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自分の型がわからない話

最近、以前ちょっと書いた、思い出すだけで「恐怖(トラウマ)の原因」になっていた叔父に勇気を出して電話してみた。いつもこころのなかで父や祖母のことを考えてはいるのだけど、そういえばお墓のことやお仏壇のことを考えていなかった。

考えたり、心のなかで弔っているばかりで何も行動しなければ供養にもならない。そういえばお寺にも一度結婚のときご挨拶に言ったきりで、墓参りは結局できていなかった。一度供養したいと思って、お墓と仏壇に電話したという感じである。

細かいことは書けないが、私はかなり前から「態度」が悪くて呆れられていたらしい。「態度」が悪かったかどうかは全然わからないが、「ふるまい」とか「暗黙知」の部分はわたしもどうしていいかわからず、学校でも浮いていた。

おなじような「挙動不審」みたいなところを感じ取ったのかもしれない。
「この場でこうふるまうべきだ」というTPOみたいなのがあるらしいけど、そういうのが全くわからず、嫌われるのは自分が話ができないせい(当時はなにかの障害だなんて思っても見なかった)だと思って「話し方」ばかり磨いていた。

ときどき親世代から「非常識」と言われ、女子たちからは「こいつキモい」と言われる。それをいくらことばで埋めようとしても、自分の「ふるまい」が変なのだから仕方ない。「ふるまい」を直すことは出来ないけど、たまに自分が磨いた「話術」がハマってくれることがある。

だから「話が面白い」と感じてくれる人には好かれるのだろう。

ただ昔風にいうと、いまでもぼくはただの「気狂い」であり、「なんだコイツ?」みたいに感じられる「ふるまい」を「みなに愛されるもの」にすることは出来ない。そこはもう諦めた。

僕らくらいの年齢から民謡とかダンスを授業として習ったと思うけど、僕はどういうわけか手と足が逆だったり、そもそも和服の衣装を着れなかったりした。

そのたびに先生が「何やってるの?」と怒った感じでいう。手とり足取り教えてるのにおちょくられてると思うらしい。あとは中学では体育祭の踊りとか応援みたいなので何度も居残りさせられた。これは上級生が指導するからたちが悪い。「舐めてるのか」「邪魔だから来るな」みたいに言われたりする。

               ※

最近リハビリのために短歌の会に月一度だけでている。残りの20日くらいは往診とか在宅医療の対象だから、短歌の話をする唯一の機会であり、いろんなことを考えるヒントになる。一首一首の批評をする歌会は出ていないけど、読書会みたいなものだからこういう書き物のタネにはなる。

ぼくは必死で短歌をがんばって、「あの短歌」って言われると「はいはいはい」ってスラスラ暗誦できるくらい必死で短歌を覚えたのだけど、残念なことに「会でどうふるまっていいか」はわからない。

30年前と何も変わっていないのだ。

けっきょく、「どの場でどういうふうに話しはじめていいか」というのは全然わからない。あまり話しすぎないと「印象がなくなる」し、話しすぎると「なんだこいつ」と思われるのだろう。

若い人たちとかと一緒になっても、もう最近は「ズレ」を感じるばかりだから、なるべく既に見知っている人とのみ話すようにしている。相手がなにを感じているか、なんてわからないからもう知らない人に話しかけるのは用がなければしない。

自分の期待は下げておく。自分はこの「文」というかPCの中でだけ何かを言うことができる短歌については詳しい精神障害者だ。ふつうの人のふりなんていくらしても難しいから、自分にできることだけをやろう。毎日毎日PCに向かう。短歌の話題のときは、審美眼のある文章を目指して書く。「ほぼ毎日時評」である。しかしふるまい方はわからない。だから会とかは迷惑になったら行くのをやめるだけだと思う。多少のことでは「出る」けれどね。私にも人権や発言権があるから。

ほんと、対象になった作者には悪いけど、切捨御免である。

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今日の話題は睦月都さんの歌集『Dance with the invisibles』である。スペルがわからないから角川のHPをコピペするために見たら、全然知らなかったが角川だけでなく「現代歌人協会賞」も受賞しているらしい。そんなことではあんまり歌集を買わないんだけど、水原紫苑さんが表紙で激賞していたからかなり早い段階で歌集を買って読んでいた。たまたま会で取り上げられたのでちょうどよかった。

