【本能寺の謎】見えない人(3)
ーこれまでのあらすじー
天正8年5月 明智光秀の謀反により焼け落ちる本能寺。
本能寺に隣接した屋敷をもつ京都所司代の村井貞勝は、陣中で光秀と対峙していた。
なぜこのような謀反を!と問いかける貞勝に語り出す光秀。彼らの背後には、黒人奴隷から信長に取り立てられた弥介がいた。
そして今、光秀と対面している。
貞勝は用件である誠仁親王御動座の件を持ち出した。
「承知した」
兵を治めると同時に、万一の事故が起こらぬよう一町ばかり退かせよう、と約束してくれた。
宣教師のルイス・フロイスは光秀をして、
その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受け、裏切りや密会を好み、己を偽装するのに抜け目がなく、いくさには謀略をなし、奇道と策謀の達人であった、と評している。
さらに人を欺くために七二の方を体得し、習熟したと吹聴していた、とも書いている。
しかし、実際に謀反を起こしたこのときは、自身が天下を望む気持ちはうすく、長岡藤高への書面に「この企ての本意は、忠興などを取り立てるためである。
百日の間には近国をを平定したのち、我は表から身を退く」と記したのには、本音も混ざっていただろう。
跡取りの十五郎光慶は十三歳。その息災を願うのみ。
「弥介も共に退くがよかろう。獣のたぐいで何も知らぬであろうゆえ」
光秀が存外に優しい目で黒人を見ながら言う。
「犬、猫にてはあらず。我は人じゃ」弥介は憤然として答えた。「我を人として扱うてくれた信長さまのため、その首獲ってくりょう」
光秀の双眸に驚愕の色が浮かぶ。
「我が言葉がわかるのか?」
「さても上様のご慧眼よ」
貞勝が答えた。
「上様は弥介の資質を見抜き、日本語の修練をさせたのじゃ。ゆくゆくは城主にも取り立てようと思っておられたよしにて」
「信長様が?」
「上様には、人を清明に見る目あるが故に、われら卑賤より取り立てられた。お手前も定書に書いたのではないか」
光秀は昨年六月二日に家中に十八条の軍規を布告し、そのなかに「石ころのように沈淪していた境遇」から才能を見出し、莫大な兵を預けるまでに厚遇してくれた信長への忠節を記していた。
黒坊主の弥介には、優れた資質がある。
信長様が言を、最初は貞勝も真に受けなかったものだが。
「そうさな。弥介は我が股肱の臣でもある」貞勝は、この場にそぐわぬ面白そうな声音で添えた。「さる茶坊主が公案にて『見えない人』をばご承知か?」
飛脚、右筆、お茶坊主に女御など。その場に居て不自然でない人どもを、我らはしばしば見過ごす。
「弥介は、我が密偵として働いてくれたのじゃ」
まこと、上様の着眼には恐れ入る。貞勝は舌を巻いた。
「たとえば、武家伝奏権大納言」
勧修寺亜相。
四月二十五日
村井長門守貞勝は、奥書院で発給する書面に「春長軒」と署名して悦に入った。
娘三人を佐々内蔵助(成政)はじめ織田家中でも歴々の衆に嫁がせ、憂いはなにもない。
丸く剃りこぼった好々爺という風情の貞勝は昨天正九年、出家して村井春長軒と号し、家督を子の貞成に譲った。
上様御嫡男、三位中将信忠様も立派な武者ぶりになられ、先頃は甲州に武田四郎勝頼を討ち果たし、信長様は出番を奪われたとこぼす始末。祝着至極。
公家衆が、自らの戦勝祈願の功徳とばかりに村井の邸にも押し寄せる。
まこと奇妙丸さま(信忠)はご立派になられた。
織田政権は世代交代が順調に進んでいる。
村井春長軒の息子、貞成も仕事ぶりは満足のいくものではあったが、いくさ仕事と異なり人脈は簡単に引き継ぐわけにいかぬ。
今日も勧修寺亜相(大納言)が緊張に表情を硬くして会所に詰めてきていた。
三八歳と若いが、公家衆のなかでは知略に優れ、胆力もある。
父である十三代晴秀を継ぎ、武家伝奏を務め、石山合戦の際には勅使として本願寺の講和にも関与した。
晴豊の公記にいう。
廿五日
天晴。
村井所へ参候。
安土へ女はうしゆ御くたし候て、太政大臣か関白か将軍か、御すいにん候て可然候よし被申候。
その由申入候。
四日(中略)
のふなかより御らんと申候こしやうもちて、いかやうの御使のよし申候。
関東打はたされ珎重間、将軍ニなさるへきよしと申候へハ、又御らんもつて御書ある也。
長庵御使にて、上らう御局へ御目かかり可申ふんなから、御返事申入候ハて御目かかり申候儀、いかヽにて御座候間、余に心え可申候由。
いかやうにも、御けさんあるへく候由申候へハ、かさねて又御両御所へ御返事被出候。
貞勝は朝廷から「信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任じたい」という意向を伝えられていた。
晴豊との会談を終え、控えの間にて茶を喫していると大きな人影がぬっ、と姿を現した。
「おお、弥介。大義であったな」
六尺二分と大きな身体を縮めるように座り、黒光りのする顔の分厚い唇から白い歯を覗かせる。
得も言われぬ笑顔が、貞勝をなごませた。
「さしたる労苦でもありませぬ」
やや巻き舌ながら、流暢な言葉を発する。
弥介を「見えない人」として遣うとの案は、信長の機略である。
人は対面にて密談のおりはその真意をなかなか漏らさぬものじゃ。したが、相手が座を外したとき、女御や小姓に向かいて、「彼奴は信用ならず」などと本音を漏らすものぞ。
信長様はそう仰せになった。
