ニュートンとゲーテ「性格」と「強み」㉑(2110文字)
キャラクターストレングス(CS)を
構成する下位項目(つづき)
前回は、「超越性」と「勇気」の二つを一つの系として見立てた。
今回から、「節制」と「正義」、「知恵」と「人間性」の相補主体的な関わりについて見ていくことにしよう。これらも系として見立てることができる。
まず、「節制」ー「正義」のラインから見ていこう。
「節制」ー「正義」のライン
「節制」は感情的に「畏怖」、「正義」は「嫉妬」、この「畏怖」ー「嫉妬」の間にどのような理を見出すのか。
①「節制」の理解
原始的な感情は、実は性格の形成に大きく関与するといわれている。「節制」にはなぜ「畏怖」のような恐怖心が関わるのか、これは、節度と制約という観点から見ると、自ずと答えが導けるだろう。
単なる恐れではなく畏れは、さまざまな有限なものへの価値や感じ方、その他、無限の聡明性と創意工夫など、先見が働くようになる。慎みも思慮深さも、そのような意識の顕われなのである。
青側の紫外、そして赤側の赤外は、直線的スペクトルでは両端が漆黒の闇に開いている。
スペクトルには、上図の矢印のごとく青側の闇に向かうチャクラの流れと、赤側の闇に向かう流注の流れがある。ここでは、チャクラの流れをもとにした感情と色味の関係をみてみよう。
青側の暗闇の淵を覗くとき、恐怖を感じる。ちょうどトンネルに入る前の心境に似ている。しかし、その恐怖を乗り越えるためには、大いなるものへの畏怖と信頼が重要になる。
「節制」の下位項目、「寛容さ」は、さらに深い理解が必要だろうが、漆黒の闇の奥に深い「信頼」があることを忘れてはならない。
赤側の解釈は、逆にトンネルから出るときを想像してもらうと良いだろう。この「場」には「正義」にまつわる見立てがある。それは次のセクションで解説しよう。
② 「正義」の理解
次に「正義」についてである。
「正義」は、絶対的に自明で確実性のある物事により、明らかにされる。性格とはもとより、感情より出流した形見のようなものである。正しいものを、正しいとするには、「定義」が必要である。「義」とするものを、明白にし、公(神)の前で進言(誓う)する必要がある。
先ほどのトンネルのたとえにあるように、トンネルに光が射しこむイメージをすると、白日の下に晒すという「場」であることが分かる。そしてより良いものを上位に据え、品質や精度を高めていくとき、必ずそこに比較が生まれる。
この時、私事に翻弄され、自身のエゴからある事をないことにしたり、事実を捻じ曲げ相手を貶めたり、不正から妬みが生じることがある。これを生じ得ないようにするのが「大義」であり、それを行使することで「正義」が生じる。
「嫉妬」の心は、逆説的ではあるが、このような大義が生じるきっかけを生み出し、この大義の完遂を以て本当の「正義」が発動されるのである。
スポーツ界では昔から「名選手は名監督にはならない」と言われるように、選手として二流でも、「負け」を人一倍経験し、妬み嫉みを嫌と言うほど味わい、それらを達観できたとき、その人の中で「大義」が生じる。そうすると、他人と較べず、単なる比較もしなくなる。
人の「義」を重んじるようになる。
下位項目のチームワークや、公平性、リーダーシップは、これらの「大義」を知っているかにかかっている。これらの項目の羅列は、なる結果として生じる下位項目のお題目に過ぎない。
③ 加色法、減色法との関連
ここからは、個人的な備忘録として書き足したもので、さらに複雑な話になるため、読み流していただいて結構である。ご興味のある方はどうぞ。
赤(赤外)から青(紫外)は、先ほども触れた通り、漆黒の闇を通らなければならない。ここはチャクラの流れをもとにした理解が分かりやすい。
下の図は、色味と陰性感情の関係を見立てた図である。左上の青側;「恐」から赤側;「嫉」の間は、色のスペクトルの両端を結び、漆黒の闇を通ることを示している。
中央の色味が黒になるため、まずは単純に黒の加色法の色彩に準ずる「▲」を当てはめる。すると高次の二次的な陰性感情が関与していることがわかる。この構造から、受容方向に進むためには、「苦悩」「悲哀」「嫉妬」の関与が連想できる。
現時点では、まだ単純な発想を構造に落とし込んでいる段階であり、この後の展開は正直つかめないが、何か見えてくる可能性は十分示唆される。
次回は、「知恵」ー「人間性」のラインのお話をしよう。