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『某テレビ局事件』で、思うこと
1.某テレビ局事件
某テレビ局の事件が世間を騒がせております。ついに社長ら役員の辞任にまで至りました。まさに、組織自らが自己を律していく自浄メカニズムや自らの倫理的理想を具体化するための改善メカニズムの欠如を露呈した形です。もっとも、この件は多くの国民に直接関係ないのに騒ぎすぎだ、と冷ややかに見る向きもあります。
また他方で(被害者には申し訳ない言い方になりますが)、日本の経営風土に関心有する私には、この迷走が年功制の弊害と能力主義の必然を立証する好事例であるか否か、さらにそれを支える心理的基盤のありかを示すとの問題提起になったと思われます。その他に、昭和の男たちはまったく・・との別な次元の議論もあります(とくに、拙宅で)。
ところで、その端緒となった某週刊誌の真の目的は、同局と監督官庁たる総務省との不当な癒着関係の暴露にある、との見立てもあります。いずれにせよ、この事件、どこまで進展していくのでしょうか。まだまだ続きがありそうですね。企業にかかわりを有するキャリア・コンサルタントの方々もご興味を抱かれているのではないでしょうか。以下、上述を契機にした半世紀も前の私の雑記的思い出です。
2.A氏のこと
このことで思い出すのは当時、公正取引委員会のトップであったA氏のことです。同委員会とは「経済憲法」ともいわれる独占禁止法等を所管し、公正で自由な競争原理を促進し、民主的な国民経済の発達を図ることを目的として設置された内閣府の外局(行政委員会)です。他から指揮監督を受けることなく、独立して活動できることが特色です。
A氏は、霞が関の某省最高幹部からこの委員会の最高責任者たる委員長に就任しました。その後、同氏は大企業による取引上の非違行為を積極的に摘発し、「公取」の名を天下に高らしめました。一方で、当然ながらも産業界からは嫌われました。業界と関係の深い一部政治家からも、余計なことをするな、と批判されました。※
※企業の政治的影響力の源泉は、何でしょうか。企業が政治家に提供できる資金的な援助です。しかしながら、そもそも自然人ならぬ法人にまで政治的な思想信条の自由がー自然人同様に―保障されるものでしょうか。しかも、それぞれ異なる価値観や政治的信条を有するはずの株主が所有者たる株式会社において、彼らによって経営のために雇われたにすぎぬ経営者らが企業資金を恣意的に特定の政党に支出することが許されるものでしょうか。1970年の『八幡製鉄政治献金事件最高裁判決』を踏まえてもなお、憲法上違憲の疑いがあると言わざるを得ません。
学界でも当時、企業による政治献金を肯定する鈴木竹雄東大教授とこれを憲法違反として否定する富山康吉教授が対立しました。当時の私は、会社法の基本書で鈴木先生を使いました。よくできた概説書でしたが、この論点では納得できませんでした。政治過程論的にも、問題が多いと思われたからです(法解釈は、各自の価値観が大きな働きをします)。したがって、現在でも企業団体による政治献金には反対です。取締役らは自らのポケットマネーで、それぞれの支持政党に献金すべきでしょう。
3.「経済法」
大学生であった私は当時、興味をもって一連の新聞記事を読みました。なぜなら、そのときちょうど「経済法」の授業で、米国の『反トラスト法(antitrust law)』の原書を講読していたからです。そこには、米国の『スタンダードオイル社(Standard Oil Company)』の事例が記されておりました。
また先生からは、米国では「同じ業界のトップ同士が偶然に同じ旅客機に乗り合わせることが分かったとき、必ずどちらかが自主的に搭乗を見合わせる」とのエピソードが紹介されました。世間から、機内での「談合」の疑いを抱かれぬためだからだそうです。
それに比べれば、まだまだ日本の産業界は大甘です。独占禁止法等の経済法令による規制が、資本主義を健全に発展させるために必須かつ最低限のルールだとの理解にまだまだ乏しいのでしょう。ましてや昔、そんなことを述べれば「左派」とラベリングされかねないとのありさまでした。
4.A氏との思わぬ関り
