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Who's Thich Nhat Hanh?

ティク・ナット・ハンとは誰か?

ティク・ナット・ハンとは、世界にマインドフルネスを広めた一人でベトナム人禅老師。

彼の生い立ちとプラクティス、平和活動などの道のりをたどりながら、いかにしてティク・ナット・ハンが出来上がったのか、ティク・ナット・ハンとは何者なのかを探るオンライン講座が10月から始まった。

今回はこの講座のことを書いてみたい。ちなみにわたしたちプラクティショナーは、敬愛を込めてタイ(ベトナム語で先生の意味)と呼んでいる。

タイの教えを通して、学ぶことはできるけれど、どのような世界に彼が生き、何を経験してきたかを知ることは、より多角的に、より深くこの教えに触れる助けになると思う。

ちなみにこの講座は、タイの一生を知る手がかりとして、後に一冊の本になるのではないかと密かに思っている。

2024年3度目のタイの足跡をたどる旅

講師は、アメリカ人のブラザー・ファップ・ルー。
彼は現在、カリフォルニアのディアパーク僧院のシニアブラザーのひとり。欧米系のブラザーで、20年以上の出家歴がある人は数少ないのではないか。

オンライン講座の参加者は400名ほどだそう。日本のサンガメンバーでも二人参加している人を知っている。もっといるかもしれない。
コースはライブではなく録画で、希望者はライブでダルマシェアリングというグループでの対話に参加できる。

幸いにも、わたしは今ブラザーがいるディアパーク僧院で、雨安居(うあんご )という3ヶ月の籠り修行中で、その参加者はライブで現地で参加している。またオンラインクラスを取っている人で近隣に住んでいる人は、現地に参加することもできる。

今年2回もベトナムに行き、現地でプラムヴィレッジの祖寺や、プラクティスセンターなどのゆかりの地を訪ねたわたしにとって、これは3回目のタイの足跡をたどる旅のよう。

あまりに濃厚、濃密だった2回の旅を消化しながら、さらに学ぶことのできるとてもよい機会になっている。

Eyes Of Compassion 慈眼

ありがたいのは、毎回詳細なレジメをもらえること。
参考文献も多い。
多くはタイ自身の著作だか、とてもよかったのは、Jim Forest著「Eyes of Compassion」。
尼僧院のライブラリーで貸してもらえた。
Eys of Compassionとは、慈悲にみちた眼差し、という意味。

Eyes of Compassion

60年代にアメリカで平和活動をしていたティク・ナット・ハン禅師のそばで、サポートしていたアメリカ人男性、ジムによって描かれている。

ジムが、禅師との日常のやりとりのなかで、禅、マインドフルネス、を見出していく。

なにより、ふたりのあたたかい関係性が心にしみる。
マニアックな本のようでいて、初めてマインドフルネスに触れる人にも親しみやすいかもしれない。

ハンモックで読む

泥無くして蓮華なし
禅僧、平和活動家、詩人

タイは禅僧であり、平和活動家であり、詩人であると表現される。

講座では、60-70年代のタイの活動に重きが置かれていたように思う。2024年のわたしのベトナム訪問でも、最も印象深かったのは、この時代に関する場所だった。

プラムヴィレッジは、ベトナム戦争をそのルーツとしている。

No Mud, No Lotus
泥無くして蓮華なし

長きに渡り、中国、フランス、日本、アメリカによる支配や戦争に巻き込まれていたベトナム。
その苦しみが、プラムヴィレッジの教えの土台となっている。

ベトナム戦争下で、南北ベトナムのどちらも支持せずに、戦争の終結、平和を訴え活動をしていたタイは、マーティン・ルーサー・キング牧師に、ノーベル平和賞にノミネートされている。

人々が爆撃にさらされているなかで、僧院で瞑想することと同時に、社会に出て奉仕活動を組織した。

プラムヴィレッジが、エンゲージド•ブディズム、「行動する仏教」と呼ばれる由縁だ。

また国外で、特に戦争の源となったアメリカで平和活動を行う。講座内で紹介されたある記事によると、タイは、60年代にアメリカで行ったこの活動により最も世界に知られている、といわれている。

