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大震災と想像力



現代口語短歌の敗北

1.歌人「ぼく」の完敗


2011年3月11日に起こった東日本大震災は、ぼくたち歌人にとっても大きなショックだったと思う。ぼくは完全に打ちのめされてまったく歌を書けなくなったし、眼の前の現実を受け止められずに心が消耗するばかりだった。

ぼくは病気でヤバい状態だったから、ボランティアにも行けないし義援金も1000円くらいしか出せない。いつも生死ギリギリみたいなところにいて、「自分は何も出来ない」という無力感に苛まれていた。

ぼくだけが過剰に感じていただけかもしれないけど、あんな地震と津波が襲ってきたとき、「なにかできる」なんて考える人のほうが少ないと思う。実際、リアルな話として「支援」が必要とか義援金が必要みたいな言説がテレビで流れてきてて、ぼくが人としてできることと、短歌をやっている「歌人」としてできることには大きな開きがあった。

歌人は歌を作ったり、がんばっても文章しか書けないから、人にがんばれなんて言えない。「人」としてはもっと悪くて、ぼくは入院とかいろいろ支援が必要だったから、人助けしている場合じゃない。自分が「そんな状況」だということも認知していなくて、混乱して焦るばかりだった気がする。

余震が収まり、物資が行き渡り、もろもろ落ち着いてから、さだまさしさんが「そろそろ歌の出番かなあ」なんてひょこっと石巻に行ったり、瀬戸内寂聴さんが中尊寺をでられて被災地で人生相談したりしていた。

その様子をテレビで見て、芸能だ芸術だ、なんていってないで、「芸」全体で、「できることをしよう」みたいな意識が高まっていた。ぼくはそのなかであまりにも手札が少ない「短歌」という芸で一体なにができるのだろうと考えたけど、そのときは何も思いつかずに、確か寝て、調子のよいときはサッカーゲームばかりしていたと思う。

2.永井さんの第二歌集

実はこの状況は、口語のリアリズムの更新なんて言ってた現代短歌にも深刻な被害をもたらしたと思う。おそらく「被災地にいてその場で書くことができる」歌人のほうがリアリティがあるみたいな論調も生まれたし、変なことをいうとすぐ「当事者でもないのに不謹慎」なんて叩かれる状況だったと思う。

一体いままでのリアルは何だったんだろう。

ぼくはこんなときに、ちょうど「評論の構想」みたいなのを考えていて、
前も書いたように、「ここにいて遠くを思うリアル」なんて言おうとしたけど、その意は全く伝わらなかった。1年経って書いた評論は、結社内では賞なんてもらったけど自分のなかでの出来栄えは全く不本意だった。言語化出来てない。そんな印象だ。

今になって思うと、ぼく個人の敗北などではなく、現代語の語彙の少なさそのものが、震災という出来事に全く耐えられなかったのだと思う。みんなどうしていいかわからない中で、「リアリズム」だけが生き残っているように思えたけど、たとえば口語リアリズムの代表格の歌人たちは「みな震災がなかったように過ごす」というか、生の実感や、言葉の楽しさのみを歌うという態度を取った。

誰の歌をあげてもいいけど、永井祐さんにする。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから
ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

永井祐『広い世界と2や8や7』(左右社:2020)

2020年に出た『広い世界と2や8や7』は一首目から全速力の変化球で、「うん永井さんはやっぱり変化するし球も速いなあ」とぼくは目を丸くすることになった。

おそらく、一首目の「ジャケット」はリフレインではない。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

永井祐(前掲書)

ジャケットで、「ジャケットでしないことをする」みたいな永井流の「言い直し」のテクニック(技法)だと思う。

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

永井祐(前掲書)

2首目も全速力だ。通常、歌は575+77なので、調べは575の三句目の「から」で一度休止する。読者も韻律に合わせて立ち止まる仕掛けだ。「青いから」は、読者に「変な「から」だな」ということを十分意識させる「から」である。当然ふつう読者は「ライターが青いから」「そこでなにかが起こった」なんて思わない。

もしかして「ライターをくるりと回す」と「青いから」の間にもすき間があって、青いライターではないのかもしれない。韻律がメインで、意味は人によって解釈が違う。このように「くるり」と変化する韻律の切れ目を見切ると、歌を解釈できる多様さが楽しい。ものを自在にコントロールする韻律の良さで、楽しく読めるだろう。

