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インドネシア留学 #9お別れ~帰国

ついにこの日がきてしまった。
インドネシアから日本に帰国しなければならない日が。

留学中、
「私のレベルで留学に来てよかっただろうか」
「コミュニケーションが難しくて留学が辛い」
などと感じることもあった。
しかし、それ以上に素晴らしい仲間と出会い、輝かしい思い出が積み重なり、留学生活はかけがえのないものになった。
留学終盤には、
「どうしたらインドネシアに住めるだろうか?」
と考えるほど、帰りたくない気持ちでいっぱいだった。

そんな最高すぎたインドネシア留学。
最後のお別れと、日本に帰国して感じたことを、記憶と感情が鮮明なうちに記しておきたい。


<Sampai jumpa lagi ya>

”Sampai jumpa lagi ya”
これは、インドネシア語で、
「また会おうね」
という意味。
毎日、学校の授業が終わるたびに、友達とこの言葉を交わしていた。
だが、帰国前、この言葉の重みを改めて実感した。

日本とインドネシアは、飛行機で早くても7~8時間の距離。
つまり、決して簡単に会える距離ではない。時間だけでなく、金銭面からも簡単に会えない。
金銭面でも簡単ではなく、実際、私も片道の航空券に10万円を費やした。
すぐにでも戻りたい気持ちはあるが、次はいつ会えるかわからない。
だからこそ、今まで当たり前に「Sampai jumpa lagi ya」と言い合えていた日々が、どれだけ尊いものだったかを痛感した。

日本への帰国前日、友達や今まで関わってきた方々との最後のお別れ。
話しているうちに涙が止まらなかった。それでも、お互いの思い出やこれからのことを、心ゆくまで語り合った。
そして、本当に最後のお別れの時。
「なんて言うのが正解なんだろう?」と自問自答をしていた。

最後の朝。
雨季にも関わらず、珍しく快晴。私たちの門出を祝福してくれた。



けれども、結局最後には、
「Sampai jumpa lagi ya」
と私はあえて言った。
具体的に、いつ会えるかは分からない。
すぐに、会えるわけではないことも分かっている。
それでも、必ずまた会おうという意味を心から込めて、泣きながら叫んだ。
(余談ですが、『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』という本おすすめです!!リンクは、note下記へ。)
「Sampai jumpa lagi ya!!!」

生まれた場所も、育った環境も、文化も、全く違う私たち。
だけど、お互いに夢をもって、明日に向かって歩いてる。
そんな心強く、カッコイイ仲間たち、優しくてずっと気を配ってくれた友達。
前回のnoteでも書いたが、出会えたことがキセキ。

こんな広い世界で巡り合えたなら、必ず、また会える。
私は、そう信じた。


<帰国後>

~逆カルチャーショック~

そして日本到着後、究極に寂しさが私を襲った。

あんなにうるさくて嫌気がさしていた、早朝のモスクのアザーン。
トイレットペーパーがなく、シャワーで流していたトイレ。
突然降りだす雨季のモンスーン。
全てが恋しくなった。

インドネシアでは、知らない人同士でも挨拶をして、微笑み合うのが普通だった。
しかし、日本で同じことをすれば不審がられてしまう。
急に、人との距離感が分からなくなり、日本の文化に対する逆カルチャーショックを受けた。
恋しくて、恋しくて、日本の料理では満足できず、真冬の寒さが身に染みた。
しかし、そんな悩みも時間が解決してくれた。
帰国後からクリスマスやお正月などを迎えて、慌ただしい日々に身を委ねていたら、あっという間に時間が過ぎ、気づけば日本人らしく、生まれ育った日本の文化や生活になじんでいった。

大好きなおせちとお雑煮
念願のSHO FARMさんの餅つき大会に参加!


人はこんなにも簡単に、経験や感情を忘れてしまうのか。
衝撃だった。
こんなにも簡単に、人は今までの経験や感情を忘れてしまうものなのだ、とショックを受けた。
確かに、郷に入っては郷に従えのように、新しい環境に適応することは大切である。
しかし、私はこれからも異なる価値観を持つ人々と交流しながら生きていきたい。
インドネシアでは、自分の感情をオープンにして素直に表現したり、人の目も気にせずに生きていた。
留学を経て価値観が変わったはずなのに、帰国した途端に元に戻っていた。まるで、すごろくゲームで振り出しに戻ったようだ。

すごろくではないけど、家族とやったボードゲーム
”カタン”
領土取りゲーム。

どちらが、よいかは人によって異なるが、私は、インドネシアでの生き方が自分らしいと思っている。
日本でも、羞恥心を忘れない程度に、自分らしく生きていきたい。

~繋がり~

ありがたいことに、今でもインドネシアの友達や仲間とWhatappやDMを通して繋がっている。
確かに、SNSなどの使いすぎは良くないが、スマホやインターネットがあってこんなにも遠く離れた場所の人と簡単に連絡を取れる時代に生まれてよかったと思った。
これからも、末永く関係を築いていきたい。
空を見上げて、海を見れば、私たちは同じ地球の上で繋がっている。

~留学生との交流~

半年間、インドネシアで暮らしていたことで、インドネシアアンテナが立つようになった。イスラム圏のヒジャブを身につけている方やインドネシア語が聞こえてくると、体が自然に反応してしまう。
そして、帰国後は私の大学にインドネシアからの留学生がいたので、交流するようになった。
インドネシア語は、挨拶程度しか出来ない私だが、
「Makasi ya」(ありがとね)
「Nama saya koko orang Japang」(私の名前は、ここです。日本人です!)
などと伝えると、すぐに嬉しそうな顔で
「Oh you can speak bahasa indonesia??」(え!インドネシア語しゃべれるの??)
と驚いてくれた。

彼女も留学生なので、インドネシアに帰国。
Smapai jumpa lagi ya!!!



言葉が全てではない。
しかし、たった一言でも現地の言葉を話せば、心の距離が縮まる。
そんな経験を通して、もっと他国の言語を学びたくなった。
今年は、台湾とヨーロッパへ行く予定である。
新しい言葉で心の距離を縮める魔法を学んでいきたい。

<最後に>

羽田空港に到着したのは、朝4時の早朝。
まだ朝日が昇る前の暗闇の中だった。
目に入る日本語表記と耳に飛び込んでくる日本語の会話。
その瞬間、日本に帰国したことを実感した。
色んな感情がパレットの上の絵具のように、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
その中でも、強く感じたのは、「ありがとう」という感謝の気持ちだった。
留学生活を支えてくれた全ての方々の顔が一人ひとり浮かんできた。
不安なことも、Buddyだけでなく、全ての方々が優しくサポートをしてくれた。
無事に、日本に帰ってきたのは、当たり前ではない。
留学生活の日々を忘れることなく、次のステップにつなげていく。


今回の記事で、引用したサイトやnoteはこちらにまとめてあります!


大切なあなたの時間を使って、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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