
その後は、まさに個々人への「神対応」とも言える言動と、集団の振る舞いへの「理」を重んじた行動力、そして大局を見極め総合的に判断する決断力、これらのチカラを併せ持つ人間が本当のリーダーシップが摂れる人なのだろうと感じた。
本当のリーダーシップは、これら「義」を重んじることができるかにかかっている。
客体とは、いわば「鏡」である。個々人の「体」は、一人ひとりが肉体を鍛えればその結果がでるように、集団の「会」は、システムや仕組みなど古い組織運営の下で固定化されたしきたりや習慣などが蓄積していく「場」なのである。それらを一新するには、やはり、人並み外れた行動力が必要になる。
「会」にある不要な上澄みを洗い出し、新たな「社」を作るために、社員と「心」を寄せて親身に話し合う。その結果、杓子定規な「理」だけではなく、そこに彼の「人格性」があればこそ、「義」と「理」の「義理」を通した粋な計らいもあった。
しかし、誰かが英断しなければならなかった。辛い決断がいくつもあったと彼は言う。まさにそれは、自らの客体の「鏡」に向かい、自分の恥部をさらけ出し、それを彼は自分事として断行していったのだ。
「身近な、身内か…」まさに、この言葉が、「主客」に潜む層の全てを表現している言葉である。
3)「親身」になること
これらの英断は「身内」だからこそ辛いことは、皆が知っている。しかし、それができるのは、「親身」になればこそということだろうか。
ここでも「身」という言葉が出てくる。そして「親」である。立体モデルから考えれば非常に納得のいく図式が見えてくる。じつは、「親」とは「社」そものもであるからだ。先祖の証はこの「社」にある。
集団の「親(心)」と個々人の「身」、これも二つの振る舞いを、善く巡らせるための、方策なのだろう。
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