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私の夢

 私の夢は、まだない。
 今私は、大学二年生で、まだ学生だという気持ちと、もうあと二年で学生も終わりだという焦りの気持ちが入り混じる今日この頃である。
こんな夢のない私もこんな世界になったらいいなという願望はある。それは「世界平和」である。「世界平和」なんて何を言い出すのかと思う人もいるかもしれない。「世界平和」なんてお前ひとりの力で実現できるわけがないという人もいるかもしれない。でもその意見に反論の余地は全くない。なぜなら、平和は私一人で作り上げるものではないということが根底にあるからである。
 これから、この「世界平和」という願望を掲げるこの大きな世界のちっぽけな存在である私の話を聞いてほしい。これを読者の方々が読み終わるころに、「平和」に関して少しでも考えるきっかけになればいいと思うし、それを考えてくれる人が増えればそれは私の願望ではなくみんなの夢に変わっていくのではないかと思う。

「平和」を考えるようになったきっかけ

大学一年生、冬の出会い

 私は大学受験に失敗した。本当は私にはなりたいものがあった。しかし、実力不足で家族や応援してくれた人達の期待や努力を無駄にしてしまった。そして、大学受験に失敗したことで将来の夢も失った。言葉で言い表すこともできないような喪失感を持ちながら、なんの希望も、やる気もなく希望順位の低い大学に入った。当時の私は大学受験に失敗し、周りの目が気になってしまっていたためとりあえず適当に大学の単位を取って適当に学生をして、就活に向けて準備をしてある程度の企業に入ることを目標としていた。
 そんな風に思っていた大学一年生の冬、大学でなんとなく履修していた授業で「戦争体験者の話を聞く」機会を設ける旨の案内があった。それは特に単位取得の条件ではなかったし、その授業のポイントになるわけでもなかった。私は基本的に家で本を読んだり、映画を観たり、お布団にくるまってゴロゴロしているのが好きなタイプだし、冬の時期だったので何のメリットもないのに休みをつぶしてまで寒い外に出ることに抵抗があった。しかしその時なんとなく行ってみようという気になり、気づいたら配布されたGoogle Formに参加の意思を送ってしまっていた。
 そして、戦争体験者との出会いが私にとって「平和」を考える大きなきっかけとなった。

戦争体験者の話を聞いて

 戦争体験者の話を聞くまで、私は毎年終戦の日が近づくとテレビでやっている特集でしか戦争に関わることはなかった。テレビでの戦争特集を見るたび私は当時の国のために自分の生活をかけた方々や、戦争のために亡くなった方々を見て「かわいそうだな、こんな時代に生まれなくてよかった。」と思っていた。きっと、こう思う人は少なくとも当時の私だけではないのではないだろうか。しかし、この考えは無責任なことであると、戦争体験者の話やその後行われた授業で痛感するのである。
 私は、目の前で人が死にゆくところを見たことはないし、いわゆる❝地獄❞
呼ばれるような光景を見たことがない。しかし、その話を伺った戦争体験者の話を聞くとまさに眼前に❝地獄❞を見たというのである。さらに、人の死に直面するだけでなく、その死が当の本人のすぐそばにありながら苦しい生活を余儀なくされていたのである。
 その話を聞いて、私は気づかぬうちに頬がぬれていた。感想を話を聞いた者たちで伝え合う場が設けられたのだが、自分の番になるとなぜか声が震えて、悲しいとかかわいそうだとかそんな感想すら出てこなかったのを覚えている。その時は、自分の気持ちを表す最適な言葉すら見つからなかった。
当時のことを今思い返して、その時の私を代弁するならおそらく「今日本は平和で、戦争の記憶も薄れていっておりいつか完全にこの記憶が無くなったとき、また同じような戦争が起こりうるのではないか。」ということに恐怖を覚えたのではないかと推測する。
 つまり、「かわいそうだな、こんな時代に生まれてこなくてよかった」と思うことは、現代に対してはもちろん、今の子供たちが大人になって社会を支えるころや、その先の未来に対して無責任であることなのだ。現代でも私たちのところには届いていなくても戦争が行われており、大切な命が危機にさらされていることを忘れてはならない。

戦争体験者へ私からの質問、そして返答から気づかされたこと

 その体験者の方の話が終わった後、直接質問できる機会に恵まれた。その貴重な場で、私は体験者の方へ「○○さんにとっての平和は何ですか?」と質問した。質問した私が推測した返答として「戦争がないこと」などの返答が返ってくると思っていたが、実際の返答は違うものだった。それが

