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「想」の歌人、笹井宏之

同時代を生きた人とあとからその場を見つめる人ではものごとを捉える順序が全く異なる。ぼくも一世代前の評論を書こうとしていたけど、ニューウェーブの頃をリアルタイムで生きてきた人は、東直子さんを「小林久美子さんの妹さん」として捉えている人が多い、という事実にとても驚いた。

考えてみればぼくが初めて衝撃を受けた歌人、笹井宏之さんについても、ぼくがリアルタイムで受けた衝撃と、あとから笹井さんを知る人には大きな知る順序の差がある。

そういう順序については誰も何も言わないのだけど、たまに変な感じをもたらすことがあるから注意が必要だ。

「笹井宏之は、日本の歌人。歌誌「未来」所属。」というWikipediaの記述は間違いではない。間違いではないのだけど、ぼくの順番からして大事な事実が書いてあっても、それが読者に意識されることがないから、この違和感はぼくだけが感じる違和感ということになる。

ぼくは2005年、はじめて読んだ笹井宏之のこの冒頭の1首に恐ろしい衝撃を受けたのだった。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい(笹井宏之)

笹井宏之「数えてゆけば会えます」『ひとさらい』所収:参考文献は下にあります

なんだ、これは。

とぼくは思った。今までみたことのない衝撃がガツンと体中に響き渡るような気がした。2005年、ぼくはちょっとずつ現代短歌に興味を持っていて、中澤系さんの銀色の歌集『uta.0001.txt』とか「短歌ヴァーサス」を少しずつ買い始めていたと思う。

記憶の話だからあんまり定かではないのだけど、でもこの1首をぼくは「候補作」として掲載されたインターネットのサイトなどで、とにかく受賞前に知っていた。で、慌てて新潟の自分の家からPCで、普段そんなこともしないのに笹井宏之さんのブログか何かを見つけて、「すごいですね」みたいな声をかけたと思う。

ぼくは2005年ごろから当時のインターネットの短歌投稿ブログや、たまに「夜やぷちぷちケータイ短歌」に投稿をはじめるのだけど、恥ずかしがり屋の自分が「短歌の投稿」に手を染めるなんて当時ではありえないことだと思っていた。

その「恥ずかしさ」を超える勇気のみなもとになったのは、あきらかに笹井さんが「枡野さんや笹さんの短歌投稿ブログに参戦している」という
事実も、強く影響していたのは間違いない。

投稿前に「ゆあたり」だったぼくのハンドルネームは「cocoa」に代わり、本名を晒すほど短歌にコミットする勇気も自信もなかったぼくは、しばらくこのコテハンで投稿をしていた。

「はなびら」の歌に感じた「衝撃」をぼくの口で説明してみる。

主人公は目が見えなくて点字を使っている。(そんなことは誰も考えたことがないけど、笹井さんは目が見えないなんてことはないから笹井さんのちょっとした成り代わりだ)。

あるとき、点字で「はなびら」という4文字を主人公がなぞった。そしたらその人のなかに「ぱあっと、何らかの花の想念が胸いっぱいにひろがった」。それにしばらく主人公は「ああ、」と感嘆の声を上げる。そのあとゆっくりと「これは桜の可能性が大きい」とこころのなかでその「想念」を言葉にする。

「可能性が高い」ではなく、「大きい」と言って効果を上げているのは、作者が胸のなかに広がった「想念」そのものの大きさを表しているからだ。彼はそれが桜だと確信はできない。桜そのものを見たことがないのだから。

なんとピュアな歌だろう。そしてなんとこころの容量の広い、ゆたかな歌だろう。彼はそのゆたかさを確実に読者に伝えるために、「点字」というちょっとした道具をつかった。笹井さんと主人公が「違う人」というふうに言えるのは、「主人公が今まで一度も「桜」を目にしたことがない」という設定を使ったら、ちょびっとかなしみ度が高くなるからだ。

こんなもの、見たことがない。

とぼくはおそれを感じた。この豊かさのなかに自分が加わりたい、そんな「熱」を僕自身が感じたから、慌てて短歌の世界に参加するために、東京へでてきたのだった(記憶がはっきりしないが結構衝動的に出てきた)

その後笹井さんは短歌投稿ブログで暴れ回り、枡野さんも笹さんも「こいつはヤバい」と思っていたはずだ。

ぼくは一つもとられずに、(そもそも短歌なんてわからないから)才能の違いに打ちひしがれていた。ぼく自身も「かなわんなこれは」という感じはしていて、とりあえず自分にできることをやらなきゃと思っていたはずだ。

