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安政の地震大津波から村を救った《稲むらの火》は「世界津波の日」に

2024年1月1日、未曽有の出来事が平和な正月を破った。石川県能登半島で最大震度7の揺れを観測する大地震が発生し、建物の倒壊や津波の被害などで災害関連しを含めて死者は470人以上。揺れは阪神・淡路大震災に匹敵すると言われた。正月にも災害が発生する国である。関東大震災阪神・淡路大震災東日本大震災をはじめ数々の経験を生かして、どのくらい配慮されているのだろう。地震、津波、台風が常時起こる国に住み技術力のある国といわれながらも、対応は後手に回る印象はぬぐえない。かといって、海外の地震対策と比べると、破格の適応力でしのいでいる。この民力のパワーは、いまに始まったことではない。長い年月をかけて学んでいったものである。そんなことを思っていた矢先、わたしは偶然「稲村の火」といわれる出来事を知った。記録的な地震に見舞われた地区にあって、1人で村人を救済した人物、濱口梧陵の物語である。これほどりっぱな人物がいことに衝撃を受けた。日本のように災害の多い国にあって、なぜこのような美談全国の国民知らせないのかと、いぶかしい気持ちになった。そしてこの地区には現在、記念館と防災センターとして「稲村の火館」があることを知った。また、国連総会安政の地震大津波のあった11月5日を「世界津波の日」とすることを決めた。これは梧陵氏の真摯な行為の結果、村では村民が仕事のあとに堤防を作る工事に参加し、村を守るために尽力した。これは和歌山県有田郡広川町に、今もなお語り継がれる実際にあった出来事安政の大地震と津波から村人を救った濱口梧陵の物語である。

ラフカディオ・ハーンはこの実話に感銘、短編集に残した


あの歴史的作家、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)もこの物語に心を打たれた一人だ。彼は短編集にその話を収め梧陵儀兵衛という名で紹介した。この話はハーンの小説の応援もあって、この地域に代々伝えられた。安政の地震と大津波が起こった夜、梧陵は考えた。「このままでは村が滅びてしまう。広村の人々が生きていける道はないものだろうか…。そうだ、浜に堤防を築こう。そして村人たちに働いてもらい、その報酬を生活の糧にしてもらおう。働くことで生きる希望も湧いてくるはずだ。」梧陵の決断に、村人たちは心の底から感謝した。梧陵はあらん限りの資金を集め畑仕事漁業を続けながら、夢中で堤防を造った。その歳月は四年にも及んだ。完成した堤防は立派で堂々たるものだった。海側には松が植えられ、土手にはハゼの木が並んだ。

1946年昭和南海地震、4mの津波からも村は堤防に守られた

長い年月が過ぎたある日、再び広村に大波が襲いかかった。しかし村は堤防に守られた。地震が起きても津波は村に届くことはなかった。1946年12月21日の昭和南海地震では、4メートルの津波が広川町を襲ったが、堤防が守った地域は無事だった。この事実は梧陵の功績とともに、後の世に語り継がれることとなる。

まんが日本むかしばなし「稲むらの火」

まんが日本むかしばなし💛稲むらの火 109
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年月がたち昭和時代、この地域に再び未曽有の地震と大津波が村を襲った。これほど巨大な災害にあって、津波の被害は最小限にとどめ、代々伝わる「稲村の火」の教訓が生きていたのだ。

「稲むらの火」は教科書に掲載され、防災の重要性と勇気を代々伝えていった


1937年から1947年にかけて、一人の教員が子ども向けに書き改めた物語が「稲むらの火」として国語読本に掲載された。この物語は多くの子どもたちに防災の重要性と人の勇気を伝えた
そして今、国連はあの津波が村を襲った11月5日を「世界津波の日」として定めたのである。現在、広川町には「稲むらの火資料館」があり、そこには「濱口梧陵記念館」と「津波防災教育センター」が併設されている。世界中から訪れる人々は、梧陵の遺志に学び防災の知識を深めている。
資料館のホームページ世界8カ国語に翻訳され、物語は遠く海を越えて伝えられている。浜口梧陵が築いた堤防は、今も広川町を守り続けているのである。

