KingGnuは命の根源を鳴らすバンドだ【Redbull SecretGig オンライン配信 ライブレポート】
配信されたライブ映像の冒頭、「#0」と書かれた拡声器をひび割れたコンクリートの上から拾い上げ、煙の立ち昇るモノクロームの画面のなかを横切ったのはこのバンドの首謀者、常田大希。約13万の応募から当選した幸運な60人の観客へ控えめに会釈しステージに上がる。
RedBull×KingGnu SecretGigと銘打たれたこのライブは、明治から大正にかけて国防のために建造された東京湾に浮かぶ人工島、第二海堡で開催された。インテリジェンスと野性味、洗練と粗野。それらの絶妙なハイブリット感で多くのファンを魅了するKingGnuの秘密の宴にふさわしい、ミステリアスで荒々しくも懐の深そうなロケーションに、私は期待を膨らませ配信当日を迎えた。
「アーイ」といういつも通りの挨拶を交わし、ステージに4人が揃う。後方カメラが捉えたドラムの勢喜遊がVサインを掲げ、振り向いてカメラに(おそらく)「いくよ」と声をかける。画面がモノクロからカラーへ変わり、前代未聞のシークレットライブが幕を開けた。
常田がつま弾くギターにベースとドラムが重なりセッションが始まる。何かのアレンジだろうか、としばらく音に身を委ねていると、そのなかによく知るメロディを捉えた。昨年リリースの『千両役者』だ。
音源とは違うイントロに、意表を突かれた1曲目に、興奮のボルテージが一気に上がる。いきなりのトップギア。途中画面上部に映り込む上空のヘリすら、さも演出の一部かと思わせる圧倒的な曲の、バンドの世界観(まさかこのために飛ばしたということはあるのだろうか)。曲の盛り上がりにタイミングを合わせた炎の演出がさらに観客を煽る。
コロナ禍という特殊な状況下にあってもなんとか開催に至ったこのライブの1曲目で「ただ生きるための抗体を頂戴」と叫ぶ常田の歌声は、攻撃的でありながら切実さが滲み、私は今こうして彼らの鳴らす音を聴くことができる喜びを嚙み締めた。
とびきりの疾走感が爽快な『Sorrows』で、2曲目も止まることなく駆け抜ける。この日、ひときわ自由でのびやかに感じられたボーカル井口理の歌声が東京湾の大空に広がり、呼応するように常田のギターソロが唸る。ベース新井和輝とドラム勢喜遊2人のリズム隊の頼もしさは、いつも彼らが曲を、バンドを支えているのだということを如実に感じさせた。
ポップソング『傘』を井口が軽快に歌い上げたあと、これもまたファンの耳に慣れぬイントロで始まったのは『MacDonald Romance』。音源よりもいっそうチルでメロウなアレンジ、浮遊感のあるボーカル。そして音源とはまったく別物になっているギターソロに酔いしれた。
画面の前で観ていても十分に気持ちが良いのだから、海上の太陽を浴び吹き抜ける風を感じながら聴く『MacDonald Romance』はきっと格別だろう、と会場の60人を羨ましく思った。
かねてから火が好きと言っていた常田の意向かと思われる炎の演出が、今回最も活かされたのが『飛行艇』だろう。歪んだイントロに常田のシャウトが重なり、次々に炎が上がる。「明治の要塞」と言われた人工島に、地響きのような轟音が一体化する。まさに「命揺ら」し、「大地震わせ」ているよう。音に乗った4人の魂が、豪速球で飛んでくる。重く響くサウンドに拡声器越しの常田の低音が重なり、さらにそこへ井口の透き通るような高音が乗ると、新たに心地良いバランスとなるから不思議だ。これが「KingGnuの音」なのだと思わせた。
広い空間で多くの人を熱狂させたいという常田の思いから生まれた『飛行艇』。武道館でもアリーナでもない、誰も予期しなかったであろう第二海堡という場所で、会場の60人のみならず画面越しの7万人を前に、この曲の持つ力は最大限発揮された。
炎が消え、テンションの上がったメンバーが「フゥ!」「熱い!」など口々に言い合う。彼ら自身がリラックスしてライブを楽しんでいる様子がファンとしてはとても嬉しく、けれどやはり早く生で、同じ場所でそれを目撃したいと改めて感じた。
常田がギターを背中に回し、拡声器に手をかけ始まったのは『Slumberland』。黒煙と赤煙が混じり合い漂って、曲の持つ不穏さが強調される。今の日本の混迷した状況のなかで、この日一番の煙の中から放たれる「Wake up people in Tokyo daydream」「Open your eyes, open eyes wide」というフレーズはどこか示唆的にも感じられた。
『Slumberland』然り、『飛行艇』、『千両役者』然り、もともとライブで盛り上がる曲ではあるが、この日は特に常田のボーカルが煽情的で、何か、どうにもならない感情をぶつけるようような熱量のあるボーカルが印象的だった。
『Slumberland』が終わると同時に煙が引き、唐突に空が開けた。常田がキーボードの前に座る。すぐにピンと来る。続くのは『The hole』だ。偶然なのか計算通りの演出なのかはわからないが、まるで曲のために空が晴れたかのようだ。ピアノが鳴り始めたとき、上空を飛ぶヘリのプロペラ音が重なった。メンバーが空を見上げる。
あの一瞬の、曲が始まるまでのほんの数秒の空白を何と表現すればいいだろう。演奏の開始を待つ観客。ヘリが遠ざかるのを待つメンバー。居合わせた誰もが耳を澄ませて先を待ち望む一瞬の濃密な一体感。そのときに起きたことすべてを取り込んでしまう彼らの場の掌握力。神聖な一瞬だった。
