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励ますって、難しい 

「励ますって難しいよな」と今つくづく思う。
大人になるにつれ、相手の為というより「この場面で気の利いた事のひとつも言えない自分でいない為」に言っている気がしてしまう。
大丈夫。意外と何とかなる。ってまあこれまで大人は少なくとも20年は生きているわけだから「意外と大丈夫だった!」なんて経験ざらにしてきているし、そんなこと分かってる。しかもそんな他人の言葉なんて何の根拠もないことも。かといってとても現実的なアドバイスをされてもなんか腹立つし、自分含め大人は実に面倒くさくプライドの高い生き物だ。
何でもかんでもそうなんだ!と受けいれ、手を挙げてと言われれば「はーい!」と元気よく手のひらを空に伸ばした頃が愛おしく思える。
自分でだめだと分かっているところを「もっとこうすればいいんだよ」と言われても、どうも「そうなんだ!」と思えないし(それができないから悩んでいるんだよ、、)とまた悲観に走ってしまう私はひねくれているだろうか、。
自分を強く持っている人は幼いころから肯定されて生きてきたんだろうと、その人の詳しく知らない過去まで決めつけてしまう。根本から違うと思う事で、しょうがないと思いたいのかもしれない。
決めつけたような言い方をされると「私の事なんて何も知らないくせに!」とドラマのセリフじみたことを心の中で思う事もあるけれどそれは私だっておなじだ。言わないだけで心の中ではまた他人を決めつけている。
しかも他人を完全に理解できたとしてその人の全てを「ならしょうがないか」なんて思い切れるかというと自信はないし、よく知っているはずの姉弟ですら「わからないくせに!」が生まれるのだから困ったものだ。
一番困るのは、直近数か月知り合っただけの関係の人を励ますとき。ある程度一緒に居れば過去の出来事をもとに、ある程度説得力のある励まし方ができるかもしれないが数か月ではそれが出来ない。どうしても薄っぺらいパターン化した言葉しかかけられないのだ。調子よく「○○さんなら大丈夫!」などと言ったものならおしまいで、相手の心の中で、何を知っているんだ!の嵐。私の場合は自分の中でも何を知っているんだ??の嵐。
まあきっと私のように考えすぎる人はごく僅かかもしれないし、励まし方に共通の正解なんてないのだと思う。
私的には「まあ失敗してもそれも経験だから気楽にやったらいいよ」が言われてうれしい言葉ランキングの上位にあるが、いやいや初めから失敗する前提で話さないでほしいと思う人もいるだろう。これだから難しいのだ。
言われてうれしい言葉ランキングの統計なんてないし、自分と全く同じ人間はいない。
その人のことを想っていることが伝わればいいかとも思うがそれで解決だと持っていくには強引な気がする。
こんなにつらつらと書いていても明日には例の薄っぺらい励ましをしてしまっていると思うと嫌気がさしてくる。私は他人からどう思われるかを過度に気にしているようで、自分から見た自分ばかり気にしているのかもしれない。実は一番他人に興味がない類の人間なのだろうか。単に余裕がないだけとも思う。
こんな風に昔から結論の出ないことを考えるのが好きだ。変だけど。
こういうこと沢山書いて、自分の頭の中も整理していきたいな。


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