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伝統的な短歌が滅びると日本社会が壊れる理由

1.落語に行ってきた

今日は取材のため、ぼくははじめて落語を聞きに新宿まで行ってきた。「取材」というとカッコいいのだけど、実はあまりにも外へでられなくて、心配してくれた友人に「これをこうする」「次はこうする」みたいな感じで「指示出し」をしてもらって、外へ連れ出してもらって来たのだった。

7日くらい、ぼくのなかで「このままではいけない」という危機感がふつふつと湧いてきていて、それはなんでだろうというのを、わからないまま過ごしてきた。昨日書いた記事で、ようやく書いてみて危機感の源をとらえた気がするので、気分転換になった。

多くの人には何か「ビビるような内容」になったのかもしれないけど、ぼくは江戸の落語を聞いて、自分に兆した危機感のありさまをまざまざと理解したのだった。

今日行ってきたのは新宿の末広亭。落語、というよりぼくはお笑いが好きじゃないので、実はこういう「演芸」に触れたのが初めてだった。好き嫌いは良くない。はじめて「江戸ことば」が残っている落語の公演にすごく勇気付けられたのだった。

「そもそも落語ってどんなモノ?」っていう話ではなく、私の感じたことを書いていきたい。落語ではなく、文化論的な感じで書いていくので、「落語?ダサい」と思っている方にもぜひ読んでほしい。

2.西洋の建築、日本の建築


実はわたしたちは西洋のように「モニュメントそのもの」を残す習慣がそもそもなかった。あるいは「習慣はあった」のかもしれないけど、地震などの災害や戦乱などが多発し、それを保存しつづけるのはいろいろな理由で不可能だった。

たくさんの神社やお寺、仏閣が残っているけど、「作った当時そのまま」の状態のものというのがほぼない。石造りの西洋は「作った当時そのまま」の価値が大事ということで、なるべく「形」を保存する方向にあるけど、木造建築などは火災があったり、残っているものも屋根を変えるなど、「かなり大規模なメンテナンス」をしないと、そのまま残せない。

だからわたしたちが受け継いでいるのは、たとえば「法隆寺そのもの」ではなくて、「法隆寺を維持し、後世まで伝えていくためのソフト面」ということになる。(法隆寺だって1000年前と全く同じ木であるわけがない)

日本初の会社は、こういった宮大工のための会社で、なんと創業が578年だから、1400年以上続いている。世界最古の企業だという。


以前式年遷宮というのに、伊勢の友人のつてを頼って見学に行ったのだけど、それを聞いて驚いた。なんと持統天皇(620年)から続いてきた習慣なのだが、それは20年に一度「神様のお社を建て替える」ものらしい。

「え、建て替えるって前の神社はどうなるの?」と思ったのだけど、隣に社を立てて、古い社は壊すと聞いて、さらに驚く。

現代の感覚では、どうかんがえても620年に作られた神社なら、同じ場所に、同じようにたっていないと「同じ」とは思わないと思うのだけど、神社では「同じ」と言っている。ピカピカなおやしろを見て、一体、何が同じというのだろうとチンプンカンプンになった。


それが、今日落語を聞いて納得がいった。日本人の感覚では「同じ」なのだ。だって、当時と同じ習慣・技術をそのまま保存して20年に一度ずっととなりに壊しては建て、建てては壊し、しているのだから。そもそも「同じ場所にたっていること」は条件ではなかったのだ。

しかし、西洋では「同じ場所に同じように立っていること」がモニュメントの条件になる。エッフェル塔の新築なんてしたら同じエッフェル塔だと思う人はいないだろう。 

         

西洋人はハードウェア重視、日本はソフトウェア重視などというのだけど、よく考えればこれは当たり前のことだ。私たちは技術や言葉を後世に伝えることで自分たちのアイデンティティを確保してきた。安吾が「法隆寺を壊して停車場にしてしまえ(それでも日本は変わらない)」と言ったのは、そうしても同じものをまた作る能力がわたしたちにはずっと残っている、という「前提」があったからだと思う。

