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【私の脱毛遍歴1】ずっとコンプレックスでした

剛毛だ。
小学2年生の夏、プールの時間。転校生の男の子から、「おじさんみたいな足だな」と言われたのが衝撃的だった。
化粧といい、下着といい、ファッションといい、スキンケアといい、私は美への目覚めがことごとく遅いのだが、脱毛に関しては誰よりも早かった。まつ毛のような、眉毛のような、髭のような、大人の脇やデリケートゾーンと同じくらいの黒黒してしっかりした太い毛が、小学生の頃から脛や二の腕などにしっかりと生えていたからだ。
私の「ムダ毛」との戦いについて、記録として残しておきたい。娘さんをお持ちのお母さんも参考にしていただければと思う。

1 パイナップル豆乳ローション(小学校中学年)

生まれた時から、黒黒とした髪の毛の生えた赤ちゃんだった。
母方の祖父が剛毛で、母も剛毛。そこからの遺伝で剛毛だった私だが、それを一番気にしてくれていたのは母だった。
小学生ながら、自分が剛毛だということに気づいて気にしてはいたのだが、母の優しさなのか、あまり指摘されることはなかった。
ただ、前述の通りに小学2年生に、初めて他人から指摘されるという経験をする。
そこから若干気にするようになるのだが、母親は私にムダ毛処理をさせなかった。
それは、お風呂など親に見えないところでカミソリを適切に扱うことができるのか不安があったのだと思うし、肌が弱い私が肌を荒らす危険を考えてのことだろう。
唯一、ピアノの発表会のワンピースと夏祭りの浴衣の時だけ、足やうなじを剃ってくれただけで、それ以外は基本的に生やしっぱなしにされていた。

中学年になり、カミソリデビューを果たしてしばらくたったある日、母親が雑誌の紹介で「パイナップル豆乳ローション」なるものを発見する。
豆乳とパイナップルとレモン汁で作ることのできるローションだ。これだけの材料で作ってくれた手間暇を考えるととてもありがたい。ただ、当時小学生の私には、お風呂上がりに毎日これを塗り込むということがどうにも習慣化されず(顔を洗ったり、歯を磨いたり、軟膏を塗ったりということが習慣化されていないものぐさな子供だった)、効果の程を感じるほどには習慣化されなかった。

2 医療脱毛(小学校高学年〜中学生)

毎日風呂でカミソリを使う私をみかねて、母親が形成外科に連れて行ってくれる。そう、医療脱毛だ。当時、周りの小学生には脱毛をしたという子は聞いたことがなかった。初回の施術はまだ初経を迎える前だったと思う。
「手術室」に寝かされ、看護師が毛の生え具合を確認する。生え具合を確認したいから施術前数日は剃ってこないでね、と言われていたが、思春期の女の子にそんなことをお願いする方が酷だと思う。私は毎回しっかり前日に剃れた状態で通院していた。

残っている毛を剃ってもらった後に、蛍光ペンで縁取りをされて、いきなりガンガン照射される。若干冷やす時間があって、帰る。
施術に関しては結構ちゃんと痛い。レーザー脱毛の痛みの表現には、「輪ゴムをパチン」という表現がある。輪ゴムの太さや引っ張り具合で全然痛みが異なると思うのだが、普通のサイズの輪ゴムをちゃんと引っ張って「パチン」したときの痛みだ。一瞬冷たい後に、一瞬の痛みと軽ーいやけどのようなヒリヒリ。痛みに弱い人間なので、「ヒィ」とか「ツッ」とか、待合室まで悲鳴が漏れていたらしい(母談)。私が盛大に痛がると、看護師が少しめんどくさそうに「がんばれ〜」と励ましてくれる。あまりにも痛がると、照射の温度を下げられていたそうだ。それでも治療費は変わらないことを母は嘆いていた。

1回あたりに1万円以上もかけて行うもので、一回での効果が凄まじい。太ももとすね・ふくらはぎの2箇所を交代で施術してもらっていた。そのうち、前腕と二の腕も施術してもらうようになった。だいたい、小5の冬〜中2くらいまで続けたと思う。数ヶ月に1度連れて行ってもらうのが習慣になっていた。

だが、これだけで完璧に脱毛は終わらないのだ。なぜならまだ普通に生えていたのだから。続きはまた今度。

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