見出し画像

【ショートショート】カラオケの神様

「君を待つから~」

 マイクで声を響かせるのは気持ちいい。
 薄暗い室内。煙草と空気の籠った独特の香り。隅っこがほんの少し剥げた四角いソファーに低いテーブル……。

 僕はカラオケの一室で歌っていた。

 連日カラオケに通いすぎて自分の部屋のように思えてならない。

 歌い終わった僕は達成感で満たされる。これは……高得点の予感。
 消費カロリーが表示された後、採点結果の画面に切り替わる。僕はドキドキしながら画面を食い入るように見つめた。

『73点 声が不安定です。メロディーをちゃんと聞きましょう』

  容赦のないコメントが表示され、僕はがっくりと肩を落とす。歌っている時はそりゃあもう一流の歌手のような気持ちで歌っていたのに。僕は残酷な現実に打ちのめされる。

「あざ~っす」

 金髪のバイトのお兄さんの雑な接客を受ける。ひとりで来ているからお兄さんと目を合わせるのが気まずくて、受付の壁に掛かっている誰のものか分からない色褪せたサイン色紙に視線を向ける。

「あれ?歌川奏汰うたがわかなたじゃない?」

「ひとりでカラオケとか……大丈夫なのかな?」

 地方都市で一人カラオケするのは同級生と鉢合わせるリスクが高い。女子生徒に笑われて恥ずかしく思っている場合じゃない。僕は来るべき日に向けて準備を進めていた。

 僕がカラオケに通い詰めるようになったのには理由がある。

 

「歌川が文化祭のステージに出場して一人で歌うぐらいのことがないと行かない」

 幼馴染の有賀ありがみのりが真顔で突拍子もないことを言う。ベリーショートに上下ジャージ姿はどう見ても不登校の女子生徒には見えない。「高校生アスリート』のようだ。顔色が悪いわけでも、人に怯えているわけでもない。視線は真っすぐスマートフォンゲームに向けられていた。

「なんだよそれ」

 僕も同じスマートフォンゲームをしていたが、思わず画面から顔を上げる。

「学校つまんないから。それぐらいのイベントがないとね」

 有賀と僕は幼馴染……というか腐れ縁で。小さい頃からお互いにゲームをするだけの仲だった。時々こうやって有賀の部屋で特に会話することも無くゲームを黙々とする。小学校の頃からの習慣になってしまった。

 近所に学校が少ないこともあって、僕と有賀の進学先は幼稚園からほぼ同じである。まあそれは僕らに限ったことではなく、周りの奴らも皆一緒だった。

 何があったのか知らないけど2年生に上がった年、有賀は学校に来なくなった。「面倒だ。退屈だ」と言って。
 僕だって学校はそこまで好きじゃない。面倒だと思う日もあるけどさすがにこのままではヤバいんじゃないか?と思うようになった。だから有賀に「そろそろ学校来れば?」と言った結果、訳の分からないことを言われたのだ。

 有賀のにやけ顔から「お前にそんなことできるわけない」ってにじみ出ていて悔しかった。負けず嫌いの僕は有賀のゲームに受けて立つことにしたのだ。

 文化祭のステージで歌うため。僕は柄でもないのにカラオケで歌の練習をしている。

 

『70点 音程がブレブレです。しっかり音を聞いてって……何度言わせんだ』

 僕がカラオケに通い詰めたせいだろうか。カラオケの採点コメントの表示がおかしくなりだしたのは夏休み期間……お盆の頃である。

 いつも気にしないで読み流していたけれど今回ばかりは見逃せなかった。「何度言わせんんだ」って?まるでカラオケ機材の中に人が入っているかのような物言いだ。思わずカラオケ機材に触れたり、裏側を確認したりする。
 もちろん、機材の中身や背後から見知らぬおじさんが飛び出してくることはなかった。

 不思議に思いながらもタッチパネルで同じ曲を入力し、歌った。さっきよりも上手く歌えただろうと思ったのに……。

 

『67点 音程もリズムも取れてない。まずは発声練習から。……歌、舐めてんのか』

「だんだん口が悪くなってきたな……」

 僕は採点のコメントに腹が立つようになっていた。やけくそで色んな曲を入れて歌った。

 

『67点 曲の音域と声域が合ってない。他の曲を歌え』

『65点 アレンジのし過ぎ。音もリズムもずれてる。もっと原曲を聞け』

 

 その後の結果はもう散々だった。喉が掠れて今日はもう駄目だ……。
 最後の採点もきっと酷いことを言われるのだろうと覚悟して視線を画面に向ける。

 

『??点 思いを届けたい人のことを思いながら心を込めて歌え。そうすれば届く』

 

 厳しい言葉はなく、優しささえ感じるコメントに僕はぼんやりとした。コメントの表示が消え、カラオケ店だけで放映されている番組が流れる。

 そうだ。僕は……なんのために歌うんだっけ?