今日の客、晴豊なども、
「大力なるうえに言葉がわからぬ。まこと打って付けの衛士じゃな」
と弥介の近侍を喜んでいた。
公卿は一般に夷狄ぎらいであったが、幸い明敏な晴豊にその気はない。
弥介はその場でもれ聴いた内密のひそみごとを、会談が終わったあとで貞勝に伝えるのである。
「権さんは、上様に任官を断られることをば、畏れておりまするに」
「さもあろうな」
よどみなく話す弥介を見ながら、貞勝は信長の慧眼に舌を巻く。
弥介は信忠の家臣になったが、京に在番させるときは貞勝が面倒をみる、とのお役を果たしていた。
貞勝は弥介の言葉などを吟味のうえ、朝廷への対応を決める。将軍を勧めるよう晴豊に助言すべし。
むろん、上様の内意を受けていた。
将軍職を受諾することで、室町幕府十五代将軍の足利義昭を名実ともに解任する。そして備後国の鞆から御教書を濫発しているあの愚か者から、権威をはぎ取る。
そののちに、征夷大将軍を辞するつもりじゃ。
貞勝はわが耳を疑った。
将軍は城介に継がせ、我はこの世をば謳歌するのよ。
安土の城内で美々しい小姓たちに扇をあおがせながら、魔王のように佇む信長様を仰ぎ見ながら、貞勝は夢でも見ているような気がしたものだ。
「それにしてもよく、ここまで修練なされた」
貞勝は仕事柄、異人ともつきあいがある。
イエズス会の日本布教区長カブラルのように、日本を蛮国としてその言語風習を端から拒絶する者も珍しくない。
このポルトガル人は、眼鏡をかけた彼を「四つ目」と嘲ったこの国の蛮獣たちが心底嫌いで、元軍人であるだけに軍艦をもって制圧したほうがよいとすら考えていた。
それに引き比べ、弥介がこの国の風習や言語を覚えるための精進は殊勝なものがあった。
信長様にもらい受けられてからわずかの時日で、日常会話に支障がないほどに上達し、公家言葉さえある程度理解できるようになっている。
「のびなが様のぅ、お役に立ちとうございまするに」
にっ、と笑うと白い歯が浮かぶ。
「殊勝なる心がけじゃ」
信長に引き立てられるまで、弥介は人ではなかった。
イタリア人の巡察吏ヴァリニャーノはカブラルと違い闊達で明敏であったが、それでも奴隷に対しての処遇は変わらず、物を扱うが如く贈り物として弥介を信長に贈与した。
信長は、奴隷であろうがその本質を見る。
弥介も自分を奴隷から人に引き上げてくれた信長に感じているらしく、懸命に忠義を果たそうとしている。
晴れ晴れとした笑顔は、その証しでもあった。
弥介が着用する直垂、袴は 寸法が小さく、つんつるてんであった。
「早急に仕立てさせるによって許せ」
貞勝はそう言った。
「弥介が故郷はいかなるところじゃ?」
合間を見て雑談にも興じる。
「陽が照って、明るいところでござりまいた」
「仏国土のようじゃなあ」
貞勝は心底感心して聞き入る。
「この日ノ本に来て辛くはないか?」
「寒うござりまする」
大きな体を縮こまらせて震えるしぐさをする弥介をみて、貞勝は笑った。
弥介の故郷は、『まくあ』というらしい。
「毎日、畑仕事をしておりました」
畑を焼いて開き、芋や****やらを植えまする。
焼き畑の想像がつかない貞勝は、野焼きのようなものか、と思う。
「米はできぬのか?」
日本では米作が主であり、畑作は一段低く見られる。弥介も貧しい農家なのかもしれぬ、と貞勝はみた。
弥介の存念は、「むわみ」になることだったという。
「地頭のようなものかの?」
「坊さんに近うございます」
呪術を使役うることにより、村人から尊崇されるという。
「祈祷師か陰陽師かな」
ときにその術によって病をも治癒する。
「薬師じゃな」
ある日、狩猟を専らとする他部族に攻められ、村人らは捕らえられた。女は連れて行かれ、男は海辺の村へとやられた。
「白い奴儕が、そこにおりました」
海には見たことのない建物が立ち、大きな船が停泊していた。そして何もわからぬまま船に乗せられて遙か東の国に連れてこられた。
弥介の多くの親族、友達が航海のなか命を落とした。
「仇を討ちとうござります」
弥介にとって、ポルトガル人や日本人は天人のごとくであって、憎しみの対象になり得ない。
彼の憎しみは、同族ながらポルトガル商人と通じて彼らを捕らえて売った部族に向けられていた。
「人買いは、この国にてもある」
貞勝は憂いを含んだ口調で言った。
天正七年のこと、下京は場之町門役の女房が女をかどわかし、和泉国堺湊で人売りしている、と目付から注進があった。
貞勝が女房を捕らえて白状させたところ、今までに八十人ほどを堺の商人に売り飛ばした、という。
さらに堺の商人を経て売られた人を買ったのは、ポルトガルの商人であった。
貞勝は、女房は単なる流通の端であり、手引きをしている者を捕らえたいと思った。門役の女房が、おんなの身で一切を取り仕切るなどはできないと睨んだためである。
しかし女はどんなに責められようと白状しなかったため、やむなく斬首した。
貞勝は京、堺の町衆の取り調べを進めて、人買い人売りの組織の実体を解明しようとしている。
弥介が、その探索の力になるだろうと思っていた。
「なにものかが背後におるに相違ない。それをつきとめるのじゃ」
弥介は力強く頷いた。人買いに対する憤りは人一倍強いものがあった。 (次回完結)
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