『The hole』という曲の持つ力は強い。昨年コロナ禍での生活が始まってまもない頃、KingGnuが音楽番組で『The hole』を演奏すると発表したとき、この曲を「一番優しくて強い歌」と評したのは他でもない常田だ。私たちの当たり前が当たり前でなくなったあのとき、誰もが少なからず平静を失っていた。思い出さなければならないこと。立ち返らなければいけない場所。押し付けではなく、そっと寄り添うようにそのことを教えてくれる歌だと、伝えたかったのかもしれない。
天使のようだと思った。天高く昇るような歌声。「怖くないよ」と優しく手を重ねるようなピアノ。「大丈夫」と背中を押してくれるドラム。「ここにいるから」と腕を広げてくれるシンセベース。すべてがひとつになって聴く者を包み込んでくれる。
後半の盛り上がりからサビにかけては一転、「行かないで」と引き留めるような、苦しさともどかしさが凝縮された展開が待っている。無常で非情なこの世界で生きていくために何ができるだろうと立ち尽くす姿を脳裏に浮かべてしまう。それでも最後のピアノの音色を聴いた後に思うのは、よく晴れた空のことだ。この日の『The hole』は特別だった。聴けて良かったと心から思った。
十分な余韻に浸る間もなくアップテンポなドラムソロで我に返ると、ついさっきまで切なげな表情でバラードを歌い上げていた人と、よもや同一人物とは思えない、不敵な笑みを浮かべたタンクトップ姿の井口が不可思議な動きを繰り出しながら姿を現した。『Teenager Foever』だ。ここで初めて私は、さっきまでの『The hole』の映像が、歌を、演奏を聴かせることに徹して作られたものだと気がついた。イントロでメンバーの弾けるような笑顔を次々テンポよく切り替えるカット割が、画面の前の観客を挑発する。抜群の疾走感に思わず、編集を担当したであろうPERIMETRONのOSRINに喝采を送った。なんという高揚感!
大真面目な顔でクネクネと動く井口を前に、常田が思わず歌いながら噴き出し破顔する場面などはファン感涙もの。KingGnuは4人の仲の良さも魅力のひとつなのだ。ツインボーカルの跳ねるような「ティッティッティッティッ……」の掛け合いにこちらの体も自然と弾む。
『Teenager foever』を聴くたび、私は「音楽のプロフェッショナルによるハイレベルなお遊び」を感じる。あんなにおかしな動きをしながら一切ブレずに歌いきるボーカルと、あんなに爆笑しながら演奏は完璧な楽器隊。音楽で遊ぶというのはこういうことなのだろう。
一曲前の『The hole』からは180度転換したような『Teenager Foever』だが、その根源にあるものはきっとそう変わらない。『The hole』が例えば救えなかった命へ捧げた曲とするならば、『Teenager Foever』は目の前にある命に生の煌めきを訴える曲だ。後半サビ前の「煌めきを探せよ」という力強い一節に、切実な思いが見え隠れする。
ラストを飾ったのは前身バンド、Srv.Vinci時代からある名曲『サマーレイン・ダイバー』。エフェクトなしの常田のボーカルで穏やかに始まり、声の良さに改めて感じ入っていると井口のハモリが入ってくる。メインとハモリがスイッチングしながら進行するせいか、次第に両者の声が混ざり合い、ツインボーカルの声の海に溺れていくような感覚に陥る。浮遊感のあるサウンドと、この2人にしか出せない独特の声の重なりの気持ちよさが、『サマーレイン・ダイバー』では存分に堪能できる。ラストにふさわしい、余韻の残る神秘的な一曲だ。
かつて国を守るために作られ、戦争で使用され、関東大震災によって壊れた第二海堡。いつも命というものが切実に付いて回り、真正面から向き合ってきた場所だ。そんな地で、海に囲まれ、炎を上げながら、KingGnuは命を歌った。場所の持つ力に負けることなく、東京湾に浮かぶ船も、荒れた草地とひび割れたコンクリートも、空を飛ぶヘリコプターも巻き込んで、滾らせた己の衝動と熱量をエネルギーにして、生を奏でていたのだ。
ちなみに、これは配信を2回以上観た人なら気が付いた人もいるかもしれないが、実はライブ映像の冒頭には微かに鼻歌のようなメロディが入っている。耳を澄ませれば、それは『サマーレイン・ダイバー』のメロディだった。
水の中に深く潜り、還り、また生まれる。循環。輪廻。セットリストの最後が『サマーレイン・ダイバー』であることと冒頭の鼻歌のリンクは、命は巡るものだということを思わせた。そう考えてみれば、同じく冒頭で常田が拾い上げた拡声器に書かれていた「#0」も、ひとつの符合のように感じられる。
KingGnuの曲を聴いたりライブを観たりすると、感情を大きく揺さぶられ、最後には疲労感すら覚える。それはライブ中の彼らの様子が、刹那的でありながら縋るような渇望と揺るぎない生命力にも満ちていて、受け止めるこちらもかなりのエネルギーが必要だからかもしれない。それなのに終わった直後、もう最初から味わいたくなってしまう中毒性がある。彼ら自身は楽しみながらそれをやってのけてしまうのだから、本当にタフでクールで、最高なバンドだ。
※こちらの文章は、rockin'on社の運営するサイト「音楽文」にて月間最優秀賞を受賞しました(初出はnote)。音楽文はサービス終了してしまいましたが、rockin'on web版への転載、またロッキンジャパン本誌に誌面掲載もされました。
子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!