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ここくとオーガニック

このわかりにくい言葉、「オーガニック」を辞書などで調べると、今度は「有機」という、またよくわからない言葉が出てきます。

「有機」の「機」は「はたらき」という意味での「機」。つまり「はたらき」が「ある」のが「有機」、ないのが「無機」。

何が「はたらく」のかといえば、そのもの自身です(?)。

例えば「有機肥料」は、動物のフンなどを土の中にいる微生物が分解して作物に必要な栄養素を作ります。このフンをつくるのは家畜のはたらきであり、それを分解するのも微生物のはたらきによるものです。

対して無機肥料、つまり化学肥料は作物に必要と思われる栄養素、そのものの化学物質。それが肥料として作物に取り込まれるまで、何かがはたらくことはありません。ほぼそのまま吸収され、とても効率的です。

要するに「はたらき」は「生命の営み」。「はたらき」を「命」と置き換えるともっとわかりやすいです。

命があるもの、ないもの。

「命がある」ということは「心がある」ということでもあります。

「あの人は無機質な人だ」と言ったら、とても冷淡で、何でも数字で判断するような心ない人を指しますよね?

逆に「あの人は有機質な人だ」なんて言わないのは、それが当たり前だからです。人は生きていて、命があって、心がある、情がある。

人に対しては「有機」なんてわざわざ言わないのに、食べものに関してわざわざ「有機」をつけるのは、効率を優先するために大量生産された心のない「無機」な食べものが増えたからでしょう。

味噌でいえば、本来は酵母が生きていて発酵するはたらきを続けますが、そのまま包装すると酵母のはたらきでガスが発生して容器が破裂してしまううえ、味がどんどん変わっていくので流通の都合上困ります。

このため添加物や熱を加えて殺菌し、常温で店頭に並べられるようにした味噌が言うなれば「無機味噌」ということになります。

どちらがいいのかは価値観の問題ですので、正しいとか間違っているとかはないと思います。

ただ大事なのは、この効率を優先した無機的な流れは戦後急速に発展してきたということ。

「効率」や「便利」によって失われた有機的なことがたくさんあるということ。

そして少なくとも自分の心は、どう頑張っても「無機」にはなれないということ。

* * *

少し前までは、わざわざ言うまでもなく「有機」があたりまえでした。私たちの祖先はずっとずっと有機的で、命や心のある暮らしをしてきました。

そう考えると、この風土とともに培われてきた「日本文化」と「オーガニック」は切っても切れない関係にありそうです。

それなのに「オーガニック」という海外文化を紹介する時のカタカナで、過去の日本文化を紹介しようとしている・・・そんなちょっとおかしなことになっています。

「スローフード」や「ロハス」も同じ。

カタカナで表現すると、なんだかオシャレで新しい感じがするのでたくさんの方が振り向いてくれます。

でも一方で、それは日本文化でない「ファッション」となり、人を選ぶようになります。

考え方よりも、目で見たものが先に入ってきてしまい誤解されやすくなります。

「オーガニック」はヒゲを生やすことでもないし、麻の服を身にまとうことでもなくて。

過去に海外で生まれたヒッピー文化と結びつきやすいので余計に誤解されてしまいがちです。

生命が本来もっているはたらきを大切にしたり、命や心を大切にした結果として、それが服や家や食べものなどの目に見えるものに反映されていく。

ひとそれぞれ大切にする方法は違うはずだから、押し付けるものではないと思います。

* * *

「化学物質は危険だからオーガニック」「安全だからオーガニック」

・・・そんな声をよく耳にしますが、天然は安全なのかといえば、決してそうではありません。

例えば天然のトマトを化学物質の元素記号に置き換えて、含まれている成分を表にできるのかといえば、到底できるものではないそうです。

複雑に絡み合った物質や、その他含まれている多くの分解酵素が体の中の物質をどう変化させるのか

さらにその変化した物質がどう影響を与えるのか

何万とある物質それぞれがどのように働くのかを解析することなんてできないんだそうです。

そんな無数に含まれている物質の1つか2つを取りあげて「体にいい」と言っているのはなんだかおかしな話ですね。

逆に体に悪い成分については紹介されることはありません。いや、そもそも体にいいとか悪いとか、どういうことなんでしょう?

化学者から見れば、何がどれだけ含まれていてどんな働きをするか分かっている無機の化合物のほうが、何が入っているのか分からない天然のものより安全だと言う面白い話もありました。

もしかしたら「自分の体を食べものを選んでコントロールする」という考え方自体が、とても無機的な考え方なのかもしれません。

私たちの体は有機。

* * *

ここくは「オーガニック」という言葉を使いませんが、日本の言葉で同じことをずっと伝えているつもりです。

味でもなく、形でもなく、成分でも価格でもない本当に大切にしたいこと。おはなしのある食べもの。

滋味はこころの豊かさに。

(写真は義祖父の家で見つけた、竹で作られた大根おろし。きっと祖父の手作りです)