メッセージに現れた真実に衝撃を受けた

  • 濱口梧陵の勇気あるふるまいに強く心をうたれ、調査をはじめたある日、Youtubeの「稲むらの火」をチェックしていたわたしの目に、衝撃的なメッセージにくぎ付けになった。『NHKの大河ドラマも、同じような時代・人物を取り上げず、埋もれた偉人をテーマにするべき』と記載があったのだ。

  • 国民は真実を知る権利を訴えていた。

  • こんなりっぱな行いをした人物がいて、これに感銘を受けたラフカディオ・ハーンが短編にこの物語を掲載し、多くの人がこの事実を知ることになった。その後、濱口梧陵氏は村が再び津波の被害に遭わないようにと、私財を投げうって堤防の建設を思いつき地震と津波で仕事を失くした村人を雇用し、一緒に堤防を作った。そのおかげで、その後長く村は津波の被害を受けずに済んだのだ。

  • しかし昭和南海地震は、1946年12月21日午前4時19分に発生震源は和歌山県南方沖マグニチュード(M)8.0。1443人が死亡・行方不明となった。けれど、被害は堤防のおかげで最小限に抑えることができたといわれている。

稲むらの火が、わたしたちに伝える真理とは

このエピソードを知って不思議だったのは、かつて教科書に掲載された逸話がわたしたちに伝わっていないこと。日本は災害の多い国で年中災害の被害がある。このような真実を学ぶ機会があれば、居住する地域に何かあった時すべきことがもっと身についているかもしれない。いいえ、それが日本でなくて海外であっても、やはり咄嗟の判断の必要な災害においては。、学んでも学んでも学びきることはないだろう。だからこそ、この教訓を次の世代に伝えることは、日本においてはもちろんだが、世界各国にも伝えていきたいものだ。和歌山県有田郡広川町は、「稲村の火の館」で、防災を学ぶことができる

とっさの判断で、多くの命を津波から救った濱口儀兵衛に学ぶ

1854年に起きた安政南海地震の際に、自身の田にあった稲わらに火をつけることで村民の注意を引き多くの命を津波から救った濱口儀兵衛(梧陵)の実話から感じるのは、ダイナミックな決断だ。災害時にあっては、そのくらいの大胆な行動でなければ、多くの生命を救うことができなかったかもしれない。こういうことは学んで身につくかどうかは不明だが、できるだけ多くのケーススタディができるに越したことがないと思う。

濱口梧陵が救済した村民。そして復興の象徴の堤防築造。梧陵の功績と広川町の防災への歩み

【若一調査隊】語りつがれる「稲むらの火」安政南海地震で津波から人々を救った、濱口梧陵ゆかりの地をめぐる
Youtube登録:読売テレビニュース

11月5日は「世界津波の日」。きっかけは江戸時代の安政南海地震でした。津波から人々を救った濱口梧陵の行動と復興の象徴でもある堤防築造など、濱口梧陵の功績を振り返りながら「稲むらの火」ゆかりの地、和歌山県・広川町を巡ります。 (かんさい情報ネットten. 2024年11月6日放送)

津波から命を守った梧陵と、みんなの防災

RNC news every.【every.みんなの防災】津波から命を守った「稲むらの火」 2021/11/04放送
Youtube登録:RNC西日本放送

浜口梧陵、来年生誕200年で「未来会議」発足

https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/bousai/pdf/bousai_Topic01.pdf

広川町消防団トピックス 1
今年度から広川町消防団に初の外国人団員、キリアジス・ジェームズ・クリフトファーさん(広川町猪谷在住)が入団しました。
これも、和歌山県有田郡広川町の「稲むらの火の館」の防災活動の1つの形ともいえる。こうして日本におられる海外の方が、防災活動に参加して防災への理解と技術を習得いただけたら、と思います。

和歌山県有田郡広川町「稲むらの火の館」のその他のご案内


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kyotoK
noteの2年目はチャンレンジングな創作にもアプローチしたいです。応援いただいたチップで取材をしたり、作品づくりに活用させていただきます!