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静かで暗い街を歩く 徹夜梅田探訪 下

0時 北新地~中之島公会堂

 終電がなくなり、いよいよ徹夜撮影の本番だ。まず北新地に向かった。以前訪れた昼間と同様、人通りがほとんどない。ただ、閉まっているクラブでもネオンが点いているので、怖さはそれほどない。飲み会と思われる5人ほどのグループが一組、女性スタッフと送迎するボーイ、道路工事の作業員、2人組の手ぶら青年、ランニングの恰好の女性。0時過ぎの北新地で見かけた人は以上だ。

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(0:04 北新地)

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(0:33 大江橋北側 スーツケースを引く女性は中之島を南に歩いて行った)

 中之島に足を向ける。通行人が少ないのはもちろんだが、ランニングの人が多い。中央公会堂周辺は緑が多いので、夜中でもビル群のような不気味さはない。正直、もっと異様な場所を選んで向かうべきだったと後悔もしたがしょうがない。

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(0:53 中央公会堂)

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 静かな街にも飽きたので音楽を聴くことにした。斉藤和義のプレイリストをランダムで再生する。エレキギターの緩やかなメロディが流れた。

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歌詞

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 井上陽水『傘がない』(1972年)のカバーだ。たまたま今の状況と重なったのか、それともいつの時代もそうなのかは分からない。

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2時 淀屋橋~堂島

 御堂筋に来た。信号が青になっても走り出す車がない。たまに数台がまとまって通り過ぎるが、その多くはタクシーとトラックだ。どこまでも続く信号機の点滅だけが、この場所がまだ機能していることを感じさせる。

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(1:41 淀屋橋)

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(沿道にある裸婦像 高村光太郎作 『みちのく』)

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(この1枚がこの日最も苦労した)

 淀屋橋の交差点で撮影しているとジャージ姿のカップルに話しかけられた。「何撮ってはるんですか?」。何と言われても困る。適当に返事をしたが、何だか帰りたくなってきた。人がいない街を撮ってどうというのだ。

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(2:19 淀屋橋から西側を撮影)

 フェスティバルタワーに来た。車も人もますます少なくなったが、朝日新聞社の窓は煌々と光っている。長時間露光で撮影していると、大都市の街灯の光は強いと感じる。地方の駅近くの商店街ではこうはいかない。街灯が近いと撮る際のフレアが気になるが、真夜中に歩く分には非常に心強い。

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(2:29 この道路は坂に沿って若干波打っているので色々と撮りようがあるが、この時はそんな暇も被写体たる車もない)

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(2:50 堂島 近くのコンビニはこの時も24時間営業だった)

3時 JR大阪駅周辺~曽根崎

 JR大阪駅まで帰ってきた。時刻は15時過ぎ、日の出まであと2時間ほどだ。時間が足りなくなるとは思ってもみなかった。

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 駅構内は閉鎖され、2階以上には行けなくなっていた。シャッターが下りた駅構内には清掃員の姿が見える。地下入り口はまだしも、JRの切符販売所や通路という空間まで閉じることは知らなかった。ルクアの2階外通路も、ヨドバシカメラへの夢の橋も閉鎖されている。案外自由に動けなかった。

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(3:17 JR大阪駅構内での清掃作業)

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(3:27 阪急とルクアを結ぶ橋の上)

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 JR大阪駅周辺、ところどころにホームレスと思しき人が座り込んだり、寝ころべなくしたベンチの上に無理に寝転んでいた。

 うめきた広場は、立ち入りはできるが、寝ころんではいけないという。巨大建築物の雄大さを感じたくて、寝ころんで開放感とすがすがしさを味わっていたら警備員に注意されてしまった。大階段を上がると2階広場も閉鎖されている。

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(3:40 うめきた広場)

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 撮るものは撮れたのでヨドバシ1階の通路を戻り、阪急へ。南下すると、誰もいないHEP FIVEを初めて見ることができた。

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(3:58 信号は動いているが渡る人はいない)

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 足早に阪急東通商店街方面へ向かう。驚いたことにこの時間から少し人がいる。全員男性で、一見キャッチのような風貌だ。少し進むと、6、7人の男性が円になって十字路に立っている。突っ切ろうかとも思ったが、朝の4時過ぎに、ほとんどの店が閉まる商店街にたむろするグループと考えると、少しリスキーなので回避する。物騒な雰囲気を感じたのだが、辺りはゴミ収集車が行き交い、おしぼりの供給トラックも出入りしている。繁華街の朝という雰囲気だ。

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(4:10 男性の奥に6、7人が円になっていた)

