青い風を探して
1
その年の夏、僕はほとんどの時間をリリーと過ごした。もはや家族と言ってもいいくらいに。
リリーはいつも前向きで、お洒落で、そして時々おかしかった。
「風って何色に見える?」
リリーがそう言った時、僕には何の答えも存在しなかった。
「風には色なんてないよ」
と僕が言うと、
「そんなつまらない回答しないでよ」
とリリーは言った。
「じゃあリリーにとっては何色なの?」
「わからない」
「なんだよそれ」
「突然だけどさ、青い風を探しにいこうよ」
「青い風?」
「そう。この世界は広いんだから、きっとあるよ」
高校が夏休みに入る頃、僕たちは、青い風を探す旅に出かけることにした。ちなみに僕は高校生だけれど、リリーはもっと年上だ。おそらく大学生の年齢になると思うんだけど、大学には通っていないようなので実際のところはよくわからない。とはいえ、僕たちにとって二人の年齢というのはわりとどうでもいい問題だった。
「まずどこに行くかが大切よね」
リリーが言う。僕は頷いた。
「沖縄とかかなぁ」
「いいねぇ。でも沖縄は風というより海って感じだな」
風にこだわってるなぁと僕は思う。リリーが続けた。
「江ノ島はどう? 神奈川の南端にあるところ。近くて行きやすいし」
「いいかもね」
「エアビーかなんかでどこか二週間くらいとってさ、そこでのんびりしようよ」
「良さそう!」
「じゃあ決定。泊まるところ探してみるね」
リリーはそう言ってパソコンを開いた。
「こことかどうかなぁ?」
リリーがいくつかの候補を僕に見せてくれる。そのホテルや民家を見ながら、二人で話し合った。
「ここはどう?」
リリーが提示したエアビーの民家は、海からそう遠くもなく、なかなか良いロケーションに思えた。マンションの一部屋を借りられるというのも魅力的だった。
「いいと思う」
「じゃあここに決定ね」
2
8月某日。
僕たちは電車に乗って移動し、片瀬江ノ島駅まで到着した。
「暑いね〜」
リリーが言う。
「そうだね」
僕も返した。
二人でまずは泊まるところを目指して歩いていった。エアビーに泊まるのは初めてなので、なんとなくドキドキする。
「リリーはエアビー泊まったことあるの?」
「あるよ、何回かね」
駅から5分ほど歩いたところにそのマンションはあった。外観は綺麗なブルーだ。
中に入ると、少し湿っぽい匂いがした。潮の香りが染み付いているのだろうか。
二人は荷物を置いて、ベッドにころんと寝転んだ。
「ねえね」
リリーが言った。
「世界に私たち二人しかいなかったとしたら、それは幸せなんだろうか」
僕は思わず黙ってしまう。
唐突な問いかけだ。
「——多分、幸せだと思う」
「本当にそう思う?」
「うん」
「よかった」
リリーが僕にキスをしてきた。
「世界で二人きりになれなくても、こういう時間がずっと続けばいいのにね」
「そうだね。なんで時間には限りがあるんだろう」
「時間に限りがあるわけじゃないよ」
リリーは言った。
「時間という概念は、人間が勝手に作り上げているものだから」
「どういう意味?」
「時間なんてものは、本当は存在しないということ」
「そんな……」
「いつかワタル君にもわかるよ、きっと」
「そうかなぁ」
「そんなことより、海に行かない?」
「——うん」
ベッドから起き上がると、準備をして外に出た。
それから海まで二人で、手を繋いで歩いた。
海にはたくさんの人がいた。サーフィンをしている人、ビーチバレーをしている人、それから海の家でご飯を食べている人。
僕とリリーは何をするでもなく、ビーチの脇に腰をかけて目の前の光景を見ていた。
「風はないね」
僕が言うと、リリーは小さく笑った。
「風もきっと吹くよ」
リリーが言うと、全て真実になる気がするのはなぜだろうか。
言霊の力をリリーは持っている気がする。
「それにしても暑いね」
僕が言うとリリーも同意した。
「うん、暑い」
「あっちの海の家にでも入ろうか」
「そうしよう」
海の家に入ると、屋根がある分、暑さは和らいだ。それから、かき氷と焼きそばを買った。
二人で適当な場所を見つけて、そこに座った。
「リリーこっち向いて!」
かき氷を食べてるリリーが可愛かったので、思わずスマホで写真を撮る。