ところで、このA氏と私とは思わぬ関りがあったのです。某大学付属病院に勤務していた私の亡母ところに偶然、このA氏が入院なさったからです。もっとも母は、A氏のことはよく知りませんでした。ただ「偉い方」でありながら、誠実で丁寧な物腰、そして何より地味で質素な装いや所持品にこれまでの要人とは異なる何かを感じたようでした。そこでつい、息子の私にだけうっかり明かしてしまったのでしょう。
そのうえで、立派なお仕事をされた方だと私から聞いた旨を母がお伝えすると、A氏は「お金儲けだけを考えたら、こんな損な役目は引き受けたりしませんよ」とお答えになったとのことでした。それはそうでしょう。同氏ほどの立場であれば、望めば財界のどこでも三顧の礼で迎え入れてくれたはずですので。当時の「常識」ではありえない身の処し方でした。
5.官僚離れ
またその後、私が付き合いのあったA氏の「カイシャ(役所)」の後輩たちも、皆さん方優秀でした。東大を卒業後、難関の国家公務員試験甲種(当時)にトップレベルの成績で合格。その後、20代で出先機関の署長や県庁の部長職に出向したりしながらも、偉ぶった様子は見せませんでした。そこに私は、彼らに国を支える官僚としての自負を見て取りました。
他方で、一部の官僚による不祥事も惹起しました。慢心のあらわれでしょうか。しかしながら、最近「『霞が関村』の住人」となった身内によると、だいぶ様相が異なってきているように感じられます。育休も取得できるようになったそうです※ それでもまだ、ニュースでは東大生の官僚離れが報じられておりますね。「ブラックな職場」だと。深刻です。
※内閣人事局による2023年度国家公務員(一般職・特別職)のうち、男性の育休取得率は52.1%であり、04年度の調査開始以降で最高でした(『朝日新聞』本年1月30日付朝刊)。
6.大物官僚は過去のもの?
そうすると、城山三郎の小説『官僚たちの夏』の実在モデルとなった大物官僚のようなタイプはいっそう過去のものとなりそうです。彼は、政治家(永田町筋)からの不当な介入や干渉には動じませんでした。官僚制のメリットを体現できた人物でした。もっとも、最近の官僚の「小物化」の責任は、官僚自身にはありません。
むしろ、人事権を人質に国会答弁等で自らの不祥事の責任を役人に押し付けた、あの政権幹部(当時)らの側にあります。あれでは、学生諸君にただ官僚への失望・幻滅を与えるのみであったことでしょう。その結果、今は「(戦略)コンサル」へ優秀な学生が流れているとか。おっと、また大学の大先輩の悪口を言ってしまいました。母校唯一の校友出身の「誇り高き」元総理大臣なのに。
7.おわりに
そこで次回は、私の考える企業の社会的責任(CSR)や企業倫理(business ethics)、社会的責任投資(SRI)について、卑見を申し述べてみたいと思います。たしかに、これまでの米国経営学や経営管理に対するこの国の信仰に近い迎合的姿勢は、米国特有の「風土性」を看過し、かつ彼らの「一般性」を過度に拡張解釈した結果に過ぎないとの指摘もあります。
思うに、彼我の土壌の違いを考慮せず、機械的に移植を図っても根付くものでもないでしょう※ もっとも、それが無限定的になることを警戒しつつ、他方でよりグローバル化せざるを得ない日本経済が今後順調かつ健全に成長するにつき、それらが不可避の課題になるものと私には思われるのです。
※その意味で、米国『ODN(OD Network)』のいう「組織パフォーマンスモデル(OPM)」や「ブリティーマン・モデル」での「企業文化」「組織文化」等の無限定的な紹介・導入につき、配慮を要します。むしろ、慎重に検討を行ったうえで、これを導入すべきだと思われます。組織状況における日本人の反応は、しばしば米欧人のそれと異なるものがあるのではないかと考えられるからです。 以 上
オイカワ ショウヨウ
横浜市生まれ。法政大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
複数の国家資格を有し、『一般社団法人地域連携プラットフォーム』に在籍する傍ら『法政大学ボアソナード記念現代法研究所』研究員を務める。『府省共通研究開発管理システム(e-Rad)』に登録され、研究者番号を有する研究者でもある。大学入学以来、専門書を欠かさず60頁ずつ読むことを日課とする。