羽生結弦選手のプロローグ観戦の旅
当たった⁈
11月11日、チケットサイトからの当選メールを見た瞬間、信じられなかった
当たれば自分の誕生日のお祝いにしようと、プロローグの八戸公演の千秋楽を1種類の席だけ1枚申し込んでいた
これは行くしかない❣❣
羽生選手に惹かれた瞬間が蘇る
2018年2月の平昌オリンピックの出来事だった
2月11日、何気なくTVのニュースを見ていたら韓国の仁川国際空港に到着した羽生選手が映し出されていた
それまで、羽生結弦という名前や活躍をしている選手くらいの認識はあったが、フィギュアスケート自体にも関心が薄く、ましてや活躍の具体的な内容は知らなかった
しかし見えたのだ!羽生選手の周りに・・・
TVの画面越しに空港の壁を背にインタビューに答える羽生選手の上半身をすっぽりと包むようなオーラのようなものを
まるで風船のような、柔らかいゼリーのようなものの中に彼はいて、彼を包んでいるものを指でチョンチョン押すと押したところがちょっと窪むようなそんな感じがした
そして、インタビューで「自分は優勝する。」と言い切っていた
それは誰よりも自分が一番そうしたいと思っている気持ちが強いからとも答えていた 衝撃だった
このオーラに包まれている彼は何者?
そして、こうまでも自分の気持ちを包み隠さず話す彼は一体どんな人物?
強く惹かれた
インターネット上には彼の情報が溢れていた
インタビューの動画を見るたびに、受け答えする彼の人間力にどんどん惹かれた
真剣にスケートを見たのは平昌オリンピックが初めてだった
なんときれいなジャンプを飛ぶんだろう
ど素人の私でさえわかる
どんどんと深い深~い羽生沼に落ちていった
12月5日 いざ 青森へ
青森空港のあたりは2~3日前から今年初めての雪が降っていた
7時55分、離陸した飛行機のアナウンスが無情にも『青森空港の積雪量が着陸の際に危険と判断した際には、伊丹空港に引き返す場合もあります』と
え~~~~
飛行機から見える景色は一面雲のじゅうたんのオンパレード
それでも無事青森空港へ予定より10分早く着陸 周りは雪雪雪!!!
空港バスで青森駅へ
車窓からも一面の雪景色 今年初めて見る雪
綺麗だなぁと窓から目が離せない
40分ほどバスに揺られて青森駅に到着
青森駅から一駅だけ電車に乗り新青森駅へ
電車はドアの横についているボタンを押してセルフサービスでドアを開ける
さすが寒い国だから、考えられてるなぁ
新青森から東北新幹線に20分ほど乗って八戸へ
12時15分八戸に到着
徒歩2分ほどの会場に行く もう入場待ちの列ができていた
グッズ販売の入場整理券の指定時間は大幅に過ぎていたけれど、係の人の柔軟な対応で、すぐに何点かのグッズを購入することが出来た
グッズはチケットが当たると思っていなかったから、販売と同時にネットで注文済みだったけれど、記念になればと思いついつい買ってしまった
駅まで戻り、八戸を散策してみたり適当に時間を過ごして会場へ
14時 いよいよ始まる
あの黒いカーテンの向こうに羽生選手がいるのがまだ信じられない
あそこから飛び出してくる!!って思っていたら天井のスクリーンから映像が流れてきた
始まった!!
画面には、7月19日にプロアスリートとしてスケートを続けると決意表明した映像が流れ、その後試合前のウォーミングアップの映像が流れた
う~~~ん、美しい、どこから見ても無駄な動き一つなく練習風景ですら見惚れてしまう
どっぷりと映像に浸っていたら、いつの間にかジャージを羽織った羽生選手が目の前の氷上に立っていた
「6分間練習開始」のアナウンスとともに滑り出す
ああ、最後に生で6分間練習を見たのは昨年の国別対抗戦のショートだったなぁって思い出していた 私が生で見た最後の試合になった
穏やかに滑る羽生選手も好きだが、試合前の闘志むき出しの緊張感溢れる羽生選手も好きだなぁ
会場には『天と地と』の曲が流れていた
(上杉謙信がテーマだが、謙信と自分は被るところがあると言った羽生選手の言葉をきっかけに謙信の人物像に興味も持ったんだった 知ると確かに凄い人だった)
「練習時間、後1分です」
えっ、もう5分経ったの 息をするのを忘れたくらい時が止まっていた
プーさんと共に試合前のルーティンを行った後に代表作の『SEIMEI』が始まった
このプログラム生で見たかったんだ!!
