【覚書】インディーズ合唱の構想: 場を考える
前回の記事(https://note.com/cochu02theworld/n/n80184331314b)でインディーズ合唱という妄想を開陳した。折角なので、思いつくアイディアをシリーズ物みたいにして書き連ねて行こうと思う。飽きっぽいので書くのに飽きるのが先か、アイディアが尽きるのが先か。
今回は、合唱の本番をする場所について疑ってみようと思う。作品の本質には関わらないかもしれないけれど、合唱を時間芸術というだけでなく、空間芸術としても捉えてみる(時空間芸術?)のも面白いかなと思う。「ホール内に8次元空間を構成して、曲に合わせてビッグバンを起こす」みたいな物理的に不可能なことは書かないつもりだけど、「そんな建物、建てない限りありません」みたいなことはあるかも。妄想なので、資金力とかは無視するのだ。人間は想像によって存在しない無限を作ることができるので。また、既に演出として行われていることも含まれているかもしれない。だいたい、自分が思いつくことなんて既に誰かが思いついていると考えた方が良い。私もとてもいい修論のアイディアが思いついたと思ったら4、50年前の論文で言われてたことがある。己の矮小さを知れ。まあ、誰かが思いついてても構わない。私オリジナルだ!とは主張しないので。
また、作品の本質ではないかもしれないが、ある空間を前提とした(あるいはある空間を起点とした)合唱作品を作るというのも良いと思う。そもそも合唱自体が通常のコンサートホールで歌われることを前提としているのだから。
合唱はコンサートホールで歌う
まずはコンサートホールで歌うことを疑ってみよう。インディーズ合唱を思いつくきっかけでもある。例えば、小劇場のようなハコで歌うのも良いかも知れない。客席数も少なく、しばしば壁も天井も黒く、演劇向けに建てられたあのハコである。響かないかもしれないが、これくらいの大きさなら構わないだろう。多分。客との距離が近い分、表情も見える。発声の仕方も変わるかもしれない。より演劇に近づけた歌い方や曲が似合うかもしれない。
また、小さなライブハウスで歌うというのも良いかもしれない。ここにはたくさんの機材がある。少人数アンサンブルでマイクを持てばアカペラになる。インディーズ合唱において、アカペラとクラシカルな合唱の境目は限りなく薄くなるだろう。スピーカーに繋げるなら、ループステーションなどに繋げば、1人でも合唱ができる。その場でつなぎ合わせるのだ。クラシカルな合唱でない文脈なら、そのようにして己が身一つと機器を組み合わせてパフォーマンスをする人も存在する。聴覚印象で言うならばそれも合唱に含まれるはずだ。また、あらかじめDTM等で作った音源を伴奏にして合唱することもできるだろうし、エレキギターやエレキベース、ドラムセットなどを伴奏にした合唱曲というのもありだろう。生声で人々をノセることもできるだろうか?
そもそも、そういった文化芸術的な活動をする場でない場所で行うということも考えられる。響けば良いのならば、トンネルや橋の袂といった屋外も考えられる。喫茶店といった商業施設も良い。茶の湯や野点など、合唱以外のために設けられた場(ここでは物理的な空間以外に、目的を持って人々が集まるところをも意味する)で歌い、合焦以外の活動と合焦を組み合わせるのも面白い。いっそ響かない場所という考えもある。例えば屋外など。無響室でやるのも面白いかもしれない。全く響かない空間ではどうハモれば良いだろう?考えるだけでワクワクしてくる。
合唱は舞台で歌う
普通、合唱を歌う場は舞台と客席に分かれている(これは合唱には限らず全ての舞台芸術に言えることではあるが)。大抵舞台と客席は段差や線といった物理的な障壁で分けられているか、「広い空間」と「客席が置いてある空間」という機能的な差異によって分けられている。これを疑えないだろうか?
例えば、「客席の前に舞台がある」というスタイルを疑う。舞台を客席の周りを囲むように配置し、合唱団員で客を取り囲むということもできる。逆に、客席で舞台を囲んで衆人環視にするのも面白い。あるいは、客席で舞台を挟むということも考えられる。片方の側の客席から見える様子は、反対側からは見えず、vice versa。その場合、全く非対称的な作品にしてしまうのも面白いかもしれない。自分からは見えないのに反対側には見える何かがある。客にはフラストレーションを味わってもらおう。
例えば、客席を全く廃してしまう。歌う空間はただの四角い何もない空間で、客は好きな場所に座ったり立ったりする。合唱団員はその中にバラバラに配置され、歌う。客からするとあちこちから歌が聞こえる体験となるだろう(実際、客席はあるものの客席のすぐ横で歌う演出の合唱のステージもある)。客の移動を許すというのもありだと思う。場所によって響きが違い、同じように聞こえる人は1人もいないということになる。本当は普段のステージでもそうなのだが。
例えば、客席で歌う。客には舞台にいてもらおう。合唱を見に来たのに、自分が見られる立場になったらどうなるだろうか?
合唱は一つの空間で歌う
大抵歌う空間は、柱がなく、最側面以外に壁や床、天井の無い広い空間で歌う。これも疑えないだろうか?
例えば、パーティションで空間を幾つかに区切ってしまう。合唱団員はそれぞれの場所にいて、誰もお互いの姿が見えない。声だけが頼りだ。パーティションではなく、人が少し入れるくらいのやや大きな箱やコンテナなど(つまり、低い天井がある)を空間内に設置するのも良いかもしれない。これらの場合、客は自由にその空間内を移動できるのが望ましいだろう。作品自体も、同時にハモること以外に、お化け屋敷のようにある場所に行くと特定の音が聞こえる、といった空間性を考えた作品とするのも面白い。合唱に時間以外に空間という軸を加え、作曲に空間設計を取り入れるのだ。そうであるなら、その空間上に、彫像や塑像、絵画といった美術作品や小道具や家具、大道具的な舞台セットを置くのも面白いかもしれない。合唱と美術作品とのマリアージュはあり得るだろうか?
更に、オンラインとの組み合わせというのも考えられる。誰か遠い場所からテレビ会議システム等で繋ぐ。繋いだ先の人は全てを無視して歌うという別の技術が必要になってくるが、その場の客からは奇跡的な空間となるだろう。指揮者を裏に用意して、ラグを調整した映像をほぼリアルタイムで会場に投影し、それに合わせて会場の人が歌えばそれなりには行くかもしれない。また、その場で繋がずとも、あらかじめ録画していた映像に合わせるということも考えられる。時空間を超えて作品を作る。なんとなれば自分たちと共演することさえできる。時空的に遠く離れた2つ以上の場で同時に歌ってしまうのだ。
以上、歌う場について取り敢えず思いつく限り書いてみた。まだ面白いアイディアはあり得るかもしれない。また、演出として既に行われていることもあったし、空間が作品を規定したり、空間から作品を生むような場作りもあり得るように思う。コンサートホールのソデから出てきて少し暗い客席に向かって歌うだけが合唱ではない(今書きながら思いついたが、もしかしたら真っ暗で何も見えない空間で歌うというのも面白いいかもしれない)。実に楽しそうだ。
最初の記事にも書いたけれど、ここにあるアイディアを見て、「それもらった!」となるのは全然構わない。OSSである。ただ、私も仲間に混ぜてくれたら嬉しい。では、今回はこの辺で。