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「送り出す側」の気持ち

三十路を過ぎて初めて、誰かを「送り出す」という経験をした。
「送り出す側」の寂しさを、私は知らなかった。

新しい世界に飛び込むのが好きな私は、いつも「送り出される側」。自分が旅立つ側だったから。今までとは反対側から世界を見たようだった。

アメリカに住んでいる私のもとに、母が初めて遊びに来た。私が久々に日本に帰国して、アメリカに戻る際についてきたのだ。

いつもしっかり者たちに囲まれて生きている母。日本への帰路は、生まれて初めて一人で飛行機に乗る(しかも乗り換えあり)という、母にとってはバンジージャンプ並みに勇気のいるチャレンジに尻込みしながらも、新しい世界を見てみたい!とやってきたのだ。

私と母は、親子という一言ではとうてい片付かない関係。私は、母がとても若い時に生まれたし、か弱いところがある母を物心ついた時から「守らなきゃ!」と思って生きてきた。私が小学生の時から、母の文章を添削したり、複雑な分数の計算を教えていたし。笑

しかも、信じられないくらい気が合うものだから、思春期の時なんかも普通の母と娘では考えられないほどに、なんでも話してきた大親友のような関係でもある。

簡単に言えば、なんでもわかり合える幼馴染のマブダチ(古いw)みたいな関係性なのだ。

そんな母が、私の大好きな街に来るのだから、それはそれは楽しみだった。

そして実際、私のお気に入りの世界を母に見せること、共有することは想像をはるかに超えた楽しさだった。アメリカの地で母の目に映るものは、すべてが別世界。夢の中にいるような2週間だった。

けれど、やってきてしまう別れの日。

空港に到着し、小さな子供を送り出すみたいに、セキュリティを通過する最後の最後まで付き添って、母を送り出した。

初めて感じる「送り出す側」の気持ち。

知らなかった。
もしかしたら、「送り出す側」の方が寂しいのかもしれませんね。

いつも、自分が旅立つ側だったから、知らなかった。

「送り出す側」は、旅立つ人を送り出してから、また同じ日常に戻るから。

今まで通りの世界から、ぽっかりその人の存在だけがなくなってしまう。いたところから、いなくなる…

不安げだけれど、覚悟を決めた表情の母の背中が遠のいていく。大きなアメリカ人の中にポツンと立っている小さな母。心配なあまり心が張り裂けそうになる。

と同時に、私は思い出していた。

送り出すのが苦手な父のことを。

普段は家で一滴もお酒を飲まない父が、私がアメリカに渡米する直前の一週間は、毎晩飲んでいた。

思い返せば、私が留学する時も、社会人になって一人暮らしをする時も、今回アメリカに戻るため日本を出る時も、父は最後の別れの場面には立ち会わなかった。立ち会えなかったんだと、今ならわかる。

そんな、送り出すのが苦手な父が、どんな気持ちでいたのか。
少しだけわかった気がした。

母から「飛行機に無事乗れた!」という連絡をもらって、ようやく空港を後にし、車に乗り込んだ。背後で小さくなっていく空港をミラー越しに眺めながら、母の姿だけがぽっかりとなくなった、いつもの日常に戻っていく。

でも、悪くないかも。
歳を少しずつ重ねながら、今まで知らなかった色んな立場の気持ちがわかるようになっていくって。




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