「情報」について考える③ 自分にとって必要な情報とは何だろう?
自分にとって必要な情報とは何なのだろう。
これがわからないければ、情報の洪水に簡単に飲み込まれてしまう。
何のために生きているのか。
少し大げさかもしれないけれど、究極的にはそんな人生の目的が必要なのかもしれない。
でも、多くの人は、人生の目的なんてそんな大層なものは持ち合わせていませんよ、と言うのかもしれない。
もっと身近な視点で考えるなら、今、自分が何に興味を持っているか。
自分自身の興味関心に耳を澄ますことが大切な気がする。
自分自身から離れて、仕事に関するものだとしたら、自分が所属する組織の目的やビジョンなどを知ることが大切になる。
このような「何に価値としているのか」を明確にする必要がある。
個人であっても、家族であっても、組織であっても、社会であっても。
そこが軸になって、はじめて必要な情報と、必要じゃない情報の線引きができる。
得られた情報が、どんな種類の情報なのかの分類がつけられるようになる。
人間は、意識してアンテナを立てたものしか見えないようになっているからだ。
それでも、自分の基準とすべき価値が何なのかわからないし、言語化できない人が多いのかもしれない。
そんな人は、身近にあるもの一つ一つを見渡してみてほしい。
それは、なぜ、ここにあるのかを考えてみてほしい。
たとえ部屋が散らかっていたとしても、そこにあるものは、ほとんどが自分が望んで選んだものだ。
欲しいから買った。
なぜ欲しいと思ったのか。
人からもらったものもあるかもしれない。
誰からもらったか。そのときにどんな気持ちになったのか。その人は自分にとってどういう人か。
そういったことを一つ一つ言葉にしてみる。
文章にしなくても、単語にするだけで十分。
ダイエットしたかった、勉強したかった、オシャレにしたかった、この問題を解決したかった、など、いろいろと出てくると思う。
その一つ一つの言葉が、自分にとって大切にしようとしている価値感になる。
僕は、その一つ一つの言葉をハニカムマップを通して描き出そうとしている。
ハニカムマップは非常に有効だ。
ハニカムマップで描きながら、是非、自分の価値を見つけてほしい。
価値が見つかると、同じ価値感を求めて所有したものを周りに配置していくと、どれだけのものがあるかが可視化される。
そのようにして、最も面積が大きいところが、自分自身にとって最も関心が深く、未解決な事項だったりする。
そこを追求すべきなのかもしれない。
このようにして、自分の価値基準を探していくうちに、情報の選択ができるようになる。
自分にとって、有益な情報とは何か、必要な情報とは何かが見え始める。