だいたい十歳以上年齢が離れた若い人が話すのを聞いていると、「前提が全然わからないこと」がある。誰の話を聞いてもそうだ。私はこう思いました、で終わる。すごい意識して聞いても、「なんでそう思ったか」が全然わからなくて、前提が違う人にはそもそも前提を共有しようがない。

この傾向はますますひどくなって、僕が若かったときより、短歌の会において、前提を共有する作業は完全になくなった。だから何にも話を広げようがない。なんでそう思ったか、なんでそう解釈するのか、なんでその技法に注目するのか、その理由はない。それを僕なりに踏まえると、「自分の人生で今まで体験したり、感じてきたりしたことをこの歌を読んでこういうふうに思い出したからいいと思った」だろう。

これだと誰でも一通り「自由な」鑑賞はできる。そういう「自由」は妨げてはならない、というより妨げようがないので、何も言えない。

そういう多様な鑑賞(「わたしはこう読んだうんぬん」)のなかで揉まれてきた歌集はたぶん「自由な」歌集なのだろう。LGBTでもなんでも、歌う題材はすごく自由だしユニークになっているし、それを何か想像力を駆使して、別のものに見立てて、私たちにわかりやすいように歌う能力は今も昔も変わらないと思う。

しかし僕はいま、そういうものなんにも驚異を感じないし、憧れも起きない。そもそも人間の想像力というのは、今も昔も変化していない。SFの起源は19世紀からだった。どんなに自由な想像力を駆使しようが、そもそも現在の短歌の世界ではリアリティを評価するような評言はあるけれど、見立ての良さ、美しさ、ひいては想像力の飛翔度を評価する批評用語は、いつのまにか共有されなくなった。

「写生が悪い」なんて思う人がいるかも知れないがそれは誤解である。ちゃんと写生にもアンチテーゼがあったのに、私たちは「それ」を次第に忘れた。あるいは戦争によって私たちは去勢され、多様な美を表現する能力をアメリカ(ひいては欧米)によって奪われてしまった。戦争に負けるとはこういうことか、ということを、現代の「ことばの貧困」をまさに体現した若者のおしゃべりに思うのである。「ことばの検閲」は即効性というより、遅効性のある毒である。気づかないうちに、私たちは「一首一首のことば」をないがしろにするようになったのだ。

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結論だけ言うと、この歌集は「形無し」である。こんなものを激賞した水原さんにちょっと一言申し上げたいと思う。

水原さん世代のほうが、もうひと目で「読んだら誰の歌集か?」わかるくらい細部に至るまでよく練られていたし、これは荻原さん、これは穂村さん、これは水原さん、これは加藤さん、これは大辻さんというくらい、文体だけで誰の作品かさえわかった。

私は歌集を修練する時期、「短歌って凄いな」と思ったけど、若い人の歌集にはそんなことをまったく感じたことがない。私が慣れただけかな、と思ったけど、どうも違う。つまらない。

いま年齢が60代になる人たちはみな同じ型を学ぶから、(いやそれだからこそ)どうそこから個性を発揮するか、という作業を磨くことが容易だったのかもしれない。

しかしそんなことを指摘する人がいなくなってしまったのか、現代短歌は「素材」の贅沢さに比べて「文体」の面で著しく貧困化している。想像力は水原さんの歌と比べても何も劣っていないかもしれないけど、残念ながら「想像したこと」を言葉にする能力(言語化能力)が、若い人の歌は決定的に劣っていて、歴史的仮名遣いなんていれてしまうと読んでいて見苦しい。見立てを最後まで仕立て上げる、意志か実力のいずれかが不足しているからこんな事態になる。それを褒める人達がいるから作者が歌集まで出してしまう。悲惨だなあと思う。

もはや「総合誌の賞」をとってもこのぐらいだったら、先日文章を書いた木下龍也さんたちのほうがまだ「まし」だし、売れる努力をして売れているだけいいのだとすら思う。やり玉に上げた睦月さんには悪いけど、こういう人たちのことを見ていると、口語新仮名(現代文・現代仮名遣い)がいいか、文語旧仮名(古文・歴史的仮名遣い)がいいかみたいな差は、人生をかけた問題ではなく、単に「J-POP」がいいか「演歌やジャズ」がいいかみたいな、音楽におけるチョイスの差みたいなものに見える。

その好みの差でより「通」ぶって見える選択をした歌人たちが、短歌総合誌が用意した賞という舞台の上で酷い舞を舞っている。それをやれLGBTが、とか喝采したり称揚したりするけれど、ここは短歌の舞台である。

