『愛の美学』 Season3 エピソード 5 「愛の活力」(2667文字)
「愛」とは、「活力」である。
そんな答えが返ってくるかもしれない。
そもそも、「愛」を「エネルギー」そのものとしたら、それは単なる物理的な「フォース」や、体力などの「パワー」や学力の「パフォーマンス」とも違うだろう。では、愛の「チカラ」とはいったい何か。
今回は、そんな「愛の活力」が何かを解説しよう。
愛のチカラ
このマガジンでは「性知学」を標榜している。
「愛」と「性」は深く関連し、もとは男女の情動に端を発することが多い。男女関係における「愛」を「性愛」と呼ぶが、このような「愛」のカタチは本質的な「愛」とは異なる。
しかし、この情動も単純ではあるが、実にチカラの湧く心情でもある。初恋のこころときめくドキドキ感などは、その際たるものだ。異性を感じる。それはとても素敵なことである。
差別的な発言ではないことを前提に話を進めるが、世の中にはパートナーが同性を好む場合、「同性愛」のカタチもある。ここで話したいことは、同性愛の良し悪しではない。
「愛」の基本定義の一つが「ずーっと見ていたい!」という心情、察し続ける「チカラ」だとすれば、それが一つの「愛」のカタチであってもよいということだ。
社会学者アーロンアントノフスキーの「SOC感覚」については、このマガジンでも既に何回か触れた。これは、人生に対する基本的な姿勢とでもいうのだろうか、自分自身の世界を成り立たせていくために、どう舵を切っていくか。そんな課題を考える方法の一つだ。
実際のインタビューに基ずく膨大な資料をもとに、三つの感覚が提唱された。
この言い方に、違和感のある学者もいるだろうが、私は専門家として、端的にうまく表現できているのではないかと思っており、結構気に入っている。
当然、『愛の活力』は、③に集約されるのだが、見ていけば次第に分かるように、「やるぞ」となるのは、やはり動機が必要で、③だけで「活力」が生まれるものではない。
①と②があって初めて、③の「チカラ」が湧いてくる感覚はお分かりいただけるだろうか。なにごとも突然、「やるぞ!」とはならないだろう。
ちなみに、学術的にはこの三つを、
という。これを『センス・オブ・コヒアランス』首尾一貫感覚、SOC感覚としている。ひとつ「筋」が通っているセンスと言ってもよい。
そしてこれまた、全ての項目に『性』が付いている!
単純に、あるいは感覚的にでもよいが、~感、という心情を語るときには、『性』という、不確定ではあるがそこを目指すという意味合いがあることが分かる。
これも既に説明したが、確認のために触れておく。
「愛の側面」のところで触れたが、言語学でも「相」があり、状態や出来事が終わり完了を示す完結相、完了せず未だ流動的な状態を示す非完結相、現在進行形で過程を示す進行相、変化の結果が持続していることを表す結果相などに分類されている。
今回、上図で新たに示した結果相の解釈であるが、いろいろな表記の仕方があると考えられるが、結果相は、完結相の連続を意味していると解釈し、完結相の軸であるz軸を周回する矢印で示した。
敢えてこの解釈に沿えば、非完結相が「やるぞ感」の状態、現在進行形の進行相が「できる感」の過程、結果相や完結相が「わかる感」の完了に関与する。
①わかる、②できる、③やるぞ、というパターンもあれば、②できる、①わかる、③やるぞのパターンもあるだろう。
いずれにしても、そこには目的や目標に対して、それが理解できるか、あるいは対処できるのかという、自意識が関与する。
ここまでの理解では、全てが意識や常識、そして良識の内に事が進んでいく。
では、それは果たしてどこから来るのか。その「チカラ」はどこが源泉なのか。この素朴な命題に答えることは、価値や意味、あるいは欲求や意欲を解明することになるのだろう。
以前、基本的欲求のところで、マズローの解説をした。
上記のようなヒエラルキー構造を、下のように「立体モデル」に再配置した。
その結果、マズローの②安全欲求と③の一部「所属の欲求」がひとつの「活力」に入り、内的な心を示す「愛の欲求」は③’として内面に配置され、④「承認欲求」は認知に関する「知力」に配されている。
さらに、これら欲求の配置と、多重知性のライン配置を照合してみよう。
下の<図6>がそれぞれの重なりを避けて透視化したもので、<図7>が正軸側の視点からの眺めである。
この「ラインモデル」は何となく眺めるのがお作法。考えても答えが出るような代物ではないからだ(笑)。
何となく見ると、性ー心理と基本の欲求、情動・感情のラインが真下のラインに重層している。
これは、結果的に意図して配置しているので、むしろ当たりまえなのだが、『愛の活力』の源は、この軸に関係があるように思える。
言葉遊びだが、「チカラ」を「知から」や「地から」、「血から」「恥から」などと言い換えることができる。日本語には同音異義語が沢山あるので、外国人が日本語を学ぶときに嫌がられるのだが(笑)。
愛は『知』であり、愛は地面の『地』であり、愛は絆の『血』であり、愛ははじらいの『恥』である、、まだ延々とつづきそうだが、それも『愛』は全てを含むからだろう。
そう、『活力』とは不思議なもので、『感の面』のほかの『気力』『知力』『体力』の総元締めの『チカラ』の源泉なのである。
それは、やはり「身」に直接関係するところだからだろう。
今回から、『感の面』の『愛のチカラ』シリーズの解説になるのだが、次回は、『愛の気力』について触れてみたい。