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無駄なことほど必要なこと
「無駄」なことほど、豊かさの気づきを運んでくれる。
この意味に気が付いたのは最近のことです。
わたしは「無駄」という言葉や意味に対して
相当なネガティブな思い込みを持っていたのです。
「無駄 は 非効率/非生産的」からの
「無駄 は無価値なものを生む・必要ない・意味がない」
といった具合に、無駄を生んでしまった行動を
最終的に全否定してしまっているような感じですね。
そんな思い込みがあったから、無駄をなるべく
排除する超効率重視派の傾向でいたわけです。
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そうすると、楽しい事や新しいことにチャレンジすることが
難しくなるんですよ。
完璧に、という余分な考えが前面に出てくるから、
自分の思うようにいかなければ「無駄だった→自己否定」と無意識に繋げてしまうのですよね。
人間だからうまくいかなかったり失敗したりして
無駄を出してしまうことも、もちろんあるのです。
時間を無駄にしたとか、食品・材料・物を無駄にしたとか
お金を無駄使いしたとかね。
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その時の胸の辺りに起こるじわじわと来る
罪悪感がたまらなく不快だったのです。
「無駄」なことや「非生産的」なことに「豊かさ」が
隠されているとわかれば、無駄も悪い事じゃないのです。
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この「豊かさ」は、時間などの物理的なこと、
お金・物などの物質的なことが無駄になった時ほど
もともとの「ある・あった」を教えてくれているんです。
気づき・学びなどの自分の中の、可能性が「ある」を
教えてくれているっていう感じですね。
「無駄でもよい」「無駄を楽しむ」くらいでいることが
一番、無駄を生まない考え方なんだなと今は思うのです。
ℹ️今週のコングラボードありがとうございます。
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