今さらの気づき

このnoteを書き始めたきっかけは、鬱が治ったと思ったからだったけど、実際は鬱はまだ私の中にしっかり居座ってることに今さらながら気づいた。

とあるきっかけで久々に鬱の波が襲ってきて、この数日間なかなか大変だった。
こう言う時は私はケアしてくれる人を突き飛ばしてしまうので、1人でくらーいトンネルに閉じこもる。
今回は飲めないお酒をわざと飲んで吐きまくったり、なかなかハードモードなやつだった。

ちょっとこのままではまずいと思い、同じように10代の頃から鬱を抱えて生きてる友達と話した。

彼女は私と違い、精神科に通ったり必要な時に薬を飲んだりして、鬱としっかり向き合いながら生きてる子。
今回のきっかけと、最近悩んでたことなんかを全て聞いてもらったら…
その悩みが全て病気のせいなのが明らかになった。


まず、私はあんまりお金に興味がない。
自分の全財産はすぐ分からないし、日本の口座の一つに至ってはキャッシュカードがどこにあるかも分からない。
掃除してたら過去に日本から持ってきてた現金の束を引き出しに見つけてびっくりしたこともある。
とりあえず生きていけるだけのお金が今手元にあるかしか見てないから、前に持ってきてた資金なんてすっかり忘れてたらしい。

だから周りの友達とかが「将来のお金」をちゃんと考えて計画してるのを見ると、変な気持ちになる。

えらいなー!すごいなー!しっかりしてるー!
と思う反面、

・みんな一体何歳まで生きるつもりなん?
・働けなくなる年まで生きたいの?
・明日死ぬかもって考えへんの?

という思考が出てくる。

前にnoteに書いてるように、鬱の人はあんまり未来の事を考えない。
未来に期待して裏切られたら悲しいし、しんどい人生を長く生きたいと思えないし。
「お金なくなったら死ねば良くない?」
と私はずっと思って生きてきてて、これは私の頭がおかしいからと信じ込んでいた。

彼女と話して、お金に興味が持てない話をしてたら
「分かるよ、お金なくなって食べれなくなったら死ねばいいよね」
って言うから、驚いて数秒黙ってしまった。

それから彼女は、これは鬱病の人の典型的な考え方であることを教えてくれた。

・将来に期待も何もないから今日が楽しければいい
・年老いて醜くなって人に世話になるまで生きたくない
・いつ死んでもいいと思って生きてる

イコール、将来のためのお金をプランできないのは典型的な鬱病の症状だそうで。

ねえ、何歳で死にたいと思ってた?
10代の時はハタチ前に死にたかったよー
超分かる、20代の時は40前に死にたいと思ってたら軽く30超えちゃったよー

なんてちょっと盛り上がったくらい、彼女も同じ事を思ってた。

正直、救われた気がした。
私が周りの同年代と同じような考え方できなくて、私が頭が悪いのか欠陥があるからお金のプランができないって悩んでたのを、病気のせいにできるなんて。
私がポンコツ人間だからできなかったわけじゃなかったって知れて、ホッとした。

その他、他人(主にパートナー)への接し方とか日々の生活の中で、私がちゃんとした大人じゃないからとか、頭が足りてないからこうなると信じ切ってた部分も、全ては鬱のせい。
鬱は治ったはずなのに私がこんなになるのは私に問題があるから、って今まで自分を責めてたこと。
こんな人間だし、みんな離れた方がいいってわざと人を遠ざけてたような行動。
全てに説明がついた。


鬱が良くなったから私はもう鬱病じゃない!
まっとうな人間になれた!
と、この2年間ほど信じきっていたから逆戻りした感は少しあるものの…。

鬱ってのは多分一生心の中にとどまり続けて、頻度や程度は変わっても簡単にはなくならない。
ようやく理解できたから、今から出来ることは否定しないことと、対処法を周りに知らせること、あとは自分を責めないこと。

鬱持ちでも私はポンコツな人間じゃないし、生きてく価値はみんなと同様にある。
って、鬱真っ只中では無理だけど、元気な日にちゃんと自分に言い聞かせるようにしよう。
病気の発作みたいなものだから、必ず過ぎるって覚えておくようにしよう。

こんな年まで鬱引きずってるってダサいと思わずに、ちゃんと自分の一部な事を認めるようにしよう。


20代の時はそろそろ死にたいと思ってた35歳まであと1週間。
まだまだしぶとく居座り続ける鬱としっかり付き合っていけるようになろう。

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