憂鬱な美容院で、少し自分が好きになれた話
私は、美容院が苦手。
1時間半という長丁場、同じ人と「たわいもないこと」を話し続けなければならないって… 修行でしかない。
私は大抵のことには興味がないから、話が膨らむわけもなく、かといって、「これが私のスタイルだからっ」と割り切る図太さもなく、気まずい沈黙の中、ただただ自分の会話力のなさに絶望する。
だから、井戸端会議ができる人たちを、本気でリスペクトしている。
日本語だったらまだ、汗だくになりながら陽キャ風を装えるけど、英語だと(アメリカ在住なのです)… はぁ(*´Д`)
けれど今回は、重い腰を上げてのそのそと向かった割には、爽やかな気分で美容院を後にした自分がいる。
なぜなら、ほんの少しだけ「心が通じる」っていうことをわかることができた気がしたから。
こんな私だから、もちのろん会話が盛り上がりを見せるはずもなくw、ヘアカットは終了したのだけど、
担当してくれた美容師の彼女と、フィーリングがかなり合った。
私は彼女が好きだなーって思ったし(クラス一緒だったら絶対仲良くなるなこの人、みたいな感じ)、多分彼女も、「こいつあんましゃべらないけどいい奴だな」って思ってるなって感じた。
それに、彼女が仕上げてくれた髪形をすっごく気に入ったってことも、私の無骨な英語表現を通じて、ちゃんと伝わっていた。
人と人が心を通わせるとき、思っている以上に「言葉」の重要性は低いのかもしれない。
意外にも人は、「言葉」の奥にある、お互いの本質や人となりを感じ取り合っている生き物なのかもしれない。
ずっとコンプレックスに思っていた、言葉を介したコミュニケーション。
ただでさえ上手に扱えない言葉が、第二外国語になるというコンプレックスに磨きがかかりまくった状況下で体験した、思いがけない出来事だった。
無理しなくても、私のままでいても、完璧に話せない言語でも、
伝わる人には伝わるし、伝えたいことはちゃんと届くんだって思えたら、なんだか心がホッとして、すごく嬉しかった。
きっと言葉を越えたその人の本質や人となりを好いてくれる人には、無理に伝えようとしなくても、ちゃんと伝わって好いてくれる。
逆もしかりで、本質や人となりが合わない人には無理して伝えたとしてもどのみち嫌われるのだと思う。
だったら、もっと肩の力を抜いても大丈夫なのかもしれない。
私のままでもちゃんと伝わるから、大丈夫なのかもしれない。
そう思えたことが、本当に嬉しかった。