実は有史以来、江戸時代までは日本人のアイデンティティというのはずーっと変わっていない。ソフトが変わっていないからだ。確かにことばのニュアンスやアクセントなど言い方はいろいろ移り変わっただろうと思うけど、日本語があらわす「概念(ものの見方)」は全然変わらない。だから江戸から飛鳥を思うことは、言葉が変わっているだけで、想像するのはたやすい。

日本人がソフト面を維持できる理由というのは、単純に江戸時代までの人々が保存してきた「日本語」というものが、このソフトを維持するのにもっとも効率が良く便利な用語だったから、だろう。             

3.ことばの概念の変化


ところが、明治、敗戦後、となるにつれて、この「概念」がすっかり変わってしまった。江戸時代まで続いていた日本語がすたれ、かわりに西洋の「概念」が翻訳されて入ってきて、さらにその概念に置き換わるというとんでもない自体になってしまったからだ。

わたしたちは文化財と無形文化財、なんていい方をする。日本の国宝は仏像とか形があるものだけだ。

それは「有形のものこそ財産だ」という外国由来の発想が、そのまま日本で法律になってしまったからだ。気づかぬうちに、それらは自分たちの中で内面化されて、日本人ですらも「無形文化財」っていうと、「え、形ないの? それ財産なの?」って思うようになってしまった。

これは古き良き日本というノスタルジーの話ではないし、日本人のこころなんていう抽象的な話でもない。みんな考えたほうがいい「具体的な概念(ものの見方)の変化」の話だ。

わたしたちは目に見えないことを言語化することで、それを感じることができる。ところが、言語が西洋由来の概念に置き換わってしまったら、それを継承するために「日本語を日本語に翻訳する作業」が必要になってしまう。

さらに、戦後日本で忘れられた言葉が、結構便利だったりする。現代の日本人はその言葉をあまり使わないけど、かろうじて残っている言葉を使って説明してみよう。

たとえば僕がいま蕎麦屋でそばを食べている。

隣で見知らぬおじさんが、

「あーなんだよお前そんなにつゆをベタベタにして、それじゃあうまくねえよそばが」

って言われたらぼくらは困惑するだろう。

実は西洋概念しか知らないと、ぱっと「しかしですね」とか「そうなんですか?」みたいな言い方くらいしか出来ない。

どっちにしても、「しかし」だと、「おまえ年上になんて口聞くんだ」みたいにケンカになるかもしれない。「そうですか」といったら、「いつまでもレクチャーされる」かもしれない。いずれにしても、非常にこまった状態だ。「個人の自由」とか持ち出すとガチでヤバい状態になると思う。

しかし、古い日本語は、これを1語でかわしてしまう。

「おじさん、「通(つう)」ですねー」

みたいな言葉だ。「あなた知ってますね」じゃだめだ。自慢されてしまう。「さすが、あなたよく知ってますね。私は全然しらなくて申し訳ありません」。というニュアンスと、「あんまり詳しくない私をいじめないでくださいよー」とかわすニュアンスが全部1語で入っている。

おじさんは「だろ、だろ」といってニコニコ2つ3つ付け加えて立ち去り、ものごとがまるく収まってしまう。実は「通」というのは、ニュアンスによっては、気まずい雰囲気とか、そういう状況を「角をたてずに」おさめるための「概念」だったのだ。

実はわたしたちはこれを「日本人のこころ」なんて言うから、みんな誤解してしまったのだけど、現代でも使える日本語の「最も便利な部分」がこういう暗黙の「切り抜け」ができる言葉だったりするから笑えない。

