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なんとなくブルーなすべての花嫁たちへ

「恋に恋する」というが、わたしは「結婚式」に恋い焦がれていたのだと思う。

小学校の頃に書いた将来設計図には25歳くらいに結婚と書いていたし、社会人一年目の時に書かされたキャリアプランニングシートにも「27歳くらいまでには結婚したい」と書いた。30歳までには子どもが2人いて、専業主婦を2年くらいやりながら仕事も復帰して云々と理想を照れ隠ししながら書き連ねていたのは割と新しい記憶だ。

そんなこんなで結婚をしたものの、ゼクシィが見せつけてくるあんなにきらびやかな式場探しは夢のまた夢で、パートナーとは激しく喧嘩した。見積もりをもらったときにパートナーが口にした言葉がどうしても許せず泣き出したりもした。価値観が合わないというよりも、「ああ、この人は私が好きなものにケチをつけたいのだ」ということに気づいてしまったこともあった。

それでも結婚を決めた。「結婚式当日」にばかり目が向いて、「結婚式をしたかった」から結婚を決めた。親が喜ぶと思った。まあそれなりに無難にいけるだろうと思った。こう綴って、なんて浅はかなんだろうと思う。

結婚式はそれなりに盛大に執り行ったけれど、親族の都合で式場は理想のものにならなかったし、やっと契約した式場はまったく融通が利かなくてなんの思い入れもなくなった。挙句の果てに、当日になってから導線についてを相手方の親族からとやかく言われ、まったくだれのために妥協したと思っているんだと嘆いたことも新しい。ちなみに、終わってからもかなり怒られた。なぜ「最低限の幸せな一日」とさせてくれなかったのだろう。ここまで来て、なぜ結婚したのだろうと後悔しかない。

こうしてつらつらと文句を垂れているわけだが、冒頭にもどると私は結局目的をはき違えたのだ。結婚式をしたくて結婚するのではない。そんなことわかっていたつもりだったのに。でも間違いなくわたしは焦っていた。残念ながら社会には「婚期」というものが一定重視されていて、どんなに冷静を装おうともついて回る。そして、いざというときは自分をごまかしてでも前に進んで結果を手にしたくなりやすいのだと思う。相手方の親族の特徴も、相手がほんとにこの人でいいのかということも、自分は幸せなのかということも、全部全部答えを持っていても、なお、間違える。こういう類の「間違え」は、どうやっても取り返しがつかない。

だから、すべての「少し鬱々としているプレ花嫁」たちに捧げたい。
あなたのその勘はきっと当たっていて、きっと現実になる。乗り越えるのはあなた自身では難しい。あなたのパートナーは、現実になってしまった状態に直面しても一緒に乗り越えてくれるだろうか?もしくは一緒に乗り越えてと説得することができるだろうか?

立ち止まるのはいつだって遅くない。
契約金だって、その後のトラブルが軽減するならば安いものである。
どうか、一生に一度の「幸せな花嫁」になってほしい。

#結婚式の思い出 #マリッジブルー

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