「私も撮ろうっと」
今度はリリーが僕のことを写真に撮った。
二人で焼きそばとかき氷を食べると、だいぶ満足した。
「明日はサーフィンでもしよっか」
リリーが言った。
「え、リリーってサーフィンできるの?」
「うん、ちょっとだけね」
「すごい」
素直にすごいと思った。
「どう、やる? レンタルすればできると思うけど」
「うん、やってみたい」
「よし、明日やること決まり!」
「今日はどうする?」
「今日はこのままのんびりしようよ」
二人で海を眺めていた。
それはとても裕福な時間の使い方だった。
3
リリーとの出会いについて話そうと思う。
僕がリリーについて知っていることは、実はあまり多くない。
年齢は20代前半。音楽が好きで、僕の知らない海外のアーティストの曲をよく聴いている。ハーフのようなはっきりした顔立ちだが、純日本人だという。
彼女はふらりと僕の目の前に現れた。どのくらいふらりかと言えば、本当にびっくりするくらい偶然だ。
僕は部活に入っていない。正確に言えば、サッカー部に入っていたけれど、やめてしまったのだ。辞めてからというものの、放課後の時間が暇になった。暇になった僕は、近所の公園で時間を潰したりすることが増えた。
僕が高校の授業が終わって、近所の公園で時間を潰していると、そこで声をかけられた。なぜ彼女がそこにいたのかわからないし、なぜ僕に声をかけたのかもわからなかった。それでも、僕らは確かに惹かれあって、いつしか二人でよく過ごすようになった。
リリーは働いていない、と思う。それに大学に通っているようにも見えない。しかしお金には困っていないようなので、僕は彼女の家庭が裕福なのではないか、と推測している。
「かなり、きついんだね」
ウェットスーツを着た僕は言った。
「ウェットスーツなんだから当たり前でしょ」
リリーは軽やかに着こなしているように見える。
僕たちはサーフショップで、ウェットスーツとサーフボードをレンタルした。二人ともロングボードだ。
「今日のワタル君の目標は、立つことだね」
「うん」
二人で砂浜まで歩いていった。
裸足で歩く砂浜はとても熱かった。
そうして歩いて海まで辿り着いた。
海水に入ると気持ちの良い冷たさが伝わってきた。
「気持ちいい〜」
「じゃあここからパドリングするからね」
リリーはそう言うと、サーフボードにまたがるようにして覆いかぶさった。
「これで両手で漕いでいくの。真似してみて」
僕はリリーの真似をした。サーフボードに寝っ転がり、両手でパドリングする。
「そうそう! いい感じ」
そうして漕いで沖合までやってきた。
「楽しいね」
「まだ波に乗ってないけどね。ここから私がやってみるからちょっと見てて」
そう言うとリリーは、波を待つ姿勢になった。
「次の次の波が良さそうね」
リリーは次にやってくる波を見過ごした。そしてその次にやってきた波に合わせて、岸に向かってパドリングを始めた。
それからリリーは立った。
波に乗りながら、岸までいくと波が崩れ、リリーも倒れた。
一発目からすごい波乗りだった。
リリーが戻ってきた。
「どうだった? わかった?」
「いや、さすがに分かるのは難しいけど、さすがの波乗りだった」
「じゃあ次の波でやってみて」
次の波がやってきて、僕はそれに合わせてパドリングをした。しかし、必死に腕を使って漕いだけれど、立つことまではできなかった。
「立つタイミングがわからないよ」
「何回もチャレンジすればわかるよ、きっと」
それから僕は何回もチャレンジした。けれど、一向に立てる気配はなかった。
「難しいなぁ」
と僕が言うと、
「頭で考えすぎなんだよ」
とリリーが返した。
「頭じゃなくて身体で感じるの。パドリング自体はきちんとできてるから、あとはタイミングだけだね」
夕方に差し掛かってくると、夕日が綺麗な赤色を海にもたらしてきた。そしてようやく、僕も初めて立つことができた。
「立てた! ちゃんと見てた?」
「うん。よかったね」
「海って気持ちいいね」
「この時間帯の海は格別よね」
午後の間ずっとサーフィンを満喫した僕らは、レンタルショップに行ってサーフボードとウェットスーツを返してきた。
そして宿泊しているマンションに帰ってきた。
