自己肯定を高く持ち、それを表に出す事は悪なのか
中学生編に行く前に、私が思う日本社会においての自己肯定について書いてみようと思う。
と言っても私が実際に日本で暮らしたのは16歳、2003年までなので、2021年の今は少し変わっているかもしれないが、私が子供〜思春期までの日本社会は自己肯定を低く持つことが良いこととされる社会だったように思う。
少し乱暴な言い方になっているけど、いわゆる昔ながらの日本のトラディションは謙虚であること。
身内を下げ、自分自身を下げ、相手をたてることがマナーとされている社会。
それは悪いことじゃないけど、自分の事や身内の事をよく言おうものなら
「自慢」
「厚かましい」
と、捕らえられてしまう社会。
親にだって他人の前では「バカ娘」や「愚息」など言われて育つ私たち日本人。
それが社交辞令で意味のない言葉、本心ではないとしても、毎日毎日それを聞きながら育って、どうやって自分を肯定してあげることができるのだろう。
私が出会う大半の日本人が、非日本人に比べた場合、何事に置いても自信がなく、シャイで、自分に非がない場合でも言い返すことなく、自分を抑えて抑えて生きている。
いわゆる「空気が読める」人たち。
みんなそれで、本当に幸せなの?
それとも日本スピリットは、今ある状況で不満不平を言わず、今の自分にはこれで十分と思えるようにできてるの?
34歳になった今でこそ、少し自分に自身が持てるようになってきて、ブログやYouTubeで普通に顔を出すこともできるようになった。
言語も不完全ではあるものの、一応3つ話せるようになって、私には誇れるスキルがあると思えるようになった。
そして今は自分にとって自信がある事や、誇れる事を全面に出して生きている。
3000人ほどいるTwitterのフォロワーさんの中には、もしかしたらそれがウザいと感じる人もいるかもしれない。
そして現実でもネット上でも、日本人の方と話す時には、私ほど色んな事を自信を持って主張する人が少ないように思える。
今はもう他人にどう思われようとあまり気にしないという強いメンタルがあるけれども、たまにふとそういう事を考える時もある。
日本社会において、自己肯定の高さを全面アピールすることは、やはり好ましくないのか。
マジョリティの人に好かれるためには、常に謙虚で自分を下げ続け、称賛してもらえた時には「そんなことないです」とまず否定から入るのが正しいのか。
今でもそれは分からないし、「今の私」のスタンスを変えるつもりはないけども、もし日本社会が今でもそうだったとしたら、私はその環境で育つ全ての子どもたちが、将来どうやって自信を持った大人になれるのかが分からない。