謙譲語なんていうけど、自分をさげ、見知らぬ人をたてながら、さっと切り抜ける。そんな「微妙なニュアンスを孕む概念」の言葉を古い日本人はたくさん持っていたのである。

4.戦後の社会の荒廃

日本語をネイティヴ(母国語)で話す民族というのは、日本人以外にいない。このちっぽけな国の1億人ほどの人たちが、日本語でいつもやりとりしているという特殊な状況だ。

そして、いま、戦後の学校教育がすっかり浸透して、日本語のもともとの意味と、外国由来の概念がまぜこぜになってしまい、ソフト面が酷いことになっている。ソフトを維持する能力にたけた日本人が、ソフト面が酷いというのはどういうことなのだろう。それはつまり、日本の社会が劣化し、滅びるということだ。

むかしいじめられる理由というのは、「ダサい」「キモい」みたいな見た目の「美感」が理由になった。ぼくは風呂入るのが苦手だったのでかなりいじめられた。「いじめって悪いことだよね?」みたいな「論理」で反論しようとしたら、更にエスカレートして、「それキモい」「クサい」とかいろいろ言われて、ついに学校に通えなくなった。

日本語はもともと「美感」を大事にする感性を持っている。言葉が美を内在しているからだ。いじめというのはそのずれが生じる現象だと思っている。だから、お互いの美感のずれを認めるような言葉がなくなってしまえば、いじめは暴力沙汰になるか、エスカレートするしかない。

戦後社会ではいじめを解決するために、日本語の美感に訴えかける「ことば」はもう開発されないし、社会は一向に風通しが良くならない。

模範を西洋に求めるから、重罰化とか責任とかコンプライアンスとか、日本にはなかった「言葉」がメチャクチャ流行して「すいませんね野暮天で申し訳ない」とか「通」という言葉がすたれた。

社会が言葉を作るのではなく、言葉が社会や人間関係を作るのだ。

私は、それぞれの感性や感覚のずれを現代日本語は言語化出来ないから、社会がおかしいのだと私は真剣に思っている。

5.感情の暴走


そしてこんななか、個人の感情をあらわすことばがいま、自由に言えなくなっている。たとえばわたしたちは怒りを表明することが「悪いこと」のような風潮になってきてしまった。

風潮というのはルールではなくて、ルールの内面化みたいなことだからとてもたちが悪い。

怒りの感情を全力であらわすことが憚られるような「空気」になっている。(たとえば競馬場で「下手くそ」と叫ぶみたいな…。)

国家が怒りを表明することは戦争につながるから良くない、という考え方はわかる。

ただ、個人が怒りを表明することまでケンカになるから良くないという風潮なってしまったら、そもそも感情をあらわす機会が減ってしまうことになる。

「競馬場のようなある場所でしかストレスを発散できない」なんておかしい。怒りの感情は社会のなかで、ケンカにならない程度の適切な「型」にいれて適切に処理されるべきなのに、規制されてしまったら、個人の負の感情が個人のこころを蝕んでしまう。

個人の感情まで「ぐっと飲み込む」ではなく、「ぐっと飲み込め」みたいに、ルールとして内面化されてしまったら、社会がおかしくなるのは目に見えているだろう。

うちのお父さんはよく前の車のとろさに真顔でキレていたけど、それを前の車に表明しようという意志はなかった。隣のおばあちゃんやぼくに言葉でキレて「あんたまた大人げないことを…。」と怒られていた。

現代では怒りを表明するのを自主規制するようになったから、逆にあおり運転が増えたのではないか。きれいな社会になると、表に出ない負の感情が暴走してしまうのではないか。

だ社会をよくするためには負の感情をふくめて、人間の感情をきれいに型に入れて流す努力が必要なのだ。陰湿にはならない、上手なやり方で。

伝統短歌には負の感情すらきれいに見せる一つの型(様式)がある。批評の原動力はそもそもたかぶるこころである。

X(Twitter)は人間の負の感情を醜く増幅する最大の装置になった。古い言葉が流行らない、それがいまの日本社会の限界である。

わたしは個人の感情を表す言葉を、一つでも多く保存したいと思うし、わたしは感情的でいたいと思う。それがわたしが短歌という言語表現をする「公的な理由」であり、日本語を守ることで、日本社会を守ろうと真剣に思っている。


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