人に擬態する
私は孤独が好きだ。一人の時間が最も落ち着くし、可能ならばずっと一人でいたい。
だから人間にあふれたこの社会が苦手だ。
だが、ずっと閉じこもっているわけにも、ずっと引きこもっているわけにもいかず、人間社会で生きている。
社会を、人を嫌う私は、
社会の中では人に擬態して、普通を装う。
人は会話を好む。
確かに会話はいい。人とつながっている実感がする行動であり、それは社会に溶け込めている証拠であり、擬態に成功したという快感がある。
ただそれだけだ。他の人が何のために会話をするのか分からない。
人はみな擬態に成功しているかを確認するために会話をしているのだろうか。
会話の多くは中身のない雑談だ。私には内容のない会話をする意義が見いだせない。
相手の好きなものや思想を聞かされたところで、私に益はない。
自分のことを開示したところで、何かが変わるわけでもない。
だから会話を自ら始めようとは思えない。
それでも人に擬態するため、私は会話を今日も試みる。