TVでは聞こえない(我が家のTVがしょぼいだけかもしれないけけど)羽生選手が自ら吹き込んだ最初の「しゅ~~」って音も初めて聞いた
演技の一挙手一投足に思いが込められていると感じた瞬間から目から溢れ出るものがあり、心が震えた
トリプルアクセル 飛んだ なんて高く なんてきれいな回転
ジャンプはもちろん見せ場のハイドロブレーディングはあんなにも大きな円を描いていたのか、それもとてもとてもきれいな円(競技では円まではやらないけど)
あんな表情で演じていたのか 目の前をさぁーと横切る顔
陰陽師の映画のシーンも重なる
あっという間に終わった
会場中がスタンディングオベーションの空気に変わった
彼はそのまま幕間に消えていった
津軽三味線の音
ゲート付近から三味線の音が聞こえてきた
津軽三味線奏者は中村滉己さんという18歳の大学生で津軽三味線の世界大会で優勝された方だそうだ(ネットで知った)
津軽地方で聴く本場の津軽三味線は津軽のこの土地の空気感とも合わさって最高の音色なんだろうなと何となく思った
1曲ソロで演奏を聴いた後に『SEIMEI』の衣装から片袖だけの黒基調のベースに品のいい赤がさりげなくパンチを利かせている(衣装のセンス本当にいいよな)衣装に早着替えしてすぐに『CHANGE』を演じたくれた
かなりアップテンポな曲だし、さっき『SEIMEI』やってからあんまり時間経ってないじゃんって思いながら見惚れる
トークが始まる
息を整えながらも直ぐに中村滉己さんをリスペクトしながら紹介しお礼を述べていた(ように記憶している)
中村さんがはけてからいよいよトークが始まる
「全部のプログラムに全力を尽くしてしまうので最後まで持つかわかりませんがよろしくお願いします」と話しながら、衣装の上にジャージを羽織る
(横浜公演では確か羽織らずにそのままだったような? 寒いのかな? 体調崩さないでいて欲しいと瞬時に思った)
フィギアスケートはすごく体力を使うらしい 演技終わったら大変な状態で、本当はキスクラでニコニコなんてしていられないくらいで点数待たなくてよいなら倒れたいくらいと笑いながら話していた 笑顔もいいね
アマチュアから上のステージに上がってきたことへの覚悟のようなコメントもあったように思う
6分間練習込みの『SEIMEI』を演じるのはこれが最後かもしれないとも言っていた(実は、その場では『SEIMEI』を演じるのはこれが最後かもしれないのフレーズしか記憶できず、『SEIMEI』を今後観ることは出来ないのかと残念に思った。しかし、帰宅後にCS放送のライブ録画を見て6分間練習込みの『SEIMEI』と確認し安堵した)
その後質問コーナーに進み、事前に募集した質問2点の回答(私の質問は選ばれていなかった あはは)どんな質問にどう答えていたか内容が思い出せない
羽生選手が近い、目の前に
演技のリクエストコーナーに移る
①悲愴
②ロシアより愛をこめて
③Otonal
④Let's Go Kurazy
⑤花になれ
この5曲から演目を客席が選び、入場時に渡された暗闇で5色の色が光るバングルで意思表示する
私は①の悲愴を選んだ 観たかった だが客席は③Otonalが多かったようだ
だけどだ、羽生選手もかつて東日本大震災で仙台のリンクが使えなかったとき、八戸のリンク(今回のリンクとは別)で練習をさせてもらい、その時に完成させた曲が悲愴だったということもあり、悲愴をやりたいと思っていた
ささっと頭の中で組み立てたようで、音出しをするスタッフの方を向いて打ち合わせを始めた な なんと音出しチーム(?)は私の席の後方にいた
つまり、羽生選手が目の前に立って話していたのだ!!!
隣の席の栃木県(だったかな?)から来たと言っていた彼女とこのラッキーさを共に喜び合った
「では、こうします。最初にOtonalをやって、シングシングシングの〇〇は飛ばしてやって、最後に悲愴をやります」的なことを言ったように思う
〇〇のところは忘れた
めっちゃ嬉しかった 悲愴が観れた 演っている時の深い深い表情に魅入る
滑り終わって一瞬経ってから表情が変わり、話していた表情に戻った
魂から演じているんだと思った瞬間だった
今これを書きながらまた涙ぐむ自分がいる
「頑張りますね 観せたいんで 観て頂きたいんで 何かしら皆さんの心に残ったら・・」と
受け取ったよぅ 心に深く刻まれたよぅ
まだまだ続く
影の声の新村さんのリードにより、2日後に控えている彼の28歳のお誕生日のお祝いをする
光るバングルに心を託し、優しく揺らしながら会場が一体化していた
その後羽生選手が自ら選んだ東日本大震災の映像に入っていく
映像を見ながら、2011年3月11日のあの日、職場での出来事が脳裏に蘇る
そしてまた、私は1995年1月17日の阪神淡路大震災も記憶している
彼は直接経験した人もそうでない人も誰にも何かしらの震災の傷はあるというようなことを言っていた
確かに、直接的な被害はなかったとしてもニュース等を見て心を痛めたり、仕事やボランティアで現地に行って見た光景など今も鮮明に覚えている
彼の言葉は深い
