【歴史夜話#6】ハンニバル、韓信、信長もし戦わば!?
図書館ではサバイバル・シリーズなど、大人が意外に知らない児童書の定番がいくつかあります。
そんな定番に「どっちが強い!?」があって、ライオンとパンダが戦ったら、どちらが勝つか? などのシミュレーションが行われています。
歴史上の英雄が時空を越えて戦ったら、というのもありがちですが、今回はそんな設定のひとつを試してみました。
(見出し画像は、Stefan KellerによるPixabayからの画像)
古代最強ローマを追い詰めたハンニバル
カルタゴの独眼竜ハンニバル・バルカは、古代最強だったローマ軍(8万)を寡兵(5万)で包囲殲滅した、カンネ(カンナエ)戦で有名だ。
この戦いが起こったのは、紀元前216年8月2日のこと。
アフリカ大陸北岸の国、カルタゴの将軍ハンニバルはアルプス越えによって北からローマへ侵入し、次々とローマ軍を撃破した。
その結果ローマもついに本腰を入れ、北部のカンネで大軍をもってハンニバルを迎え撃つ。
ハンニバルはこの会戦で、中央突破をはかるローマ軍を両翼の騎兵を使って包囲し、殲滅した。
敵軍の包囲、あるいは挟撃がいつも決定打になるわけではない。
ローマのカエサル(シーザー)は数で勝る敵軍に挟まれ、その一方を少数で足止めしているうちに他方を撃破し、返す刀で足止めしていた敵を倒すという戦術を得意としていた。
しかしカエサルの戦術は、兵が将を絶対的に信頼していないとドツボにはまる。
それに対し、ハンニバルは一般的な必勝戦術を考案した、と言える。
だから、ハンニバルよりハンニバル的に戦ったスキピオに、ザマの戦いで敗れることになる。
環境利用闘法の韓信
劉邦と項羽が中華の覇権を争った紀元前200年代。のちに漢を起こす劉邦の将軍が韓信である。
彼は戦にはまったく弱かった劉邦はもとより、無敵将軍だった項羽と比べても優れた戦術眼があった。
劉邦の幕僚だった蕭何は、韓信のデビュー前から「国士無双」というキャッチ・コピーで彼を持ち上げた。
麻雀には38の役があるが、国士無双ができるのは確率的に0.037%らしい。そのくらい貴重な人材だと持ち上げたわけだ。
韓信はその期待に応え、紀元前204年10月、井陘(せいけい)の戦いで趙軍20万を3万の軍で撃破する。このとき常識に反して河を背に布陣し、兵を追い込んで死力を尽くさせた。
これは精神論に頼りがちなリーダーが「背水の陣」と言いたがる、という悪弊を招いた。
井陘は緯度的には日本の福島あたりになる。地形の狭隘さは日本の比ではない。大軍は動かしにくく、寡兵が必死になれば勝つことができたのだろう。
翌紀元前203年の11月、韓信は斉の救援に来ていた楚の将軍、竜且の20万の大軍を、淮水の下流で迎え撃つ。
淮水(淮河)は華北と華南の境を流れる、長江、黄河に次ぐ第三の大河。彼は分遣隊を上流に派遣し、土嚢で流れをせき止めた。
ゆるやかになった流れを、竜且軍が渡りかけたときに土嚢を崩して兵を二分し、河を渡っていた竜且を討った。
孫子の兵法書にある、行軍篇の「半渡の計」。韓信は戦場の環境を利用した戦術に長けていた。
桶狭間は騙し討ちだった?
歴史上のヒーローはその若い時期に、圧倒的不利な状況からの逆転、というドラマを起こしている。
信長に関しては、永禄3年(1560年6月12日)に桶狭間で、今川義元の2万5000を、2000人の奇襲で葬った戦いがそれに当たる。
この戦いだが、先入観なしに見れば信長が義元に戦わずして降参したと見せかけ、騙し討ちにした状況だ。
この前の時代は、孔雀のディスプレイ行動のように、オスを誇示してリーダーシップをとる戦いだった。
その反面、太田道灌の暗殺のようなエゲツない行為もあった。
信長が義元本陣を的確に突くことができたのは、降状を述べるために場所を指定されたから、ではないか?
これは卑怯ではなく、勝った側も相手が裏切る可能性を念頭に行動しなければ「不覚」と呼ばれる。
義元の参謀だった、太原 崇孚(たいげんすうふ・そうふ)雪斎が存命だったら、話はちがっていただろう。
もし戦わば?
この三者がもし戦っていたら、信長の圧勝でしょう。鉄砲があるから。
動員兵力の少なさを補って余りある、と思う。
信長以外のふたりは、紀元前200年代というのにも驚く。日本では弥生時代。
大陸で男たちが戦をやっていた時代、日本では邪馬台国で卑弥呼が政治を司っていた。その黎明期に女性がトップだったのだから、日本は女権に関して先進国だったと言えるだろう。
戦術は、土地や気候など自然環境と無縁ではいられない。
だから異種格闘技でルールが勝敗を決めるように、いくさの開催国が重要になってくる。
例えば南極のような中立地帯で、兵装条件を同じにしたパウンド・フォー・パウンドなら;
○韓信は信長に勝つ:狭隘な地形での戦闘に長けているから。
○信長はハンニバルに勝つ:新兵器の導入がうまい。ハンニバルも戦象などを駆使したが、成功していない。
○ハンニバルは韓信に勝つ:正面切っての会戦なら、歩兵や騎兵など複合兵種の運用がうまいから。
といったところでどうでしょう?
いずれにせよ戦術の展開には連携が重要で、そのための通信手段や情報の入手が大事な課題です。
若きハンニバルは収集した情報から、アルプス越えでローマを攻めることができる、と判断しました。
彼は自分の判断に自信はあったでしょうが、実際に象などを引き連れてのアルプス越えは、心が高揚したことでしょう。
いつの時代も、挑戦する者だけが味わえる充実感です。
もしハンニバルの母国、カルタゴの市民が彼を積極的にサポートしていたら、ローマの繁栄はなかったかも。
戦いの前線にいる人と、後方で安全に暮らしている人では、感じ方に温度差がでます。
ビジネス戦争の前線にいる人が感じる日本の現状と、後方でネットやテレビで情報を知る人の温度差も、今や大きいでしょうね。