使用者による安易な「能力・成果主義的賃金制」導入に疑問―リフレキシビティの勧め―(その1)
もし私が就活生の立場であったなら、標題のような企業は始めから志望対象から除外します。また、労働組合すら存しない職場も。たとえそれが有名企業であっても、わずかな賃金との引き換えに、まして憲法で保障された団結権や団体交渉権すら実質化しない環境で無用のストレスに苦しめられるのは、長い目でみて賢明とはいえないと思われるからです。まして、それが「日本型コーポレートガバナンス」の特長だと居直られると、鼻白む思いがします。でも、実際にはそうした職場は少なくないですよね。時代はいまや、経済合理性の追求からSDGs経営へと移行しつつあるというのに。
バブル景気崩壊後、使用者がより業務の効率化による収益向上のため、労働者の能力や業績を評価しての賃金額を決定するという、「使用者から」してするトップダウン的な成果主義的賃金制度導入例が目に付きます。先のコロナ禍による景気悪化が、さらにそれに輪をかけました。その背景には、労働者による内部的な経営チェック機能が期待されるはずの労働組合組織率の低さ―最新推定組織率は16.5%で過去最低水準―に加え、日本型ガバナンスの短所たる経営者の任免が実質的に経営者自身によって行われるゆえの経営判断の恣意性、専横性さらにそうした経営者自身へのチェック機能の不完全さ―労使癒着による労働組合の有名無実化―にあると思われるのです。
たしかに労基法は、賃金制度の在り方につきとくに規制は設けておりません。ただ27条で出来高払いでの場合に、一定額の保障を義務付けているに過ぎないのです(行政指導上は6割)。しかし、ときにこの成果主義は使用者側によって悪用される場合があります。労働者の能力評価や業績の成果につき、使用者の恣意や評価基準そのものが客観性を欠くあいまいなものであったりするからです。また、多くの場合に数値目標が「成果」にされ、
それを達成すること自体が目的化してしまうとの懸念があります。その結果、労働者は数値目標を達成しさえすれば使用者に対してのアカウンタビリティを果たした、と考えられてしまいかねません。
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プロフィール
及川 勝洋(オイカワ ショウヨウ)
『地域連携プラットフォーム』に勤務の傍ら、某大学の研究所に所属。
複数の国家資格を有し、また『府省共通研究開発管理システム(e-Rad)』に登録され、研究者番号を有する研究者でもある。