短歌という型をしっかり踏まえての「型やぶり」なら素晴らしいけれど、「形なし」ではどうしようもない。これで「総合誌」でちやほや、やれ「文芸誌」でちやほやというのなら、もはや短歌は滅びている。そう、滅んだのだ。いつのまにか私が憧れた短歌は滅び、SF的にいえば短歌という形式を借りた(自由そうな)「短歌のレプリカント」が歩いているだけだ。

残るのは、一見「ほんものに見える・きちんと見える」という総合誌のプライオリティ(ブランド)を借りた高額な歌集出版に搾取された人たちの涙だろう。どっちに転んでもただの商業主義そのものであり、よりましなのは「印税が返って来て、きちんと生活ができるほう」ということになろう。これがかつて「日本語の底方(そこい)」という言い方で、日本語を下支えしていると言われていた短歌の現場で起きていることなのだ。

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私たちが悪かった。もうこの「短歌ブーム」という豊かさのなかで、誰ひとりまともな歌人を生み出せないのは直前の私たち世代の(ポスト・ニューウェーブみたいな位置づけをされた)歌人たちが、仲良しごっこをして若手を甘やかしてきたからだ。

現代仮名遣いが「現代かなづかい」として採用されたのが1946年。それがほぼ定着し、歴史的仮名遣いが過去のものとなったのが1970年代ごろだと言う。私も古文漢文を読む能力はない方だけど、かろうじて近代文学をやっていたのでまだ「そうでない人」よりは読める。ほんとに、年齢が下るに連れて、歴史的仮名遣いの「上手な使用法」にアクセスする機会は失われ、気軽に選択できるものではなくなってしまったのだ。

かろうじて短歌や俳句がそれをまだ表現として許容しているという状態だけど、みずから学びたいという人たちに旧仮名遣いの戦後短歌的な用法を教える人も希少種となった。

誌面に載る評論でも書いたけど、平岡直子さんがほんとうにうまい言い方をしていて、私たち世代ですら歴史的仮名遣いを選択するのは「無免許運転」(『起きられない朝のための短歌入門』左右社)できちんとした勉強が必要だから、とても遠慮していたものだけど、そこから10年15年と若くなった人たちだと、もう古文や漢文の教育は機能していないのではないか。自分たちが無免許運転だと知らないまま公道に出ても誰からも何も言われないのではないか。64年生まれの東直子さんや、72年生まれの雪舟えまさんたちも技法として「ちょびっと」文語を使うということをやったけど、やはり自分たちが無免許であることを自覚していたからか、「変な感じ」はしない。むしろもっとも効果のある場所で使うから、古い言葉の美しさが際立つ。

おそらく東さんと同じく、口語と文語を混じえている睦月さんの場合、「えっ、これファイナルアンサーですか?」みたいな歌がたくさん出てくる。最初、「レズビアンたち」が出てきて、「うん、なかなか新しい概念を美しい題材で包んでいるな」と思っていたけど、特に初期の歌をまとめたという第一章で僕は「なんだこれ」と思い、文語・口語どっちを活かしたいのかわからない歌に見受けられ、歴史的仮名遣いと相まってわけがわからなくなり、とうとう読むのを挫折しそうになった。

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これは睦月さんだけの問題ではない。もう手遅れかもしれないが、その無惨さについて私は一首一首説明するだけだ。ここまで言ってしまったら私は後には引かない。歌人生命をかけて何をもってそういうのか、逐一説明するので刮目してほしい。

簡潔に雨降りて止む朝ありて瓦斯火にパン切りナイフかざせり

これはまず、「簡潔に」がどちらの動詞にかかっているのかがわからない。簡潔に雨が降ったのか、簡潔に雨が止んだのか、「簡潔に」というからにはすごい手早くということなのだけど、「降りて止む」という言い方が形容詞を「受ける」言葉としては時間の範囲が広い言葉で、「簡潔にというのはどのくらいの期間なの?どういう状態なの?」 というのがわからない。

定型という言葉はもう手垢がついているから言わないけど、短歌の短歌らしさの前提は、一瞬で見せることであった。「今ここ」を強調するのが自然だった。「仕立てる(今の言葉でいうと推敲する)」というのは、どうすれば歌が「自然に見えるか」を検討することである。