やがてスクリーンからは『旧ロミオとジュリエット』の演技動画が流れてきた
でも私は、出てくる羽生選手を1秒でも見逃すまいとゲートばかりを見ていた
来た~~~卵色っぽい白を基調に銀色の飾りのあの衣装を着た羽生選手が出てきて滑り始めた
美しい 美しすぎる
そして、クライマックスのあの「ウォー」の叫びのような雄たけび
初めて聞いた(やはりTVでは聞こえない)
鳥肌が立った 嬉しかった 観たかった このプログラム
家に帰ってからも勝手に何度も何度も頭の中であの声とその後の演技のシーンが繰り返し繰り返し再生された
この辺りで私の集中力の糸がプツンと切れたのを感じた
もったいない話だけれど丸々全部演ってくれた『いつか終わる夢』も『春よ、来い』もどんなふうに感じながら観ていたのかも思い出せない
予定をすべて終了した後の挨拶で込み上げてくるものがあったのだろう
言葉を選び感情や涙を一つ一つ飲み込みながらプロローグ公演を支えてくださった方々に感謝とお礼の言葉を述べていた
私見だが、東北の地で舞うというのは羽生選手にとっては構えずに素になれる場所なのではないかとプロローグを見ながら感じていた
千秋楽と言うのも重なっているのかもしれないけれど、どことなしかリラックスしている表情を垣間見た気がした
他の地でのアイスショーでは感じない空気感を感じた
アンコールの情景は覚えている
『パリの散歩道』の見せ場を含めて演じた後に、会場を2回周回して手を振って挨拶をしてくれた きっとみんな満面の笑顔だっただろう
会場の外で会った中国から来たファン達も・・・
いつもの「ありがとうございました」で一度はけたけど、すぐに出てきてくれて『?』も演じてくれた さすが千秋楽だなぁ
その後スクリーンに2月26日のGIFT公演が映し出されて会場はどよめき立っていた そこに彼は再度登場してくれ、ほんとにどこまでサービス精神が高いんだろうとびっくりした
規制退場の最後組だったので、終わっても椅子の上で30〜40分ほど余韻の中にいることが出来た
良かった、新幹線を使ってその日のうちに帰り着くことも考えたが、終演時間を気にしながらでは楽しめないと思い宿泊を予定していた
17時頃八戸駅に行くと、お土産を求めてあちこち長蛇の列が出来ていた
彼は交通機関や八戸周辺の経済効果にも貢献してるなとニヤッとしてしまった
隣の席の彼女とは、ここで別れた
プロローグ公演が終わって早2週間余りが経ち、こんな風に近い距離で羽生選手の演技を観れる機会はこの先もないだろうと思いまとめてみた
録画していた放送は帰宅した夜に1度だけ見たが、自分が感じたことを言葉として残したかったので、これは記憶のままに書いてみた 少々違っているかも知れないけれど
改めて羽生選手が子供の時から演じているプログラムの一つ一つをとても大切にしていることを感じた
ジャンプがどうのとか技術的なことはよくわからない
ただ、とても深く深く心に刻まれた大切な時間だったことを残せればいい
ありがとう!羽生選手
ありがとう!行かせてくれた家族よ
青森小旅行
アイスショーが終わると新幹線でまた青森に帰り宿泊した
この旅で知ったのだが、新幹線の盛岡と新青森間は自由席の設定がないから、特急券だけで、空席があれば座れる
往復とも座れた
公演終了後も胸がいっぱいで空腹を覚えずこの旅行で1キロ体重が落ちた
ホテルで友達に送ったラインを見返すと
『言葉が出ないわ 控えめに言っても最高!ぐらいじゃ終わらないわ
終演後5時間経ったけど、まだ正常化しない』って
その日はおとなしく寝た
久々のビールも手伝って寝入りは早かった
6日は午後に飛行機を予約していたので、朝のうちに青森市内を散策した
雪対策にかんじきを持参したが、歩道にも雪はまだ残っていたけど、降っていなかったので使わずに歩くと5回ほど滑った 幸い転びはせずに踏みとどまれた←私、雪国出身
温泉に
まずは朝の6時から開いている、日帰り温泉に行った
外観は美しくないが、中はきれいだった
入浴料も450円とリーズナブルで、タオル等も有料で貸してくれるようだがホテルから持って行った
お湯もサラサラとしていて温度も丁度良くトータル1時間も入っていた
上がってから珈琲を飲みたかったが、温泉についているお食事処はなんだか和定食ばかりで、塩分が苦手な私は尻込みしてしまった
ネットで見ると駅前ビルにスタバがあったので行ってみたが、工事中で入り口がわからない
仕方がない、ここまで来たら青函連絡船の港まで行ってみるか
青森駅から徒歩5分くらいの場所だし
元青函連絡船の港
青函連絡船は1988年で運行がなくなり、今は列車とフェリーが運搬を担っているようだ
あいにく港には八甲田丸以外は泊っていなかった
この港は雪が解けているが日が当たらない道は、歩道を含めて除雪車が雪かきをしていた
駅前を歩き回って結局コンビニで珈琲と朝食を買い、部屋で食べて10時20分の空港バスに乗り青森空港に向かった
2022/12/21
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