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恋のコスパとタイパ
とか書きながら、コスパはまだしも、タイパなるものの概念を理解したのが実は最近です。
昨今のレトロブームでタイプライターを使いこなす若者でも出てきたのか?と思ったくらいです。
初めはね。今は理解してます。タイムパフォーマンスの略ですね。
ということで、本題に戻ると、最近の若い人は、恋愛はコスパが悪いだの、タイパの良い付き合い方をするだのと言っている、といった記事を時々目にします。
結論から言うと、私は、恋愛はコスパもタイパも悪いものだと思ってます。
心身ともに、めくるめく幸福を感じる瞬間なんて一瞬だし、そこに辿り着くまでの時間やらお金やら諸々の苦労やら、果てしない徒労の果てに、幸福どころか地獄に突き落とされることだってありますから。
好きで好きで大好きで、相手のことを考えるだけで、身も心も焼け尽くされるほどで、何も手につかなくなって、勉強やら仕事やらを棒にふる、なんて。
ほらこうやって文字にして見たら、阿呆のすることとしか思えないでしょ?
でもそれがね、恋の恋たるものなんですよね。
何言ってんだ?って思うでしょ。
でも、いわゆる恋の炎に身を焦がすとか、恋は盲目とか、そういう実話とか物語とかって、遠い昔からコスパやタイパの現代まで、全然廃れないでしょ?
それはね、それが恋だからなんです。
心も体も蕩けるような恋なんて、
甘い甘い蜜の味の毒ですよ。
心も身体も蝕まれてもやめられない、麻薬のような毒です。
はまってしまえば、タイパやコスパなんて可愛いことは全然考えられなくなります。
だからね、コスパとタイパの良い恋愛をしようとしている、あるいは現在進行形の人は、ある意味幸せだと思います。別の言い方をすれば、不幸にはならない人たちです。
それで面白おかしく生きるも良し。
おもしろくもないけど、辛くもない、平穏な日々も良し。
少なくとも地獄のような苦しみを味わうことはないのですから。
ただ、生きる意味、として恋がしたいのなら話は変わってきます。
その昔、私は甘くて苦しい恋をいくつかしました。
そのために、心を閉ざしたり、仕事のチャンスを棒に振ったりしたこともありました。
若い時は私も、そうしたことを後悔して、「幸せ」になる努力をしました。
今で言う婚活のようなこともしましたし、複数の人と付き合ったりもしました。好きなわけではない、という点さえ除けば後は完璧、という人もいました。
コスパもタイパも良い「恋もどき」をいくつも経験しました。
でも、虚しかった。
それは多分、私が恋の、あの目の眩むような幸福感を知ってしまっていたからでしょう。
もしもそんな恋をしていなければ、「幸せな人生」を送れたかもしれない、そんなふうに思ったこともあります。
でも、最近、
人は死に向かって生きているのだ
ということを強く意識するようになって、
「幸せ」の定義が大きく変わりました。
コスパやタイパをどんなに良くしようが、死はそんなこととは無関係にやってきます。
この瞬間を味わうことを犠牲にしてパフォーマンスを上げても、その先に確実に待っているのは死です。
本を読むこと、花の香りを嗅ぐこと、音楽を聴くこと、愛を語らうこと、恋する人のことを考えること、食べ物を味わうこと、友と笑い合うこと、全部、コスパやタイパを考えてできますか?
そんな人生、楽しいですか?
明日死んでも後悔しませんか?
コスパもタイパも悪い恋をしてきた私ですが、今は、その時の自分の醜態も苦しみも愛おしく感じています。
私は生きたのだ。
そう思っています。
そんなことを言いながら、まだまだ生き、恋もするかもしれません。人生とはわからないものですから。
恋はするものではなく、落ちるもの、と誰かが言っていましたが、まさにその通りだと思います。
落ちるのですから、楽しいばかりじゃないのは当たり前です。でもそれが、苦しくも甘い、地獄であり天国でもあるのです。恋に落ちなければ、絶対にできない経験です。
私は、たとえ明日命が終わっても、もちろん今その予定はありませんが、もしそうなったとしても、それはそれで良いかなとも思っています。
瞬間を味わう恋も悪くはないですよ。
少なくとも、生きている、このために生まれてきたのだ、ということを実感させてくれます。
ただし、天国と地獄を一度に味わうことになる、という覚悟だけは、しておいた方がいいかもしれませんから、その覚悟がない方はおやめくださいね。