ぼくがはじめて笹井さんの歌に衝撃を受けたのはこの、「数えてゆけば会えます」という笹井宏之さんの「第4回歌葉新人賞受賞作」の一首目だったけど、この時系列について語らないとぼくが感じた衝撃は、他の人にはわからない。

歌集『ひとさらい』ではこの「数えてゆけば会えます」は確か巻頭にはない。途中くらいでぱっとでてくるから、笹井さんの一首目が「この歌」、という感覚を持つ人は後から読んだ人にはいないだろう。リアルタイムで笹井さんに「やられた」という感じを持った人でないと、おそらくわからないだろうと思う。


ぼくは笹井さんと張り合うことを断念してはやばやと結社に入った。しかしそのあと笹井さんもなぜか「未来」に入ってきた。2007年の話だ。

「なんで?」っていう感じだった。あなたインターネットがあるでしょう、と思っていて、「こっちまで視野に入れてこなくていいのに」と思った。何も聞いてなくてぼくはそのことを知っておどろき、当時あったメーリングリストに「え、笹井さん?」って真剣に叫びのような驚きのような言葉を放った気がするけど、笹井さんからは「よろしくお願いしますね、先輩」みたいな型通りのいじりが来た。ぼくは「先輩」という語におののき、「俺この人に先輩なんて思われたくないんだけど」と思った。

そのあとぼくが笹井さんと並走した期間はわずかだ。絶対負けるかとどんどこどんどここっちは歌で「いろんな出し物」をしていたから、結社や当時の仲間に育てられて歌を作れたと思っているけど、笹井さんはたった1年くらいの活躍で早逝し、彼と一緒に作った思い出はおそらく「新彗星」という雑誌の創刊号だけになる。創刊号は笹井宏之特集で、その2号後に追悼特集が組まれるという、笹井宏之さんのための雑誌になったようだった。

ぼくは創刊号の原稿集めをしていて、笹井さんから自分のPCに直接原稿を送ってもらうという栄誉に預かった。

「昏睡動物」と書かれたそのタイトルは、なにか笹井さんのゆたかさを暗示していたような気がして忘れられない。こんな歌を思い出す。

感覚のおこりとともにゆびさきが葉でも花でもないのに気づく(笹井宏之)
堀り下げてゆけばあなたは水脈で私の庭へつながっていた

笹井宏之「昏睡動物」『てんとろり』所収(参考文献は下にあります)

「感覚のおこりとともに」というはじまりがぞっとするほど美しいのだけど、それを辿っていくと、作者はなにかに気づく。それは自分の「ゆびさきが葉でも花でもない」ことだという。

つまり「感覚がない」ときは彼は自分の「ゆびさき」が葉であったり花であったりしたということだ。おそらくこれは夢の歌だ。夢から醒めた自分はそのような葉や花ではなかった。笹井さんの夢、というかイマジナリーの起源がわかるような気がする。

わたしたち人間は、擬人法と言って、水脈や水のようなものを「人」にたとえるのは見慣れている。しかし、あなたを「水脈」と感じる凄さはなかなか説明出来ない。現実がいきなり夢となって、あなたが「私の庭へつながっていた」。そんな「想念」が彼の作品の原動力なのだと思った。

スパゲティ素手でつかんだ日のことを鮮明に思い出しまちがえる

前掲書

最後の歌は、彼の記憶に関する歌だった。スパゲッティはおそらくゆでた後ではなく、ゆでる前の硬いスパゲッティだと思うのだけど、それをわしっと素手で掴んだ日があるということなのだと思う。その日をありありと思い出すのだけど、同時に間違えてしまう。そんな人間の「記憶の想起」についての歌だと思う。彼の夢や記憶がとてもありありと「ゆたかさ」をはらんでいたことを今でも思い、笹井さんと言えばスパゲッティだよなと思う。

批評会で穂村弘さんは、笹井さんの

みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム

みたいな歌を引いて褒めていた。気がついたら、ぼくが衝撃をうけた歌ではなく穂村さんの笹井宏之観みたいなのが標準になっている。ぼくはこんなトホホな歌「だけ」を、現代歌人の「貧しさ」の象徴としてとりあげるかのような穂村さんのこんな刷り込みにはいつまでも反対し続けなければいけないと思った。


ぼくは笹井さんの「想」のゆたかさをいつも思っていた。彼の充実した歌をいまもときどき読み返す。笹井宏之は多様な可能性をわれわれの目の前に提示してくれる「想」の歌人だったのである。

本日の参考文献はこちら


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