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 ここまで歩いてきて、人がいなくても、真夜中でも中之島や堂島で恐怖を感じないのは、広さと明るさとゴミの少なさだと感じる。周囲を見通せるなら、安全だと確認できる。ゴミがないことは秩序が保たれていることを意味する。逆に、狭い通路、ところどころ暗い路地、比較的汚れている道路、雑多な繁華街が怖くないのは、多くの人が行き交っているから。いつもは個性的なファッションの人、飲み会に勤しむ会社員や学生、どんな人でもいるが、飲食店が閉まり、一般の利用客が減った今、あぶり出される人もいる。この時期に、夜中に外に出る人、出るしかない人、その人たちが梅田でどんな雰囲気を感じているか、どんな場所で過ごしているか、ほんの少しのぞくことができた気がした。

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 商店街をそれると、ビルの隅に猫を見つけた。歩道を横切った先の植木にもう一匹。同じ柄なので兄弟かもしれない。上手く撮れないでいると、逃げられた。追いかけてみると、ビル下の階段下に水が入った容器があり、なんともう2匹いた。しかも全匹同じ柄。夜の曽根崎を生きる住民に会ったところで、空が白み始めた。

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(写真奥に1匹と、写っていないが少し離れてもう1匹がいる)

 信号を待っていると、酔っ払った若者4人グループがさっそうと信号無視をしていく。朝方とはいえ4車線の大きな道路だ。女性が「危ないって」と注意しながら聞く耳もたない先頭の男性は、焼きそば?をほうばりながらどんどん歩いていく。その後ろを男性2人が少しふらつきながらついていく。

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(この道路の信号無視はこの時間だからできたことだろう)

 偶然、同じ方向だったので後ろを着いていくと、地下への入り口のシャッターが開き始めた。4人はそのままのペースで通れるほどに開いたシャッターを抜群のタイミングでくぐっていく。慣れているのか、またもや夜の住民と出会った気分だった。

5時 阪神百貨店橋の上

 阪神百貨店前の巨大歩道橋に到着。東を見ると、すでに朝焼けが見える。さきほどから小鳥のさえずりが聞こえるのは、録音なのか、本物だろうか。とにもかくにも朝が来た。

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(4:47 左が阪急)

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 空がじわりと明るくなり、反射してビルが光り出す。ゴーっという都市の音が大きくなり、車も人も増え始めた。一晩を乗り越えた感慨にふける。暗闇が消えていく様はやはり爽快だ。

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 さあホテルに帰って寝よう。 

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(5:28 梅田新道)

帰路

 書く気力がないので写真でお伝えする。

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(11:16 曽根崎お初天神商店街)

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(11:25 梅田地下)

反省とあとがき

 それなりに楽しかったが、写真であれば撮影スケジュール確認、取材ならインタビューはやはり必要だったと反省している。印象的なのは都会らしからぬ静かさだ。話し声も、人の足音もない。換気扇の音と、時折車の走行音がする程度で、茶屋町辺りはその静けさも相まって不気味さが強化されていた。

 人の消えた大都市はコロナ禍を象徴する風景だと言える。大都市と言えば、筆者はどちらかというと富裕層の活動領域というイメージがあった。巨大なオフィス街や高級ホテル、ブランドショップが並ぶ場所は確かにそうだと言えるが、大都市には商店街、歓楽街もあるし、巨大なビル内には単純労働者も働いている。実際、大都市を構成する人の多くは中・低所得者だ。

 これまでにも指摘されている通り、在宅ワークができない人は飲食店員、コンビニ、接客業など。そして現場で働く人の雇用や収入面は不安定な傾向にあり「人の消えた大都市の風景」が意味するのは、そういった生業の人たちが、感染リスクも経済面でも最も打撃を受けているという事実だと思う。同時に、コロナ禍を気にしない人、感染を気にしていられない人も、その中にいる。

 井上陽水『傘がない』は、社会の大事に目をそらし、自らの大事を優先する様を歌う。反知性主義と親和性が高いようにも思えるが、その利己的な部分こそ人間の根本だと改めて実感する。筆者に「逢いに行く君」はいないが、代わりにカメラがある。別の人にとっては「家族」や「受け継いだ店」、「収入源」かもしれない(「収入源」の人は、生活の根本を守るという意味で分けた方がいいかもしれないが、その仕事に金を落とすのは不要不急の行動をする人でもある)。やたらと不要不急という言葉が飛び交い、「社会のための行動」が求められる今、この曲が良いタイミングで聞こえてきた。

 また徹夜で歩こうと思う。難波あたりが良いだろうか、誰か連れが欲しいところだ。ここまで駄文を読んでくれた、あなたが、したいと思えば徹夜探訪は不要不急ではなくなる。是非検討してみてほしい。

(文・写真 有賀光太)


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