「あー楽しかった。疲れたけど」
とリリー。
「うん、満喫したね」
と僕は返した。
4
ところで風の話はどうなったのかと読者の方は感じているかもしれない。
結論から言えば、僕たちは積極的には「青い風」を探していない。そもそも「青い風を探す」というのは、哲学的な問いかけとも言える。見る者によって、色の感じ方はそれぞれだ。
それでも僕らは、やっぱり青い風を探していた。どこかにそれがある、と心の深い場所で信じていた。
「今日は江ノ島に行こう」
リリーが言った。
「うん。ついにだ」
「江ノ島って行ったことある?」
「いや、ない」
「私は高校生の時に一回だけある」
「そうなんだね」
僕らは少ない荷物を持って江ノ島へと向かった。まず大きな橋を二人で渡った。橋を渡っている途中、リリーが言った。
「私が江ノ島について知っていることその1」
「うん」
「猫が多い」
「猫?」
「そう。野良猫だと思うんだけど、猫がたくさんいる」
「それじゃあ、その2は?」
「私が江ノ島について知っていることその2は、カップルで訪れるといいらしい」
「らしいって」
カップルか。僕らはカップルなのだろうか、とふと思う。どちらが告白したわけでもない。いつの間にか一緒にいる僕ら。
「縁結びの神社でもあるからね、カップルで訪れるとその恩恵を頂戴できます」
「なるほど」
そんな話をしているうちに、橋を渡り終わった。
上陸してすぐのところにあった江ノ島神社の鳥居の前で、二人で写真を撮った。
「ついに上陸だ」
「やったね」
そこからは細い道を進んでいく。周りにお店がたくさんあった。
「ねーあれ食べたい」
リリーが指さしたのは大きな海老煎餅だった。顔の大きさくらいありそうだ。
「いいね、食べよう」
リリーが一枚の海老煎餅を買った。一口かじると、香ばしい海老の香りが口いっぱいに広がった。
「まさに海老って感じ」
リリーが感想を口にする。同意できる感想だった。
さて、道をさらに進んでいく。大きな鳥居をくぐると、そこからは階段続きになった。
「こりゃ大変だ」
思わず弱音が出てしまう。
「暑いしね」
リリーも僕も、汗をたくさんかいていた。
ようやく階段を登り切ると、そこには神社があった。荘厳な佇まいに思わず背筋が伸びる。
何人かの参拝客が並んでいたので、その一番後ろに並んだ。
僕らの順番が回ってくる。僕とリリーは二人で鐘を鳴らした。二礼二拍手、そして一礼。
僕とリリーは、互いに重い思いの願いを込めた。
参拝が終わると、リリーが聞いてきた。
「何お願いしたの?」
「内緒」
「ケチ〜」
「そういうリリーは?」
「私は……」
リリーは、一瞬ためらったあと、言った。
「私は、早く空を飛べますように、ってお願いした」
「空を?」
「うん。私、空が飛びたい。というより、今飛べていない自分がすごく不思議で。前世は鳥だったんじゃないかなぁとさえ思ってる」
「そうなんだ」
初めて聞く話だった。リリーは空を飛びたいのか。空を飛ぶリリー。なんとなくその光景は、自然に僕の脳裏に思い浮かんだ。
参拝を終えた僕らは、江ノ島をさらに進んでいった。階段をさらに登ることになる。階段を一番上まで登りきると、開けたスペースがあった。大道芸人が何やら芸をしていて、周りの人だかりが歓声をあげている。
「見てく?」
とリリーに聞くと、
「いや、大丈夫」
と返された。
開けたスペースを通り過ぎると、そこにはサミュエルコッキング苑という有料の庭園があった。
僕たちは券売機でチケットを買い、その庭園に入った。
「綺麗なお庭ね」
リリーが嬉しそうに言った。
「あっちにカフェがあるよ。ちょっと休憩しない?」
「いいね」
僕たちは庭園の脇にあったカフェに入った。
それぞれサイダーなどを頼み、しばらく休憩タイムだ。
「なんか、階段登るだけで疲れちゃったね」
「私も。運動不足かなぁ」
「それより夏バテとかの方が近いんじゃないかな」
二人は言葉数が少なくなりつつあった。
暑いし、疲れた。ニッポンの夏は、暑い。
「どうする? もうちょっと奥まで行く?」
「うん、行こうよ」
「じゃあそろそろ行こうか」
サイダーを飲み終わったので、僕らは席を立ち、会計を済ませた。
