読むと書くで隙間を埋めたい
百年の孤独が終わらない。愛して、生まれて、狂って、交わって、戦って、死んでいく、折り重なりが絵巻物のように続いてゆく。今は「百年」のうち50年くらいのところ。現在ふせんは7枚貼っていて今のところ1番好きなシーンはホセ・アルカディオがピストルで撃たれて血を流し、その血が家を出て、通りを進み、階段を上がり、母ウルスラのいる台所まで流れ進んだところだ。
不思議と、読んでいると死ぬのが怖くなくなってくる。全然違うものと並べてしまうけど、よしながふみの「大奥」読んだときも、その感覚になった。
自分の生も、連綿と続く繋がりのただのひとつなだけ。自棄になるわけじゃない。ただ、自分という存在への執心がふっと消えそうになる。
私なんて、絵巻物のなかでも薄墨で描かれたモブな存在で、こんなやつは歴史の中ではサクッと死んで消える。
そっかー、私は百年の中のモブだよなぁ。でも、主人公級の人間だって、百年が通り抜けていくのは同じ。主人公だって最後は死ぬ。あたりまえだ。
百年絵巻のすみっこで一筆書きのようにさっと描かれた小物の私を拡大したら、それなりに頑張ってる。必死そう。でも、流れてゆく。
そう考えるとちょっと気が楽になるのだ。