しかし。

その時、残念ながらぼくは永井さんの歌集を最後まで読み通す「気」になれなかった。

理由はどうでもよくて、そんな「気」になれない。
こういうのが一番困る。

永井さんですら読む「気」がしないのだから、当事者かそうじゃないかということに関係なく、短歌が読めなくなっていた。いつもあんまりTwitterの歌なんて見ないけど、そのときは特に「Twitterの恋の歌」とか、「短歌イベントの報告」とか、とにかくまったく見る気がしなくて、タイムラインに短歌が流れてきてもぼくは目に入りはするけど、読めはしないみたいな感じになっていたと思う。

短歌を書いていたけど、短歌を書いている実感が薄くなってきた。ぼくは短歌をやっているのか、57577を書いているのかさえわからない。書くと当事者性を喪失する。書けないと沈黙するしかない。だいたい沈んでいるとき楽しい歌を読んでも「楽しい気持ち」にはならない。そんなとき、どうすればいいんだろう。

3.「もの」と「こと」のリアリズム


本来は「ものごと」というふうにセットになっている「もの」と「こと」だけど、たとえば永井さんを思い浮かべてもらってもいいけど、現代の歌人はものに心を託して歌えるけど、「こと」にこころを託して歌える人は少ない。ことは「できごと」の意で大丈夫だ。永井さんは「ジャケット」で変化球は投げれるけど、「原発」で変化球を投げれない。

今では「社会詠」とか「嘱目詠」なんて誰が分類したのかわからないジャンルに入れられてしまうけど、岡井さんも三枝さんも幸綱さんも、みな安保闘争にこころ寄せしている。戦争のことも「もの」に託して心を寄せている。少なくとも「もの」と「こと」を等しく心寄せができるのが戦後短歌だったはずだ。 

どの論理も〈戦後〉を生きて肉厚き故しずかなる党をあなどる/岡井隆 

岡井隆『土地よ、痛みを負え』(『岡井隆全歌集①』思潮社: 1987)

党は「もの」なのか「こと」なのか曖昧だ。いずれにしても「こと」への心寄せが強い。〈戦後〉を生き抜いた論理は党の論理だけじゃないという見識に強く納得する。

花を捧ぐる広場あかるく爆死者のどの碑文より遠く華やぐ/三枝昂之                

三枝昂之『やさしき志士たちの世界へ』(『三枝昂之歌集』砂子屋書房 :1988)

赤軍派を「志士」なんて言っている三枝さんは、現代を知っているぼくらから見れば「あり得ない」のだけれど、「爆死者の碑文」は「もの」を見ているようで、その背後の「こと」を強烈に喚起させる秀歌だ。

水兵の亡びの鉄を洗い来し潮(うしお)のみどり生者のみどり/佐佐木幸綱 

佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』(『佐佐木幸綱歌集』国文社:1977)

戦艦の沈没に心を寄せた歌で、彼らの死に場所となる海の「みどり」と、戦艦を洗っている兵士(生者)の生の象徴である「みどり」の色が違うことを歌っている。背景に戦争という濃密な「こと」を想起させる。

この時代の歌を読んでいるとあれれ、と思う。現代口語短歌は「もの」のリアリティしか基本歌わない。「こと」のリアリティはどこへ言った?という疑問がでてくる。

震災以後は、ぼくだって人のことを言えない。そもそも震災以後はぼくもあまり歌を作ってないし、その後も震災そのものには蓋をしていた。どうも口語のリアリズムにできることは「沈黙」あるいは「見ないふり」だ。しかし、ぼくらがあえて渦中の栗を拾わなかった中で、「ま、いっか」って感じで、ひとりだけ渦中の栗を拾いにいった現代短歌の旗手がいる。