意識して面白いことを言うのは、意識している人ならできる。ことばの場合、自然に見えるように整えるのが一番難しいのだ。何もなくても何か言わなければならない。わたしはマスノ短歌教から短歌に入信したのだけど、まだわたしは枡野さんが教祖だったのだ。枡野さんの仕立てる技術(現代でいうと嫌いだけど推敲力)はもうほんとすごかった。そんな枡野さんも68年生まれで、ぼくの10個上だ。

日本語は年上のほうがうまいのだ。

このもやもやした読後感をどう表現すればいいのか、私にはわからない。

瓦斯火も怪しい。瓦斯灯(ガス灯)という言葉は一般的だけど、ふりがな文庫をはじめ辞書を見たけど、

瓦斯火は茂吉が唯一散文で使っているだけで、先行する歌で用例を思い浮かばない。「瓦斯」なら言うし、「瓦斯の火」なら言う。

なぜ「瓦斯にパン切りナイフかざせり」と言ったほうが自然になるのに、字余りにして「瓦斯火に」なんて言うんだろう。意図があるに違いないと思ったけど、考え込んでも答えは出ない。これは先行する用例を無視した「型なし」の言い方だと見切る。

型というのは短歌に限らないけど、法律のように「ルール」ではない。だから正しい間違いはないが、わたしたちは意識しないけどたくさん言葉の変化の例を日常会話でやっているから、なんとなく「そういう言い方でもいいかな」というのは自分の語彙の範囲で判断できる。

いきなり「映(は)える」を「映(ば)える」と読んでもピンとこない。「夕日が映(ば)える」なんて読んだら気持ち悪い。だから一度正しそうな用法を噛ませて、見映えがいい→インスタ映(ば)え→映(ば)えるみたいに、ステップを踏んで現代語(みんながわかるよう)に変化させているはずだ。

短歌は、最初に出た案を、たとえば多くの人が推敲という作業で仕立て上げるわけだけど、わからない人はそもそも自分の感性のなかにカッコいい日本語がない。つまり、どういう日本語を使ったらカッコいいかダサいかがそもそもわからない。この人もそのクチじゃないか、そんな疑念を持ったところに次が来る。連続でいこう。

あかねさす銀杏並木のはつ冬の黄葉(くわうえふ)するつてきもちがよささう

旧仮名だから黄葉のルビはあっているのだけど、それに気を取られたのだろうか。「あかねさす」は枕詞だ。最近、枕詞の使い方がなんかおかしな事になっている。枕詞はとても慣習的な表現で、ある言葉の前に置くのが通例だ。

「修辞パラダイス」とか「修辞ルネッサンス」なんてものが流行ってから、古語が古語の本来の役割を見失ってしまった。私たち現代人は「遊び」だからなにをしてもいいみたいな風潮ばかり流行して「そらみつヤマト宅急便」とか、「うまさけ美和」(作者が大田美和さんだから人名)なんて言い方が流行ったけど、これは「型破り」なやり方で、それですら眉をひそめる人がいる。

本来の古代の「うまさけ」は三輪山という奈良にある山の直前にかかるとか、そんな現代人にはわからない暗号みたいな、特殊な用例しかない。私たちは古代人が枕詞を使う「意図」がわからない。だから古代の人の意向を無視して、「語感が似てればなにをやってもいい」ということになるのだろう。古代の人から見たら、「なんて不調法な人」とか「なんて野暮ったい」って思われるだろう。「花見の場所取りに朝から晩まで新入社員を座らせているレベル」でやばいことかもしれない。

「枕」というのは寝具の枕ではなく、落語なんかで、「話のまくら」というのに近い。本題に入る前に「まくら」をやる。ぼくは「自分のふるまい」のことを今回「まくら」にして、この文章の本題に入ったけど、まくらは本題の直前にやらなければおかしい。

おそらく、古代では祝詞(のりと)を読むという儀式で、神様の前でなにかを寿ぐ(ことほぐ:ことばでほめる)ために枕詞をたくさん使った。ひさかたの光も、ぬばたまの闇も、うまさけの三輪も、すごくいい「ことほぎ」の言葉だっただろう。

あかねさすはなんの枕詞か。額田王の歌が有名すぎる。

あかねさす紫野のゆき標野のゆき野守はみずや君が袖ふる(額田王)

