許せる考え方
以前書いたとおり私は他者からの評価ばかり気にして生きてしまっている。
相手のふとした表情や語尾のニュアンスにまで過敏に反応し考えすぎて疲れる毎日。
うまく生きていきたいと思っているがそれがまた難しいし、考えるほど「うまく生きるってなんだ、、?」となってしまい結局いつも生きる意味に行きついてしまうのだから無理に考えをポジティブにしなくてもいいのではと思う。
最近旧Twitterでこんな投稿を見た。
「どんな嫌な奴でもうるさいやつでもキスの時はみんな大人しく眼つむってるのウケる(笑)」
これは多分ネットで騒がれている著名人をバカにした投稿だが、私はとても心が軽くなった。
上司にに怒られ、納得できなかったり正直うざったく思う事もあるがこの投稿を思い出すと途端に愛らしく思えてくる。私が一番馬鹿にしていると思われてしまうかもしれないが、どんなに意地悪でねちっこい言い方をする人でも夜は意外とМだったりして、、などと考えると人間だなあと笑えてくるのだ。仕事中に考える性ほど馬鹿らしく思えてくることはない。
理不尽とわかっていても自分が悪かったのではと自責の念に駆られる前に、この考えが入ることでネガティブに走ることがないのでこの投稿に出会えてよかったなあと思う。
しかし人の上に立つことも難しいよなと思う。私は特にそういったことが苦手なタイプだ。
学校では普通に過ごすだけで先輩と呼ばれていくし部活という場で初めて指導する側に回る。根がネガティブで自分に自信がないせいで後輩に強く言わないといけない時でも、指示の後に「まあ私もできていないんだけどね(笑)」などと余計な保身を入れてしまうのだから舐められても仕方ない。
先輩の威厳も無い、友達以上先輩未満のふわふわとした立場に甘んじて常に同級生からも後輩からも嫌われないように必死になり、疲れてしまった。
かといって今は社会人。1、2年もすれば卒業し関わりのなくなる学生時代と違って、長く勤めればいつまでも下っ端なわけなく後輩ができるし、ずっとその人の上に立ち続けることになる。というかそもそも上に立つってなんだ。偉そうじゃないか。と思ったりするが長く勤めても入社したての人と同じ扱いを受ければ評価されていないと当たり前に不満となるわけで厄介だ。
飴と鞭を上手に使いこなす人を見るとすごいと思う。その人に褒められれば嬉しくなるし、注意されるといつも認めてくれていたのにがっかりさせてしまった、頑張らなきゃ!といった具合に信頼感によるプラマイのバランスがとれて成長につながる。私には到底無理な気がしてならない。
私はいつも羨むだけで憧れに終わってしまう。失敗のリスクを恐れて行動しない人が成功する訳ないと頭で分かりきっているが、そこまで分かって、挑戦しないほうを取ってしまう。びびりなのだ。
保身ばかり考えていたらいまでも何もなし得ない。
何かをなし得たいと思うのかというとそんな向上心を持ったことは無いが、これからそう思えるような仕事に出会えるように行動することを恐れないでいきたい。