また、タイは多くの詩を書いている。
禅の修行では、短い詩の形で説かれる教えがあり、そうした表現形態はなじみやすかったのかもしれない。

究極の慈悲の教え 「あなたへの提案」

これはわたしが最も深く、衝撃を受けたタイの詩だ。

―この詩を書いたのは1965年のこと。社会奉仕青年団の若者たちのためだった。戦争当時、日々いのちをかけて活動する彼らに、私は憎しみを持たずに死を覚悟することを伝えようとした。

 すでに暴力によって殺された仲間もいたが、私は憎しみに負けぬよう忠告した。本当の敵は、自分自身の怒り、憎しみ、貪欲さ、狂信、他者への差別意識である。

https://www.tnhjapan.org/recommendation

この詩を最初に知ったのは、歌としてだった。

こちらのサイトで歌を聞くことができる。


詩の一部は、平和を訴え焼身供養をしたタイの弟子の女性、ニャット・チー・マイが両親に当てて録音したものが引用されている。

ベトナム、サイゴンのファップ・ヴァン寺(法雲寺)に祀られているニャット・チー・マイ。2024年9月に訪問。

タイの究極の教えが、ここにあるように思う。
自分を殺そうとする相手に慈悲を持つ。

自分と弟子の間にも、そして殺そうとする相手との間にも、隔たりはない。

ここまで深い究極の慈悲と愛は、誰にでも体現できるものではない。

ひとりになった私は
ふたたび 頭を垂れつつ歩を進める
滅びぬ愛を胸にたたえて
果てのないでこぼこ道をゆく
太陽と月が
行く手をきっと照らしてくれるだろう
   ニャット•チー•マイの言葉

https://www.tnhjapan.org/recommendation

「神学的抽象化」

これは敬愛する奥田知志牧師(東八幡キリスト教会 / 理事長)の言葉。
ホームレスや困窮する人々を支援する現場に身を置いている奥田牧師は、起きていることを理念化し、抽象化する、言語化することを、大学院の恩師に叩き込まれたという。

神学的抽象化の作業は即ち普遍化の作業であると。おまえが現場でやっているのは内在的な現場そのもの。内在的なテーマを普遍的なテーマに換えていくとい うのがおまえの仕事だと。そして、普遍的なテーマをさらにまた内在化させていくというのが、 現場と言葉化の緊張関係だと。

当時はまだあまりよくわかりませんでしたけれども、でもまぁ、 ずっとそのことばだけは残ってて、自分なりにやってきたんですね。このごろよくうちに取材とか研究者の方とかが来られるんですけれども、全国でもこれほど言葉化し概念型をちゃんとつ くっているNPOは少ない、それで広がったんでしょうねというような言い方をされました。

https://www.kitakyu-u.ac.jp/iurps/pdf/2010chiiki_2-4.pdf

内在的なテーマを普遍的なテーマに換えていく。そして普遍的なテーマをさらにまた内在化させていく。現場の実践と言語化の緊張関係。

タイもおそらくそれをしていたのだろうと想像する。
ベトナム戦争、そして平和活動の結果、祖国を1966年に追放されてフランスに根付いてからは、欧米の人々の苦しみを現場として。

12回の予定が14回の講座に

講師のブラザー・ファップ・ルーは、毎回たくさんの本を持って講座にのぞんでいた。タイ自身が書いたもの、タイの最初の弟子であるシスター・チャン・コン、ベトナムの歴史、など。
12回では終えることができず、2回講座が追加された充実の講座だった。

講座を受けながら、2024年の2回のベトナム訪問の記憶の数々が蘇った。

ちなみに、タイは母語であるベトナム語のほかに、英語、フランス語、中国語が使えるというのだけれど、ベトナム語の表現はとても美しいらしい。


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2024年のベトナムでのティク・ナット・ハン禅師の足跡を訪ねた旅の様子はこちらで読んでいただけます。


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