江ノ島は登るだけじゃなくて、奥にも深い場所なんだ、ということを僕は初めて知った。
歩いていくと、まだまだ様々な店があった。
それらをちょっと覗いたりしながら、僕たちは江ノ島の一番奥の方まで行った。
そこには「龍恋の鐘」というスポットがあった。
そこには鐘があり、その下に無数の鍵が取り付けられていた。ここに訪れた恋人たちがつけていったものらしい。
「すごい鍵の数だね」
「私たちも鍵を持って来ればよかったね」
「まあそこまではしなくてもいいんじゃないかな」
と僕が言うと、リリーは少し膨れた。
鍵をつける代わりに、僕らは二人で鐘を鳴らした。
「リリーはさ、青い風を探してる?」
江ノ島からの帰り道、横を歩くリリーに聞いてみた。
「うん」
「どうやって?」
「風の声を聞いてる」
「すごいね」
「ワタル君は、風の声をちゃんと聞いてる?」
「いや、わからないなぁ」
「じゃあ今、目を閉じてみて」
僕は歩くのをやめて、目を閉じてみた。
「そして風に話しかけるの。今日はどんな日でしたか? 明日はどんな日にしたいですか? 今何を感じていますか?」
言われるがままに、心の中でそれらの問いかけを思い浮かべる。
「そしたらふっと心に答えが浮かんでこない?」
「……わかったような、わからないような」
「ワタル君はやっぱり、まだまだだね」
「ええ〜」
「こういうのって確かマインドフルネスっていうのよね。私はそうやって風と会話しながら、青い風の場所を聞こうとしてる。まだうまくはいかないけどね」
「なるほど」
わかったようなわからないような話だった。そもそも、リリーの話はわかったようなわからないような話が多いのだ。
そんな話をしていると、江ノ島の橋の前にまで戻ってきた。
「あ、鳥居の前でペコリ」
リリーの言葉に合わせて、二人で江ノ島に向かって会釈をした。
5
江ノ島近くで宿泊を始めて一週間が経った。なんとなく何をするでもなく日々は過ぎていく。
そんな折、母親からLINEで連絡があった。
「どこに行っているんですか? タスクの誕生日会をやるから明日は戻ってきなさい」
タスクとは僕の弟のことだ。また面倒くさい用事だなと思いつつ、僕は返事をした。
「江ノ島の近くに来ている。ちょっとまだ帰れなそう」
「何をしているの? いいから帰ってきて」
その口調から、おそらく怒っているのだろうなと感じた。これ以上怒らせると面倒な事態になりかねない。
「わかったよ」
僕は江ノ島にリリーを残し、一時帰宅することにした。
「リリーごめんね。すぐに戻ってくるから」
「今日中に戻って来れる?」
「うん、多分」
「絶対だよ」
翌日、僕は江ノ島のマンションを出て、小田急線に乗った。新宿で乗り換え、最寄り駅に到着する。
自宅に着くと、母親が待ち構えていたかのように質問をしてきた。
「江ノ島で何していたの?」
母親はリリーのことを知らない。なんやかんや言われるのがめんどくさいので、言っていないのだ。
「友達と小旅行みたいな」
「友達って誰?」
「どうせ言ってもわからないよ」
「あっそ」
そこで会話が途切れる。それ以上、母親から何か突っ込まれることはなかった。
いつもそうだ。僕のことなんてほとんど興味を持っていない。
僕は自分の部屋に戻っていく。ベッドでごろんと寝転んだ。特にこの家でやることなんてない。
しばらくするとリビングの母親から声がかけられた。
「そろそろ誕生日会始めるよ〜」
僕はリビングに戻る。タスクはすでに来ていた。あと、日曜なので父親の姿もあった。
テーブルの上には母親の作った料理が並んでいる。その脇に、ホールのショートケーキが置かれていた。
「それじゃあ、タスクの誕生祝いということで、おめでとう!」
ビールをすでに飲んでほろ酔い気味の父が仕切る。
「おめでとう〜」
僕らはそれぞれジュースやお酒などで乾杯をした。
「タスクは今年、高校受験だなぁ」
父が言う。
「うん」
「もうあれか、行きたいところは決まってるのか? ワタルと同じところに行くのか?」
「あらやだ、お父さん。タスクはもっと偏差値が高いのよ」
「そっかそっか」
僕の通っている高校もそれなりに偏差値は高いけれど、弟の方が確かに頭はいい。それは揺るがない事実だった。
