オッサン、走り始める 〜息子の背中を追いかけて〜
僕は走り始めた。
このきっかけは、お盆休みの日に実家に帰ったことだったのかもしれない。
いや、もっと正確に言えば、ずっとずっと走ってみたかったという気持ちがどこかにあって、 それをいつやろうか、どうしようか、でもめんどくさいし、という葛藤、とまではいかないけれども、 多くの人が何かをやろうとするけれども始められない、そんな迷いの海の中に僕はいたのかもしれない。
これまでの人生でほぼ全く運動をしてこなかった。
それはそれで別に困らなかったし、それでいいと思っていた。
けれど、齢45歳を迎えつつある今、 腰は痛いし、お腹は出てくるし、という中年おじさんまっしぐらの道に進んでいるのを感じ始め、 これはちょっとまずいなと思い始めた。
仮にこのまま何もしないでだらだらと過ごしていくと、おそらく大変な老後を迎えてしまうんだろう。
早く手を打たなければいけない。
けれども、やはり腰は重い。
そんな中で息子は中学3年生になった。
僕には子供が3人いるけれど、今思い返せば、 これまではずっと赤ちゃんがいる生活だった。
上の子が生まれ、やがて真ん中の子が生まれ、そして3番目の子が生まれた。
それぞれ3歳差なんだけれども、ずっと入れ違いで赤ちゃんがいて、 赤ちゃんを卒業しても幼稚園児で手がかかり、ずっと目が離せないような生活だった。
まあ、そんなことを言うと、さぞかし子育てに協力をしているのだろうと思われるのかもしれないけれども、 妻に言わせればそんなことは全くない。
一応子供と一緒にはいるけれども、大して役に立たないやつだと思われている。
まあ、そんなことはさておき、 必ず子供たちの用事はそれぞれバラバラで、どちらかがどちらかのサポートに入り、 どちらか一方は残った子供たちの面倒を見るというのが当たり前になっていた。
自分の自由な時間がありそうでない。
全くないわけではないけれども、こういうことがしたいとはなかなか言いづらい空気感があった。
そんなこともあって、というのは言い訳なのかもしれないけれども、運動をしてこなかった。
そう、息子が中学3年生になった。
息子は陸上部で中距離を走っている。
中距離というと、1500メートルとか3000メートルとか、そういった距離だ。
僕は全く陸上とは無縁だったので、子供のつき添いをしているうちに、 ああ、こういう距離の種目もあるんだなあと思った。
1500メートルだったら、自分でも走れるかもしれない。
いや、陸上をやっている人にとっては、1500メートルというのは、 100メートル走のような猛ダッシュの勢いで1500メートルを突っ走り続けるといったような種目なのだけれども、 単純に距離だけ考えて、素人のおじさんは1500メートルだったら走れるんじゃないかと思った。
別に大会に出るわけでもないし、ただ1500メートルを走ることだけを目標に頑張ってみてもいいんじゃないかと思った。
妻に「たまに、あんたも走ってくれば」と言われることがある。
息子が家の周りをぐるぐる走って練習をしているとき、あんたも走ればいいじゃないとよく妻に言われるようになった。
そのたびに、えーっと言ってやり過ごしていたけれども、 いや、これを利用しないと、いつ走り始めるのだろうと思った。
今、中3だけれども、やがて高校に入り、そして高校を卒業したらこの家を出ていくことになるだろう。
そのときに何かやろうと思ったところで、決してやり始めることはない。
息子が走っているのであれば、今のうちに走って何かを一緒にしよう。
いや、一緒にするわけではないけれども、これを利用して自分も運動する生活を始めてみよう、そのきっかけにすべきじゃないかと思い始めていた。
そして、お盆に実家に帰ったのだ。
『フライ、ダディー、フライ』(2003)という金城一紀の小説を思い出し、実家に置いてあった本を手にした。
これは僕が税理士試験を受けていたときから、何か頑張ろうと思うときにたまに読んでいた本だ。
ゾンビーズという高校生のグループの物語なのだけれども、その何部作かあるうちの一作だ。
これは映画にもなっているし、知っている人もいるのかもしれない。
簡単に言うと、中年のオッサンが娘のために、いや自分自身のためにトレーニングを始め、戦いに向かうといった中年オッサンの成長物語である。
これを読んだときはまだ僕は20代だった。
まだ若かった僕でも全く運動をしないオッサンが娘のために頑張り始め、少しずつトレーニングをやり始め、やがて目標を達成していくという一連の短い物語は読んでいて爽快だった。
たまに何か頑張ろうと思うときにこの本を思い出し、この本を処方箋のように処方し、少しモチベーションを上げる。
そんなことでこの本を再び、いや何度目かに手にした。
お盆休みにベッドに寝そべりながら読んでいった。
気が付けば主人公のオッサンとほぼ同い年だ。
いつの間にか20年経ったんだなと感慨深げに思いながらも、当時この本を読んでいた20代の頃を思い出し、この時間のキャップをまた面白くも感じつつ、本を読み終えた。