斉藤斎藤さんだ。

4.斉藤斎藤の勇気と苦悩


斉藤さんの作品、「証言。わたし」は、当時震災で打ちのめされていた「現代短歌まわり」に妙な衝撃、というには微妙な反応をもたらす結果になった。震災そのものに肉薄した短歌群だったからだ。ぼくはそのとき全然斉藤さんの作品をウォッチしていなかった(「人体の不思議展」(2008年作)くらいで止まっていた)けど、総合誌をちょくちょく見ると、なんか「よく言った!」という感じではないし「不謹慎!」という反応でもない、どうも微妙な空気が流れたのだ。ぼくはたまたま自作が載って送られてくる総合誌などで目にする、斉藤さんの歌集を俎上にあげるときの歌人たちの妙な困惑を覚えている。

実はぼくも2017年頃に歌集を買ったのは覚えていて、一読、凄そうな歌集だというのはわかっていた。しかし、それについて書く「気」になったのは2024年の今なのだから、ほんとに長い時間がかかっただと思う。

第二歌集『人の道、死ぬと町』には2004年から2015年までの作品がすべて収められている。2011年、のようにきっちり作成年度まで入れられている。2011年は、開くと、すぐ、「震災の歌」のように見える。

斉藤斎藤さんは確か「当事者」ではないはずだった。下手すると不謹慎とか言われる。なんかそういう外野の言説を取り除かないと、この歌集にまっすぐ向き合うことができない。そんな気がしていた。

しかし、このTwitter一択のような環境に身を置く限りは、「当事者でなければ代弁するな」という声が収まっても、「炎上」なんて見ない日がないように思われた。Twitter(社名が変わってX)なんて、ただの企業のサービスに過ぎないのに、僕はそのプラットフォームにしがみついてこころをがやがやがやがやさせていた。

きっちり読む気になったのはそもそもぼくがTwitterを辞めたからだ。そしてぼくは当時を振りかえりつつ、「イマジナル」なんて批評用語を勝手に作って、ようやく何か言える気がしている。

少なくとも「イマジナル」という批評用語でぼくは、今まで附に落ちなかったことがぼくのなかで附に落ちた。これでぼくは「リアル」とは別の基準で斉藤さんや平岡さんを語ることができる。斉藤さんの第二歌集は「リアルが絶対軸にしかならなかった」現代で「当事者にはかなわない」という問題を抱えながら「リアリティ」を求めて対象に迫らざるを得なかった作者の苦悩も同時に刻まれている。

歌を引いてみよう。

ただいま 波が押し寄せて おります
じいちゃんこっちこっちじいちゃん上がってこぅてば くそっ、手も足も出ねえよこれじゃあ/斉藤斎藤
撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ

斉藤斎藤『人の道、死ぬと街』(2016:短歌研究社)

斉藤斎藤さんの作風は、いつも人を食ったような表情で、なにげに「おもしろみ」のある「リアル」を「パッ」と出してくるのがいつもの手法だと思う。のり弁の歌を思い浮かべてもいいけど、こんな歌。

誰もいなくなってホームでガッツポーズするわたくしのガッツあふれる/斉藤斎藤

斉藤斎藤『渡辺のわたし』(2004:BookPark)

『渡辺のわたし』から。これは「平穏な日常」というかいま平穏な状態にいて、それを読む人の「こころ」が平常運転だから、この人を食った感じで「ガッツあふれる」なんてパッとだされると笑える。

ところが、同じ歌を読むとき、非常時ではどうか。「人を食った態度」で臨んだらまず持って怒られる。場というか、震災のように「歌舞音曲」が憚られるような状況は間違いなく非常事態だ。今回の震災では、津波の被害だけではなく原発事故も起こり、多くの方が被災者になった。そんななかで働く作業員の方の気持ちや、被災された当事者の方の気持ちは、わたしたちには到底推測出来ない。

ただ、人間は誰しも自分のスタンスというか、ものを見たり歌を作ったりするときの手癖まで急には変えられない。斉藤さんはおそらく歌では「ぱっと出す」ように見えるのだけど、そうなるまでにはかなり慎重に物事を注意深く見ているはずだ。

斉藤さんの歌は軽薄に見えるけれど、歌を作るまえの「見る行為」に置いては、は斉藤はとても誠実な観察者だったはずである。周到に見ないと「人を食えない」と思う。

5.リアルを探す旅


奇妙な状況が起こった。

それが「証言、わたし」である。斉藤さんは「人が死ぬ瞬間」をいきなり接近してパッと出したように作った。もちろん斉藤さんは死んだことなどない。むしろなんやかんや言って、生を肯定する派、だと思う。