「俺より頭がいいところと言ったら本当に選択肢は限られると思うけど。それこそS高とかくらいじゃん」
S高は東京都で最も偏差値が高いと言われている高校だ。
「S高も視野に入れてるのよね、タスク?」
「うん、まあね。でもワタルの高校もいいなって思ってるよ」
そんな感じで会話は進んだ。ランチの料理を食べ終わると、母は紅茶を入れる準備を始めた。
紅茶が入ると、ケーキに蝋燭を刺して、火をつけた。
「ハッピバースデイトゥユー、ハッピバースデイトゥユー」
家族でバースデイソングを歌い、タスクが火を吹き消した。
誕生日会が終わると、そそくさと準備をしてまた家を出た。一泊ぐらいしてもいいかなとも感じたが、なんとなくためらわれた。
江ノ島に戻ってくると、リリーは気の浮かない顔をしていた。
「どうしたの?」
「生理になっちゃった。お腹が減らなくて朝から何も食べてない」
「あれまぁ」
女性に定期的に訪れる「生理」という現象に対して、世の男性たちはどう対処しているのだろう。僕の場合、未だにその現象の実態を把握できていない。だから、対応の仕方もよくわかっていない。
「大丈夫? 何か僕にできることはある?」
「大丈夫。ワタル君は何もしなくていいし、私も何もしたくない」
「わかった」
そこから数日は、リリーの「生理だから何もしたくないデー」が訪れた。
ようやく食欲が復活してくると、今度は逆に食欲旺盛となった。
「数日分のご飯を取り戻さないと」
リリーはそう言ってコンビニで買ってきた様々なものを食べた。
元気なリリーを見ていると、僕まで元気になってくるのだった。
「元気になってよかった」
「まあ生理は治る病気だから。毎回辛いけど」
「うん。見てるこっちが辛くなってしまった」
「それより、もうすぐ終わりだね、この旅行も」
「そうだよ。青い風を探さないと」
「明日、やろう」
僕とリリーはそう約束して、眠りについた。
翌日。8月の終わり。
僕とリリーは、また江ノ島に向かって歩いていた。
しかし、橋を渡り切ると、鳥居をくぐらずに左側へと向かって歩いていった。
「今日はどこに行くの?」
とリリーに尋ねると、
「私もわからない」
とリリーは答えた。
ずーっと歩いていくと、防波堤のようなものが目の前に現れた。そこに登ってみると、テトラポットがたくさん並んでいるのが目に入った。
「ここでいいんじゃない」
とリリーは言った。
「何が?」
「瞑想する場所」
「瞑想?」
「そう。こうやって座って、目を閉じるの」
リリーはその場に座り込み、あぐらをかいた。
「ほら、ワタル君もやってみて」
「わかった」
リリーに言われるがままに、僕もその場であぐらをかいた。
「いい? しっかり鼻で呼吸して。自分の呼吸に耳を澄ませてみて」
目を閉じて呼吸する。なんとなく気持ちが良かった。
「そのまま呼吸を続けてみて」
リリーに言われ、僕は呼吸を続けた。
自分の呼吸に意識を集中させるのは、それが初めての体験だった。
ふと、周囲に意識が向く瞬間があった。
風が吹いているのだ。
「あのね、他のことを考えたらダメだよ」
リリーから見透かされたように言われる。
「ただ呼吸に意識を向けるの。それ以外のことは考えたらダメ」
どれくらいそれを続けていただろうか。
段々と足が痛くなってきた。
しかし、そういう考えすらも取り除いて、僕は呼吸をした。
すると。
不意に目の前が青くなった。ブルーだ。目をつぶっている中で、青い光景が目の前に浮かんできた。
脳がおかしくなったのかもしれない。
僕は目を開いた。
そこには同じく目を開いているリリーがいた。
「何が見えた?」
リリーが僕に尋ねた。
「青い景色」
「嘘」
「本当」
「私と一緒だ」
「本当に? リリーも見えたの?」
「うん」
空が青かったからだろうか。海の近くだからだろうか。理由はわからない。
だけど僕らは、青い景色を手に入れた。
「すごいね、素敵だね」
リリーは興奮したように言う。
「今のが青い風だったのかな?」
「そうだよ、きっとそう」
僕とリリーは嬉しくなって、立ち上がった。そしてスキップをしながらマンションへと戻っていった。
リリーと過ごした夏のことは、他にもたくさん話があるのだけれど、だけど大体、こんな感じだ。