 カラッカラになった喉に氷が解けてぬるまったカルピスを流し込むと、僕は再びタッチパネルに手を伸ばす。

 

 夏休みが終わったとは思えないほどの暑さの中、文化祭が開かれた。

 体育館ステージのタイムテーブルに軽音楽部や吹奏楽部が並ぶ中、「2年3組 歌川奏汰 独唱」という異常な一文が目に入る。

 昼のステージは人が少ない。みんな昼ごはんを食べに出ているからだ。それに軽音楽部と吹奏楽部というメインの演奏は終わってしまったので客席の人はまばらだ。

 それでも座席には僕を冷やかしにきたであろうカラオケで鉢合わせたクラスメイトの女子生徒もいたし、ステージを終えた軽音楽部の連中がニヤニヤしながら僕を見ていた。こうなることは想定済みだ。ステージ映えしない僕がひとりで熱唱するなど……どうみてもお笑いにしかならない。

 僕は客席に有賀がいるのを見つけた。いつもの上下ジャージ姿で足を組んでこちらを見ている。威風堂々たる姿はとても不登校の生徒には見えない。クラスメイトに話しかけられて、軽く受け流しているのが見えた。

 笑うでも手を振るでもなく、監督のように僕のことを真剣に眺めている。

「それでは2年3組、歌川奏汰さんのステージです。どうぞっ!」

 半笑いの司会者が前口上を終えると、何度聞いたか分からない前奏が流れ始める。

 カラオケの採点でおかしな表示が出るようになってから僕は真剣に歌に向き合い始めた。

 歌い方動画を見て回り、発声練習もした。何よりもあの日に表示されたカラオケの採点コメント通り、心を込めて歌う。そうすれば「届く」はずだから。

 

 別に有賀のことが好きな訳じゃない。一緒にいてドキドキするような間柄でもないし、ふたりで特に何かしたいわけでもない。でも、有賀のいない学校生活は退屈だ。

 

 僕が歌い始めると周りの空気が変わった。さっきまで馬鹿にしたような表情を浮かべていた司会者の顔が真剣になる。客席の人達も驚いた表情で僕を見ていた。

 

 また授業が怠いなって言い合いたいし、ソシャゲについて下らない議論をいつまでもしていたい。それまで……

 

「君を待つから~」

 

 歌い終わった後、人数にしては大きな拍手の音が体育館を包んだ。カラオケで鉢合わせた女子生徒なんか泣いている。有賀はというと……ほくそ笑み、足を組んだまま優雅に拍手をしていた。

何だよ。そこは泣くところだろうが。でもあの顔は……難易度の高いゲームをクリアした時と同じ顔だ。要するに……喜んでいる。

 こうして一生に一度であろう、僕の一大イベントは幕をとじた。

 

「歌川君って歌うまかったんだねー。感動しちゃった」

 興奮したようにクラスの女子が話しかけてきた。

「うん。まあ……練習したから」

 適当に流そうと愛想笑いを浮かべる。

「あのカラオケ店でしょう?あそこ出るって有名なのに、よく一人で大丈夫だったよねー」
「出る?出るって何が?」

 女子生徒の会話を聞き流すことができなくなった。思わず真剣な表情になる。

「幽霊だよ!昔駆け出しのバンドマンがね、突然具合悪くなってあのカラオケ店で死んじゃったんだって。怖いよねー」

 僕はその話が少しも怖いと思わなかった。

 

「ちょっとトイレ行ってくる」
「いってら」

 それから僕と有賀は学校帰りに出ることで有名なカラオケに寄ってゲームをするのが日課になっていた。相変わらず有賀はジャージ姿だったけれど学校指定のジャージに変わった。

 久しぶりにタッチパネルに手を伸ばし、曲を入れる。曲はもちろん、文化祭で歌った僕の十八番おはこだ。

 今度は有賀のためじゃない。あの人のために歌う。心を込めて歌えばきっと届くのだと信じて。

 

あなたのお陰で僕は文化祭ステージで歌うことができました。有賀も学校に来るようになりました……。どうか感謝の気持ちよ……届け!カラオケの神様へ!

 

 騒がしい音声とともに点数とコメントが表示される。

 

『92点 ありがとな』 

 

 僕はそのコメント表示が消えるまでいつまでも、いつまでも眺めていた。


いいなと思ったら応援しよう!