
永井祐さんの話
~幕間(まくあい)です~
なんで堂園さんとか阿波野さんばかりがやり玉に上がるんだろう、っていう疑問を持つ人がいると思う。
あらかじめ答えておきたい。瀬戸さんがなぜ堂園さんになるのかはぼくはわからないけど、ぼくは永井さんより堂園さんのほうが断然話はできる、とおもって書いているというところがある。永井さんはもう確信犯というか、心を覗くことができない。
永井さんには「私はあなたをスルーします」っていう名歌がある。
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね
これは確かに穂村弘に祝福されたというか、「批評のリアルの底が抜けた」という文脈でとりあげられて話題になった歌だ。
永井さんは、話題になる歌がたくさんあったんだけど、この歌は読者だから楽しめる歌じゃないか。
もしいきなり「月を見つけて月いいよね」みたいなことをきみが言ってて、それをスルーして「ぼくはこっちだから~」みたいなことをやられたら、「きみ」だったらどうなの? って普通に考えてみてほしい。
「相手の立場になって考えてみ?」っていうスリムクラブのお笑いがあったけど、これは最悪だろうと思う。バツが悪いというか、いきなり「またね」なんていわれて「月いいよね」という気持ちを続けられるわけないし、「何なのこの態度」って絶対キレるよ。
面白いというのはいいけど、これカッコいいとなったら、どうなのか。
ずっと現代短歌は穂村弘の呪いにかけられて、永井祐が「永井祐の視野に入るもの以外を意図的にか、スルーしてるから貧しいんだ」と、ぼくは本気で思っている。
あの「ニューアララギ」の特集とか何なんだろう。阿波野さんはああいう歌でほんとにいいの?と思った。
阿波野さんもときどきやり玉に上がるんだけど、それは阿波野さんが永井さんみたいな「虚無的な人間性」を引き受けてないからじゃないですか。不徹底というか、永井さんみたいにはなれないから、ぼくみたいな意地悪な観客から芸を批判されるんじゃないか。
そんなネオ・アララギなんて言ってないで、口語文語旧仮名新仮名など、日本語なんて選び放題組み合わせ放題なのだから、阿波野さん自身の世界を見つければいい。
まだまだ臭みをとるには早すぎると思う。ぼくは遅く始めたけど、口語新仮名をやって、背伸びして文語旧仮名にチャレンジして、どっちもできるようになってからいま口語新仮名を選んだ。
批評会の挨拶で、「自分は現代短歌のメインストリームにいる感覚がない」という話をして顰蹙を買ったが、体感としてはやっぱりメインストリームにはいてない気がしてしまう 多くの人からの作品への愛を受け止めてもなお、自分は所詮傍流なのだという卑下をやめられない そういう性なのかもしれない
— 阿波野巧也 (@tkyawnss) November 3, 2024
正直言うと、永井祐はミニマリズムの人であるけど、リアリズムの人だと全然思っていない。「現代口語短歌の言葉を痩せさせた張本人」だと思う。
極端な話、20代の人も90代の人もみんな今年歌集だしたら全員現代短歌ですよね。ぼくは吉川宏志さんとか大辻隆弘さんがやはり優れていると思うし、最近の若手偏重はどうもおかしい。
なんで若手だけが現代短歌になろうとするんだろうと思う。
永井さんが見せた風景って競馬で言うブリンカー(遮眼革)に覆われた、ちょっと視野を意図的に狭めた世界。それをリアリズムなんて言ってちゃ駄目だと思う。
だって、永井さんの第二歌集、高木佳子さんの『玄牝』と同時期にでたのに「東日本大震災があった」ってことがぱっとみてわからない。それ、ほんとにリアリズムなのか?
内面世界とか態度がこうだっていう、鈴木大拙みたいな禅の話じゃないですか?
本質は、徹頭徹尾、醒めた目を持った人だと思うけど、その現実世界でリアリストであることとリアリズムそのものを混同して語ってるんじゃないか。色んな人が、「リアルに感じる」っていうけど、みんなリアルの意味を変なふうに使っているんじゃないか。
「自分でもそう体験したことがある」というか、ほんとは想念の問題を、リアルだと言ってるだけなんじゃないかな。
おそらく日本語を正確に使うと、批評は結構なことができる。ぼくはその可能性に賭けてるから批評も書くし短歌も書きます。
だから、永井さんに憧れた阿波野さんが、リアリズムなわけないんだ。正確にはミニマリズムです。
そうすると、メインストリームではないんじゃないかな。
音楽でもミニマリズムはメインストリームになったことがない。絵画ではコンセプトアートとか、そういう傾向で語られる。まあ価値はあるけど、ゴッホほど人気がない。
絵画の王道がゴッホとか、印象派だったりするように、やっぱりメインストリームじゃないという自覚のほうが正しい。
それがあたかもメインストリームであるかのようにとりあげるという人を錯覚させる奇術を穂村弘がかけて、本来のメインストリームであるはずの秀歌性批判なんてやるから若手歌人がみんな間違えるんじゃないか。
と僕は思った。
現代のメインストリームはどこにあるのか。
牧水みたいな旅に出たいなあ…。
いいなと思ったら応援しよう!