今回も「オーガニック」って何なの?という問いかけが、様々な人達に投げかけられたように思います。

たまには理論的なこともいいかな!?ということで、今回はここくが考える「オーガニック」について、よくわからない方のためにもまとめてみようと思います。

※あくまで個人的見解ですのでご了承下さい

* * *

このわかりにくい言葉、「オーガニック」を辞書などで調べると、今度は「有機」という、またよくわからない言葉が出てきます。

「有機」の「機」は「はたらき」という意味での「機」。つまり「はたらき」が「ある」のが「有機」、ないのが「無機」。

何が「はたらく」のかといえば、そのもの自身です(?)。

例えば「有機肥料」は、動物のフンなどを土の中にいる微生物が分解して作物に必要な栄養素を作ります。このフンをつくるのは家畜のはたらきであり、それを分解するのも微生物のはたらきによるものです。

対して無機肥料、つまり化学肥料は作物に必要と思われる栄養素、そのものの化学物質。それが肥料として作物に取り込まれるまで、何かがはたらくことはありません。ほぼそのまま吸収され、とても効率的です。

要するに「はたらき」は「生命の営み」。「はたらき」を「命」と置き換えるともっとわかりやすいです。

命があるもの、ないもの。

「命がある」ということは「心がある」ということでもあります。

「あの人は無機質な人だ」と言ったら、とても冷淡で、何でも数字で判断するような心ない人を指しますよね?

逆に「あの人は有機質な人だ」なんて言わないのは、それが当たり前だからです。人は生きていて、命があって、心がある、情がある。

人に対しては「有機」なんてわざわざ言わないのに、食べものに関してわざわざ「有機」をつけるのは、効率を優先するために大量生産された心のない「無機」な食べものが増えたからでしょう。

味噌でいえば、本来は酵母が生きていて発酵するはたらきを続けますが、そのまま包装すると酵母のはたらきでガスが発生して容器が破裂してしまううえ、味がどんどん変わっていくので流通の都合上困ります。

このため添加物や熱を加えて殺菌し、常温で店頭に並べられるようにした味噌が言うなれば「無機味噌」ということになります。

どちらがいいのかは価値観の問題ですので、正しいとか間違っているとかはないと思います。

ただ大事なのは、この効率を優先した無機的な流れは戦後急速に発展してきたということ。

「効率」や「便利」によって失われた有機的なことがたくさんあるということ。

そして少なくとも自分の心は、どう頑張っても「無機」にはなれないということ。

* * *

少し前までは、わざわざ言うまでもなく「有機」があたりまえでした。私たちの祖先はずっとずっと有機的で、命や心のある暮らしをしてきました。

そう考えると、この風土とともに培われてきた「日本文化」と「オーガニック」は切っても切れない関係にありそうです。

それなのに「オーガニック」という海外文化を紹介する時のカタカナで、過去の日本文化を紹介しようとしている・・・そんなちょっとおかしなことになっています。

「スローフード」や「ロハス」も同じ。

カタカナで表現すると、なんだかオシャレで新しい感じがするのでたくさんの方が振り向いてくれます。

でも一方で、それは日本文化でない「ファッション」となり、人を選ぶようになります。

考え方よりも、目で見たものが先に入ってきてしまい誤解されやすくなります。

「オーガニック」はヒゲを生やすことでもないし、麻の服を身にまとうことでもなくて。

過去に海外で生まれたヒッピー文化と結びつきやすいので余計に誤解されてしまいがちです。

生命が本来もっているはたらきを大切にしたり、命や心を大切にした結果として、それが服や家や食べものなどの目に見えるものに反映されていく。

ひとそれぞれ大切にする方法は違うはずだから、押し付けるものではないと思います。

* * *

「化学物質は危険だからオーガニック」「安全だからオーガニック」

・・・そんな声をよく耳にしますが、天然は安全なのかといえば、決してそうではありません。

例えば天然のトマトを化学物質の元素記号に置き換えて、含まれている成分を表にできるのかといえば、到底できるものではないそうです。

複雑に絡み合った物質や、その他含まれている多くの分解酵素が体の中の物質をどう変化させるのか

さらにその変化した物質がどう影響を与えるのか

何万とある物質それぞれがどのように働くのかを解析することなんてできないんだそうです。

そんな無数に含まれている物質の1つか2つを取りあげて「体にいい」と言っているのはなんだかおかしな話ですね。

逆に体に悪い成分については紹介されることはありません。いや、そもそも体にいいとか悪いとか、どういうことなんでしょう?

化学者から見れば、何がどれだけ含まれていてどんな働きをするか分かっている無機の化合物のほうが、何が入っているのか分からない天然のものより安全だと言う面白い話もありました。

もしかしたら「自分の体を食べものを選んでコントロールする」という考え方自体が、とても無機的な考え方なのかもしれません。

私たちの体は有機。

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ここくは「オーガニック」という言葉を使いませんが、日本の言葉で同じことをずっと伝えているつもりです。

味でもなく、形でもなく、成分でも価格でもない本当に大切にしたいこと。おはなしのある食べもの。

滋味はこころの豊かさに。

(写真は義祖父の家で見つけた、竹で作られた大根おろし。きっと祖父の手作りです)

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