これは直後の紫を、ことほいでいる(ことばで褒めている)のだ。

だから辞書では「日」「昼」「光」「朝日」「紫」「君」なんていろいろなものにかかるから一見とても「自由そうな枕詞」だけど、「銀杏並木」にかかっているとかないだろう。「黄葉(くわうえふ)」の可能性もあるけど、こんなふうに「銀杏並木のはつ冬の」なんて、長々と形容詞を連続させたら、もう何をほめているのかわからない。何かを導き出す序詞と、作者は区別がついてないんじゃないか。読む側も読む側であかねさすなんてわからないから、感覚がいいとか質感がいいとか褒めるのだろうか。

陽の光はイメージ(歌を読んだあとの映像)ではかろうじてみえたけどさ…。でも枕詞って、ことばにかからないか?…。これは無理やりな気がする。

もはや「型なし」すぎる。現代語でいうとトホホ過ぎる。歌の眼目が下句にあるのなら、上の句で読者をこんなに混乱させないでほしい。

さみしいと言ってくれたらいいのに 柚子の実ほてる坂道をゆく

会ひたきといふ感情もすでに恋なのかな 同じ夜を眠る犀

十二月の顔に触れたり 夜の柳さらひてきたる風が冷たし

「あかねさす」で幻滅したところで、ページを跨いでこの三首である。

「型なし」な上に「口語と文語をミックス」しているとなるから、「これはすごいいいな」という東さんや雪舟さんのミックスからもさらに後退していて、さすがに私はここで一度本を閉じた。

読書会がある、となって、かろうじてしまいまで読んだけど、二章、三章ではさすがに盛り返しているけど赤点を回避したのかはわからない。

歴史的仮名遣いで文語口語チャンポンは、文体の強度としてなにを発展させようとしているのか。新古典調の水原か、風雅な口語文語混交体の東・雪舟か、戦後短歌調の大辻なのか、それとも前衛継承の荻原裕幸の「口語旧仮名」なのか…。まさかとは思うけど岡井のおしゃべり口調なのか…。もはや表現の文体としても例がなく、型があるのかないのか、わたしはただ頭を抱えるだけだ。

最後まで言って見切って結論をいう。もうちょっと待って欲しい。

さみしいと言ってくれたらいいのに 柚子の実ほてる坂道をゆく

字足らずではあるけど、なんで字足らずなのか、特に三句目が四音になる字足らずはかなり冒険であり、それに挑むだけの強度があるのかと思ったら「言い差し」だった…なんだ、これは。

本来は「と」とか補ったり、「いいのにな」ときちんと5音にするのだけど、空白になってるから上下のつなぎがゆるく、それを補強するだけのなにかが三句目にない…。一応内容を見るけど上の句はセリフらしい。

これもまずいけど、「柚子の実ほてる」ってなんだろう。「火照る」だよね。火照るって体の一部が熱くなることだけど、一体、柚子の実のどこがどうほてって坂道をゆくのだろう。意味がまったくちんぷんかんぷんである。

柚子の実が日の光にさらされたのか、ゆず湯かなんかに入ったのか、無理して推測はできるけどこれは、なんだ…。火照るの意味、辞書引いたのか…。
それともカタカナのホテルをひらがなで凝って言ったのか。

柚子の実「が」なのか(これは変)、柚子の実「で」なのか、でだとしたらでを略す表現上の効果はなんだ?

これも「形なし」と唖然としながら見切る。

会ひたきといふ感情もすでに恋なのかな 同じ夜を眠る犀

唖然としているところに「会ひたき」って何?

これってどっち?
文語ですか口語ですか?

会いたしって言いたかったのか、それとも会いたいと言いたかったのか、文語口語どっちにしたいかわからない。

現代語で助動詞の活用をみたけど、「たい」という助動詞の現代語で「たき」になる活用がないので、文語(古語)だろうと思うけど、用例がわからない上にそのあとがもう、「すでに恋なのかな」という口語である。読者はどんな言葉がベースが判断出来ない。まったく意味がわからない。これも「あとかたもなし」と見切るほかない。

十二月の顔に触れたり 夜の柳さらひてきたる風が冷たし

最後でこれだけど、これも読解は謎だ。謎すぎる。

最大の原因は、「の」だろう。

この「の」は主格の「の」なのか。それとも「十二月の顔」というふうに所有をあらわす「の」なのだろうか。十二月が(自分の)顔に触れたのだろうか。十二月の顔に(自分が)触れたのだろうか。下の句は、風が出てくるから、頬を触れたのは風なのかと思うけど、風=十二月なの?

