お母さんがお母さんで無くなった日
母はとても気丈な人でした。
言いたいことははっきり伝えるタイプの人で、自分の意志を押し通す人でもありました。
その反面、とても情に厚い人でもありました。
母に弟がいたのですが、うつ病になり仕事ができなくなりました。
その情報を耳にした母は、自分がガンで大変な治療をしていても、弟に会いに行って励ましたり、生活保護を受けていた弟の生活費なども面倒見ていました。
しかし、文句を一切言う人ではありませんでした。
そんな母も、父と同様...ガン末期になること「せん妄」という恐ろしい症状に侵されてしまいました。
分かってはいましたが、実際に目の前で変わりゆく母の姿を見るのは、子供の私にはとてもつらいものでした。
正直、年齢を重ねどんどんと痴呆症が発症するのとは違います。
急激にある日突然その症状が出てくるのです。
しかも、急激に変わるのです。※私の両親の例ですが...
「理解しているのに....」気持ちが全くついてこない...
「辛い」という言葉をこぼすのが、とても怖いのです。
本人が辛いのだから、自分が辛いという愚痴をこぼすのが、とても罪悪感でした。
せん妄状態の母は、きっとどこかで自覚しているのだろうなって思っていました。
せん妄状態は、一日中ずっと続くわけではありませんでした。
時々、病室の天井をボーと見つめながら、涙している姿を見つけると、かわいそうでいたたまれない気持ちになりました。
かわいそう....
そもそも、そのような感情を持つこと自体が辛いですね。
生きたくても生きれないという事実
それを受け入れられなくなって、キャパがオーバーして「せん妄」という症状になるのかなって思っています。
周囲は辛いですが、実は本人の気持ちは少し楽なのかな...とも思います。
生きるものすべて、自分の死を直視することはできません。
死の瞬間は、どんな生き物でも意識を失うといいます。
現実は、とてもつらいものがあります。
しかし、ふっとした瞬間にこういった知識に戻って回想すると、気分が落ちすぎることが無くなります。
母が母で無くなってしまった日
私は、沢山の事を学びました。
心を静め、ただ「今」という時間を感じることが、自分を生きるということなんだ...と。
たとえ親だとしても、目の前にいる存在は
たった一人の「人」ということ
「私のお母さん」という現実に戻ってしまうと、一気に辛くなりました。
しかし、少しの時間でも「自分の中」に戻れると、その現実がとても自然の流れであり、自然の摂理なんだという大きな視点に戻れることができました。
母の病をずっと許せなかった
母が亡くなることを許せなかった
だから、その恐怖に追いかけられてしまうのです。
逃げると追いかけてきます。
穴の開いた袋に入った水は、100パーセント外にこぼれます。
この原理は、見えない正解でも起こっています。
「生きる」
この摂理をもっと細かく繊細に感じることで、現実の辛さや悲しみから解放されるときが来ます。
母が母で無くなってしまった日
私はとても重要なことを学ぶことができました。