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NYのクリエーターが残した言葉
その頃、メイもユーコも駆け出しのクリエーターで、人に自慢できるプロフィールもたいしてなかったが、日々膨らみ続ける将来の夢を糧に、それなりに充実した日々を送っていた。ユーコ自身も、家族や周りのクリエータも、縁遠い子と思われていた。その分、仕事へのバイタリティは人一倍だった。二人は仕事につまると、ちょっとした自分たちへのご褒美に財布と相談しながら、たこ焼きだったり、イタリアンだったり、奮発して京料理を味わったりして、自分たちを鼓舞するのだった。その日はユーコのバースデーだった。早めに仕事を切り上げてお馴染みの「ブランカ」で乾杯する姿があった。ほろ酔い気分のユーコが妙なことを言い出す。「去年の連休にふら~とNYに行ったでしょ。そのときにワシントンスクエアで知り合った兄ちゃんからメッセージがきてね」とユーコがめずらしく真顔でいう。「NYで一緒に暮らさないかって…」、メイは即座に旅行の写真を思い出した。アフリカ系か、スパニッシュ系アメリカ人らしい風貌のナイスガイとのツーショット。「ユーコ!これって、天からの贈り物じゃない?こんなチャンスを逃す手はない。すぐにNYに行くべきだよ!」と大賛成したのは、ユーコの本意を見越してのことだった。メイに後押しされる形で、ユーコのアメリカ行きが決まった。
ユーコのBaby Boyは、両親のいいところを映していた
1カ月後、クリエーター仲間が集まって、いきつけの居酒屋でささやかなユーコの歓送迎会を開いた。大いに盛り上がったその夜、ユーコは帰りのタクシーの中で「彼はわたしより7歳年下でね。一時的なつきあいのつもりで年をごまかしてしまったんだ」という。「なんちゃないよ。日本人は若く見えるし、年のことなんかアメリカ人は気にしないって」というメイの言葉にすっかり酔ったユーコは満足そうに大きくうなずいた。
2年後、かわいい男の赤ちゃんを出産したユーコから、しあわせそうなBaby Boyと夫とのスリーショット画像が届いた。両親のいいところを映した子だった。スカイプでお互いの近況を話しあい、NYのクリエーター生活が定着してきたことも感じられた。その頃のユーコはイラストレーターの仕事が順調で、家族関係もまんざらでもない様子だった。毎年夏には帰国し、わたしたちは以前のように楽しい時間をともにした。「日本で手に入らなかったクリエーターの仕事やら、夫と子供のいる人生がNYにあったなんて…」、思いを込めたユーコの声がわたしの心に響いた。
ユーコの友達、NYで出会ったジョシュが生涯の友に
子供が小学生になったそんな頃、父が大学の研修でNYに行くことになり、わたしも同行することになった。息子連れで迎えてくれたユーコと、ジョン・F・ケネディ空港で再会した。「メイ!本当に来たんだね~」、アメリカンなハグを真顔で眺める息子は、わたしの身長と同じくらいになっていた。1週間後、父を大学の宿舎に送り、わたしたちはジャズクラブのライブに熱狂したり、ショッピングに興奮した。ある日、ユーコの友達がわたしたちのディナーに加わった。流暢な標準語と大阪ことばを使い分けるジョシュアは「楽しい日本人がきたら紹介して」とユーコに頼んでいたそうだ。わたしたちはジャズや映画の好みもぴったりで、その後、ジョシュとは長い友達関係が続くことになった。
1人で旅立ったユーコ、得難い人生との出会い
メイはアジア各地の仕事が増えて、シンガポールに拠点を移し、慌ただしい毎日を送っていた。仕事に追われ、ユーコとの連絡も途絶えがちだった。そんなある日、数年前にNYからサンフランシスコの大学に移ったジョシュから入電があった。のんびり屋の普段とはまったく異なる切迫した声で「メイ、大変なことになった。知り合いからの連絡で、ユーコが重い病気で3か月前に亡くなっていたとわかった」という第一報だった。ショック状態だったが、遠く離れた南アジアでできることは、すぐにユーコの実家に確認することしか思いつかなかった。電話口の母親はうろたえるばかりだった。なんとか亡くなった事実は確認できたが、夫と子供のことはわからなかった。ジョシュも探してくれたが、ふたりのその後のことはわからず、彼の実家に行ったのだろうということになった。
ユーコがどこに眠っているかはわからなくても、メイはお盆になると、ユーコの冥福を祈るのが習慣になっていた。あの時、NY行きを悩んでいたユーコの決意を後押したことを、幾度となく反芻した。ユーコの残したあの言葉が、メイの心の支えだった。縁遠いと本人も周りや家族からも思われていたユーコが、NYに行って、ホンモノのクリエーターとして活躍して、夫と子供のいる家庭を味わったのだ。長生きするから幸せとは限らない。これがユーコらしい人生なんだと、線香を消して寺を後にした。
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