 「うーん、そうですね…。今のようないつもどおりが必ず訪れることですかね。安全に朝起きて、安全に眠りにつくことができて、おいしいものを食べることができて、命が脅かされないこと。じゃあないですかね。返答になってるかしら、でもそんなところですかね。」

 これを聞いて私は自分がなんて幸せなのか気づいた。この返答で学んだのは私が朝起きて「おはよう」、夜は「おやすみ」と家族に言えてそれが戻ってきて、大学に行って勉強したり、おいしいもの食べたり、友達と駄弁って、こうやって好きなように文章を書くこと。当たり前なようで当たり前ではないこの幸福に気づいた。そして何よりこの幸福は私たちだけでなく、ほかの国の、全世界の人たちの当たり前になるべきである。よって、戦争という最悪の事象に、そして過去に無責任であってはならない。
 と私はこの特別な機会を機に、当たり前の幸せと戒めに気づいたのである。

この出来事を機に私ができること

今の時代に対して意識すること

 今の時代はすごく便利なものだなと感じる。例えば、離れていても大切な人の声が聴けて、姿が画面越しに見える。気になることがあれば何でもすぐに調べられる。うん、すごく良い時代だとおもう。なぜなら、SNSが発達したのは人間が人とのつながりをいかに大事にしているかの結果であると思うからだ。前の記事にも述べたことがあるがSNSではアンチコメントなども存在し、ある種平和とも言えない点があると思う。もしかすると、SNSの中の人はキラキラしていて毎日が充実しているように見えているかもしれない。そんな人たちを見て「うらやましいな。自分ばっかりこんなにつらい思いをして馬鹿みたいだ。」と思う人がいるかもしれない。けれど誰しもが各々の葛藤を抱えていることを忘れてはならない。つまり、辛い思いをしている人はあなただけではない、すなわち一人ではないということも忘れてはならない。キラキラしている人だって私たちと同じ時間を生きて、同じ空間に生きているのであるから。
 欲望にまみれればまみれるほど、幸せは埋もれていく。でも、欲望にまみれることは避けられない。その欲望こそが、世界を回す原動力になっているとも思うからである。人からの目を気にして、人と比べては喜んで、落胆してしまうのが人間だ。私だってそうだ。
 ならば、欲望にまみれた世界で、例えば欲望の概念が消えたとして自分に幸福が残るかどうかを念頭に置いて生きてみることを私は意識していこうと思う。

これから私がやりたいこと

 こんな風に自分を表現できる場所が増えたなら、私にも伝えたいことを伝えられるチャンスがあると感じている。私がなんとなく参加した戦争体験者の話を聞く機会は私の人生に大きな影響を与えた。この「なんとなく」は実はすごく大事なことなのではないかと思う。この「なんとなく」が起きた意味を考えていくことの方が、人と自分を比べることより楽しいということをこれからこのnoteというプラットフォームで発信していきたいと思っている。
 私は、そんなに頭がよくない。戦争が起きてしまった理由原因を学問の視点から解き明かそうとしている人に私は到底及ばない。ならば、その人達が見ていない視点から、私なりに「戦争のない未来」「平和」に向かって話せることを話していきたいと思う。
 人間は、目に見えないものを怖がる性質があると聞いたことがある。ならば、私がその目に見えないことや答えのないこと視点に持てばきっと少しは人生とかそういうものに対する恐怖も軽減されていくはずである。この恐怖を軽減していくことが私がみんなの「平和」に対してできることなのではないかと思う。そしてこの「平和」に対する過程が、心が弱ってしまったりうまくいかないなと思う人の心の支えになればいいなと思う。

結び~私の夢は…~

 私は、「世界平和」というものがみんなの夢になってほしいと思っている。多分、私が生きるであろう60年強の人生のうちに戦争を完全に撲滅することはきっと難しい。でも、私のこの活動が、この先100年後200年後の未来での戦争を阻止できるなら、それ以上のことはない。この小さな活動がいつか大きなものになっていくような、バタフライエフェクトを起こすことができるように一行、一文字大事に紡いでいきたい。
 しかし、困ったことにこの願望は私が死んだ後に達成される可能性が高い…。私が生きているうちの夢はまだまだ考える余地があるようである。これから先の人生の夢は、いつも通り布団にくるまって、お気に入りの宇多田ヒカルさんの曲を聴きながら、チョコレートを食べながら考えることにする。
 ただ、人生に大きな影響を与えた戦争体験者の話を聞いた日に見た世界はいつも見ている世界より少しきれいだったような気がする。またそんな機会に出会えるように…





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