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10年も続けてきた事


がない。

今までの人生特に成し遂げたという事が見当たらない。今までやってきた事が何もないように思えた。こんなに私の人生が空っぽなのかと一人衝撃を受けていた。

今の私の仕事は一般事務。その仕事に役に立っていると思うスキルのないしそこに加えて特に経験があるというわけでもない。

よく若手の俳優さんや女優さんが10年目です。とテレビで言ってたりするが大体10年も何か続けると何か成る。単純に10年同じことをしてきたこと、10年という単位に、また私よりはるかに若い人たちである、という点に感心させられる。しかし私にはその10年が見当たらない。一体何をしてきたんだろう。

どれだけ思い返しても見当たらない。私の10年はどこに行ったのだろうか。生きてきた10年に心当たりがない。しかし生きてきた。だって今生きているのだから。頼みの綱はSNSの自分の投稿。しかし10年もSNSに自分を反映させるものを投稿し続けてきたわけじゃない。それでも色んな時間を過ごしてきたと思える投稿に安心させられる。私の人生意外と楽しかったんだとすら思える。

いや、違う。危うく自分すらも騙されるとこだった。

SNSは自分が友人や家族、SNSのユーザーが私の投稿を見ても嫌な思いをしないようにと、できないながらもセルフプロデュースを潜在的にしてる当たり障りのない自分の人生の時間の一部だ。

見当たらない。SNSの自分の投稿には10年ぶんの私が見当たらない。一体どこへ行ってしまったんだろう。いや、逆に私はどこからきたんだろうと問う方がしっくるくる。

私の10年続けてきたことを探すのに使えるツール。ドコデモドアでもなくタケコプターでもない。今この世に存在して一番使えるツールといえばタブレット型の携帯だと思う。そしてその中の機能にはタイムマシーンにもなりえ得る、今を写し、未来で今を思い返せる画像型過去保存スペースがある。うん、写真のことね。私はそこに何かあるはずだと確信し、10年続けてことを探す旅にでる。

何かある。何かある。何かある。

あの時出会った友達、5、6年の仲なのか。通りで目尻に小じわもできるはずだ。

妹と行ったスペイン旅行の写真。サクラダファミリアは少しづつ完成に近づいてるだろうか。

何かある。何かある。この中に必ず何かある。

ん???あれ???

え、何もない。

単純に思い出しかないな。すいませーん!私の探し物に心当たりがないですか!私が10年続けてことをご存知の方いらっしゃいませんか!と飛行機の機内でドクターを探す客室乗務員さんの気分だ。

夕暮れ時、見当たらない10年続けてきたことを探してもどこにもならないと探すのを諦めた。ここまで探してきたのに諦めるのか、もう諦めるのか、まだ始まってもいないじゃないか。色んな言葉が飛んできそうだ。そんな恐怖から自分を守る為、オンラインショップで購入したワイヤレスのイヤフォンしてタブレット型の携帯で現実逃避をすることにした。

毎月1000円弱を払ってる見れる動画サイトがある。そこには私のお気に入りのドラマがある。ニューヨークを舞台にした3人のミレニアム世代が恋に仕事に遊びに奮闘するドラマだ。流れてくる音声に特に戸惑うこともなく見進める。オープニングは過激に、エンディングは衝撃的に描かれている。そしてエンディングソングが流れ、ストーリーと曲がマッチし感情がさらに高まりドラマの世界に引き込まれた頃、ふと気づく。45分前に諦めたはずの自問してきた私の10年続けてきたことの答えがここにあった。

私には英語があるじゃないか。忘れてた!見落としてた!ってなもんじゃない。灯台下暗しだ。大学で経済や経営を学べと親に言われたが反対を押し切って学ぶと決めた英語があった。その後アルバイトをしてお金を貯め留学し、一時帰国したその後、親を説得しイギリスで第2言語教授法を学びたいと言ってまずディプロマを取得した。そして第2言語を教える先生の先生になりたいと目標を掲げ、ロンドンの大学に修士課程を取得しに通った。そこで私は挫折した。自分の学力の低さを今までにないくらい思い知った。そこに加え、気力、体力、が限界だった。出資者である親の財力に関する心配もあった。もうどうにもならないと思い、諦めた。自分に諦めるように言い聞かせ、なだめ、説得した。そして私はいつも通りの聞き分けのいい子の性分を自分自身にも発揮して、諦めるという形で人生で一番労力を費やしてきたことに終止符を打った。これを簡潔にまとめると私は私に嘘をついて騙したのだ。

10年で何かを成し得た若手俳優や女優たちはこんな聞き分けのいい子の性分を自分自身にも発揮して自分を騙し嘘をついてこなかっただろう。これほどまでに全てを無駄にした人生なんて誰も選ばないだろう。私以外は。  そんな理由でここに誕生した。何者にもなれない私が。

今はただただ諦めた人である。いや、諦めざるを得なかったと自分を言い聞かせ諦めて、自分を言い聞かせたことに後悔している人間である。嘘なんてつくんじゃなかった。でも私はあの時自分に嘘をついた理由を知っている。もう辞めたかったからだ。なのに辞めたいと言ってはいけないという固定観念を意地で守り抜き、高いプライドで周りを固め、辞めたいと思ってしまった弱さを認めず、勝ち組になりたいと願い、今までの努力を終わらせようとは到底思えなかった。だって英語は私の全てだったと言えるほどの努力だった。誰にも解れないだろう思えるほど苦しんだ。苦しいと思えるほど学んだ。

なのに辞めた。

きっと長らく自分のコンプレックスである勉強が誰よりもできないという呪縛から解放されたかった。しかし挫折し嘘をついた罪は大きく、その呪縛からは一生解放されないだろう。

私は忘れてしまっていたが、今いる10年も役者業をやってきたという若者たちは、ほんの1部の人間でしかなくて、テレビで目にしているだけでそこには何千、何万と10年を一つのことに人生を捧げてもまだまだ何かを成し得るに時間がかかる人、10年を区切りに違う道を歩む人がいると思う。どちらにせよそれも人生だ。

そして私は今更ながら聞き分けのいい性分を発揮できず、自分に違うことばで言い聞かせをし、この言葉でなだめている。

That’s life.

大学の教授にいつか言われた言葉だ。きっと彼はもっと違う意味で言ったに違いない。

そして今ここに綴った言葉には嘘がない。これだけが私を少し軽くしてくれる唯一の事実である。


#小説  みたいに #自分  のことを 書いてみた。暇なんか。

#英語 #人生 #10年 #嘘 #挫折 #夢