こっちなのかもしれない
言葉と心というテーマを中心に置きながら、日本らしさ、日本風味を大切にするために、さ迷いだして3本目の投稿。
言語学の扉を開いてみたものの、難解で、深淵。予備知識のない僕には、ザクザク理解できるものではなく、目がすべってしまう。動画でも、まだわからない。そっちはもう気長に見ていこうと思いながらそっとタブを閉じる。
カウンセリングの合間には、空き時間ができることが、多々ある。気力は余っていても休み時間になるときもある。そんな時には、ネットの記事を興味の赴くままに読む。マンガも読む。今もまさにそんな時間。
なにやら気になる記事を見つけた。
日本人の忘れもの 知恵会議
というサイトの
「未来に受け継ぐ~次世代のメッセージ~」
という記事
松岡正剛 さん
編集工学研究所 所長
からのメッセージが記事になっている。
記事の内容としては
時代が進むなかで忘れられ失っていく固有な価値観を憂い、をどうやったら残していけるだろうか。
というようなもの(違ってたらごめんなさい)
写真に写る松岡さんはとても厳正そうな印象を受けるが、文自体は強くない印象だ。読んでいて、共感するところも大きい。すくなくとも、この記事の中でも新しい学びがあった。
以下抜粋だ
『~前略~奄美大島で島の人たちから、島唄にうたわれる「かなしゃー」という言葉は「悲しい」でも「愛しい」でもなく、「とても大切だ、哀切を伴う感覚だ、一緒に大事にしたかった」という感情が入り交じっているという話を聞いた。奄美独特の共感の価値観の深さがいまもって鮮明に共有されているのである。』
抜粋から、さらに言葉と心を抜粋する
かなしゃー
(意)とても大切だ、哀切を伴う感覚だ、一緒に大事にしたかった
※奄美大島の島唄において
言葉と心を見つけた。
なるほど。かなしゃーという言葉をネットで調べても、これ程丁寧に言葉に乗った心情を解釈されているものは一見しただけでは見つけられなかった。
つまり、きっとずっと残るネットの海の中で、「かなしゃー」という言葉には、こんな意味があるんだよ。こんな心から生まれた言葉なんだよと紹介する記事が、少なくとも2件になったというわけだ。奄美大島の人が使わなくなって忘れてしまっても、遠い遠い未来の「アマミオオシマのシマウタにでてくるかなしゃー」の研究者が見つけてくれるかもしれない。そうなればものすごいことだ。その未来では、古代人の歴史を解き明かす大発見かもしれない。たとえこの記事にスキがついていなくても、僕はものすごく価値のある記事を書いているのかもしれない(さすがにそれはないか)。それはさておき、これはきっと松岡さんの忘れ去られていく何かを掬い伝え残そうとする活動とも合致するし、僕もその活動にはおおいに賛成だ。
よし、この方の本を読んでみよう。こっちの扉を開けてみよう。とりあえずいってきます!
(ヘッダーを任せているAI画伯、よく見るとイラスト専門だったよ。今日は風景の設定でお願いしてみた。テーマは「日本の忘れもの」)
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