じいちゃんこっちこっちじいちゃん上がってこぅてば くそっ、手も足も出ねえよこれじゃあ/斉藤斎藤

この歌の「手も足も出ねえよ~」は一見、リアルに見える。しかし、ほんとにこういう状況になったら歌は作れないから、斉藤さんは実はイマジナルに書いているはずで、いかにもリアルっぽいリアルにすぎない。他の歌人もそんなことはわかっているのだけど、「これは虚構でしょ」というとこの作品を否定しているように見えてしまう。しかし、この歌にかかれた下の句はとてもリアルっぽい。

一体、リアルとは何か。リアルでないと当事者性を問われる時代に、リアルに書くとはどういうことか。それが斉藤さんが短歌を作ることで引き受けた課題ではないか、とぼくは勝手に推測する。

斉藤さんはこのあと逡巡し始めて、それが歌になってきていた。次第に斉藤さんのこころの誠実さそのものが歌ににじみ出る様になってゆく。

悲惨な映像をくりかえし見てしまうたびに、ぼくはぼくの死、から遠ざかるのだとすれば、ぼくらはぼくらで一日、 一日をたのしまなくてはならないね。ていねいにたのしむことでぼくは一日、一日ぼく自身の死に近づいてゆくこ とができるのではないか、と、それは心底そう思うのだけれど、この考えは何から遠ざかろうとしているだろう、か。

この津波から学ぶべきこと特になくデーブ・スペクターにいささか学ぶ
 
        
(中略)
がんばろう浦安 それはがんばろう 無印良品でチノパンを買う
被災地をこの目で見たい 松戸へは右折うながす標識の下
冷静に逃げ遅れたい 行きつけのコンビニにいてちょっとだけ泣く

斉藤斎藤「それから四月の終わりにかけて」(前掲『人の道、死ぬと街』所収)

嘘まみれの言葉を並べるメディアに対する正直な気持ちの吐露。嘘っぽそうな「がんばろう」に埋もれそうな、ほんとうに頑張らなければいけないことに対して、「それはがんばろう」と心のなかで強調する作者。自分がリアルにこだわっていたのに、世の中は嘘の言葉にまみれていたということに対する失望のようなものを、ぼくはこれらの歌から読み取る。

そして斉藤さんは「リアルっぽいではない、ほんとうにあったこと」をきちんと見つめるために、実際に被災地に赴くことを決意する。

斉藤さんの連作は、「それから四月の終わりにかけて」を経て、実際に現地へ取材する過程で、「嘘の言葉」に対する「ほんとうの言葉」を探しているように見えた。「ほんとうの言葉」とは何なのか。「みんなが嘘を並べたてる世界」で唯一信じられるのは自分のこころのなかに沸き起こってきた言葉だけである。世の中への失望と怒りと哀しみ、疑問・そういったものが随所に噴出する作品が目立つようになった。

「私の当事者は私だけ、しかし」という2013年の一見、散文のような連作を経ておそらく、斉藤さんはようやく震災後の歌を生きれたのかもしれない。「世の中のほんとう」と「自分のこころのなかのほんとう」を対比させ、読者に自分のこころを直接ぶつける姿勢を強く感じる。

斉藤さんは「人体の不思議展」や「今だから、宅間守」の頃から、直接的な怒りを対象に向ける歌を作ることがあった。おそらく彼は「「本当が大事」といううそっぽい磁場」のなかで、「本当の言葉を求めるこころ」を希求する歌人である。ぼくはふと、吉本隆明の『転向論』を思いだした。変わっていく現実のなかで、変わって転向することの正しさと、頑なに正義にこだわる正しさ。
どちらがより正しいのかが吉本の問いだったように思う。

口語短歌の歌人が「この問題を見なかったことにする」ような文体のなかで、唯一斉藤さんのみが問題を自分のこととして引受け、一人勝ちしていたことを忘れてはならない。それは口語で歌う若手歌人たちの「斉藤以外全部敗北」としか言いようがないと思う。私たちはリアルの意味を少しずつずらしてしまっているように感じる。斉藤さんが私たちに示してくれたのは、ものをありのまま見るリアルよりも、本当は目に見えない「心のリアル」を歌うことの重要性だと思うのだった。


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