図々しさと「自分を大切にすること」
私の夫は、とても図々しい人です。
私とは対照的な部分が多い彼を見ていると、学ぶことが沢山あるのですが、その一つが「図々しさ」。
私は、遠慮がちで何にも言えない事なかれ主義のチキンなので、「図々しさ=悪」「譲ること、遠慮すること、周囲の空気を読むこと=正義」と疑うことなく信じていました。
そんな私なので、彼と出会った当初はその「図々しさ」にびっくりして、図々しいのは良くない、と彼を咎めていたのですが、ある時気付いてしまったのです。
彼の「図々しさ」のおかげで、得られたものが数えきれないほどある…!ということに。
先日も、魚屋さんで魚を選んでいた時、私たちは1ポンドの魚を探していたのですが、いくつかの魚の切り身を計ってもらって、
一枚目:1.5ポンド
二枚目:1.3ポンド
三枚目:0.66ポンド
四枚目:0.7ポンド
私はここで、
「あ、それでいいです(本当はちょっと少なすぎるけど、何度も悪いからいいや。その隣の計ってもらいたいけど、いや、図々しいよな)」
となったのですが、主人はすかさず、
「何度も申し訳ないんですけど、これ計ってもらえますか?」と。
魚屋のおじさんの顔には、「マジで何枚計ればいいんだよ」って書いてありましたが、笑
結果、1.01ポンドで私が欲しかった量ドンピシャでした。
レストランで席が気に入らない時なども、
「私は図々しいし悪いからここでいいよ」と言っても、
主人は「申し訳ないですが、この席は居心地が悪いから変えてもらえますか?」ときっぱり主張。そして窓際の景色が良い席に移動。
よくよく考えたら、ちょっと「図々しい」かもしれないけれど、そのおかげで一番欲しかったものが手に入ったり、快適な時間が過ごせたりしているんですよね。
「図々しい」って、空気を読むことで自分の本当はこうしたいをねじ伏せずに、自分の欲求に忠実行動している、つまり「自分のことを大切にしている」とも言えるのかも。と彼を見ていて、「図々しい=悪」から、「図々しい=自分を大切にしている」という何とも劇的な発想の転換が起こったのです。
もちろん誰かを犠牲にするようなことは良くないですが、自分の欲求を大切にすることは、悪いことではないと思いませんか?
最近では私も勇気を出して少し「図々しく」生きています。