なんかもう説明できなすぎる。

もう見切ろう見切ろう。これも形なし。これで終わりだ。

             ※

さて、これらはチョイスしたのではない。

歌集の17ページを読んでいたら四連続ででてきた。

さすがにこうなると「短歌ではなく、同じ日本語を使ってるのにわかりあえないかな」と思う。まあ誤用とはあえて言わないけど、まさかそもそも用例があるのかないのかわからない言葉を「わたしはこう解釈した」って解釈で埋めてないですよねほかの読者の方は…。

「形なし」と「型破り」の違いがわからなければ、もうこれを読んで欲しい。

結論をいうと、日本語で書いてあるかわからない若い人が作った歌集が短歌として出回って若い人に人気らしいのだけど、もはやこれは怪異としかいいようがないとぼくは思った。

人間の言語で話しかけてしまふ どうしたのひとりなの                        

気づいたら作者もそう言っていた。なるほど、ぼくがいたところは人間世界じゃなかったのか、そうか…。と目のまえの若い人たちがやっている短歌が生み出す現象を感得した。この歌が一番好きだ。

                ※

ぼくは最近世阿弥の『風姿花伝』をなんとか読み続けている。

もちろん能の本なんだけど、あれは芸道の書であって、いろいろ芸を学ぶための「言い方」(批評用語)が書いてあるのだ。

わたしたちは「ものまね」というとコロッケしか思い浮かばないけど、これは世阿弥が使っている由緒ある言葉だったりする。物真似は、役者の演技のことだと言っている。日本語にはそもそも「芸のため」というか、そういう「美しく見せる」ための言葉はたくさんあった。

                ※

よく極端な政治的主張をする人(「反原発」とか「天皇万歳」など)が、「そんな事をいって逮捕されたらどうしますか?」って聞くと、絶対に政治的な主張が違っても、「逮捕されるなんて本望じゃないか!」みたいな感じでいうのを何度も聞いた。誰に聞いても答えが同じで、別に思想犯とか騒乱罪とか破防法適用されて逮捕される覚悟は出来ているんだな、と思う。少なくともそれをかっこいいと思っている。

法律に違反するか違反しないか、そういう善悪の判断では日本人はものごとをみていないのだと思う。それがわかると、彼らの発言はダサい。

同じ人(歌をやっている人なら)にこう言ってみる。

「あれ、この歌のここはこの旧仮名の使い方がちょっと変ですね」

すると、「あっ!すいません」と言って恥ずかしそうに直すケースも何度もみてしまった。

これも思想問わず。つまり日本人の倫理観というのはそんなものだ。善悪でいう「悪」になるのは別に構わない。(中島みゆきが「僕は悪にでもなる」と歌っていた)

しかし、言葉遣いとかが正しかったり間違ったりすると、急に恥ずかしくなる。だから善悪の判断はしていない。美醜の判断で、急に恥を覚えるのだ。

そういう国民性というか、民族性なのだろうと思う。

ダサいとかキモいとかカッコいいとかそういう言葉は全部「みため」というか「外側」の判断である。それは江戸時代の粋と野暮となんの違いもない。

現代はそこに生き方なんて問わないから、見た目を嘲笑うだけだ。おそらくいい悪いではなく、カッコいいダサいが、世の中にはびこっている。それはいくら西洋化しても変わらない。むしろいじめの原因だろう。

だったら、きちんと自分の感覚を日本語で言い直すほうがいい。僕は江戸時代の野暮のほうが好きだ。おかみさんが、「そんな野暮なこと言ってないで金貸してやんな」って亭主に言うみたいに、考え方そのものも野暮ったいとか粋だとか言えるのだから。こっちのほうが幅広い。

もう日本語の根っこを支える人はだれもいない。
60代の歌人がみんな死んでしまったら、僕は誰に話を聞いてもらえばいいだろう。

それこそ、「ダサい」とか「そういうのキモい」とか若者にいわれながら、この日本語が変だとかいい続ける自分の姿しか思い浮かばない。それこそ恥そのもの、であるからほんと2年くらいでこの世をさろうと思っている。上皇陛下の臣民と自覚して殉死するというのも、美学としては悪くないかもしれない。

結論としては、私はこんな感じなら、もう若い人の歌集は買わないだろう。若い人には話しかけられない限りこちらから話しかけはしない。

そもそも誘われない限り若い世代の批評会なんてでないから、安心して欲しい。

それなら文章を書いている方がいい。

もしこういう説明が必要なときがあったらなんか連絡して欲しい。
送っていただいた本はつたないですがきちんと感想を書きます。
夜も更けた、左様なら。

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