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【細野さんへ:156ページ目】ちょっと反論してみます


前回の投稿では、場所ごとの違う顔(一面)を「ペルソナ」と捉えるか、分人と捉えるかで意見が分かれましたね。

※実際平野さんもTwitterで「分人はペルソナとは違う」と明確に仰ってます。「分人」はユングのいう内と外というような「二元論」や「役割論」を批判的に克服しようとしている、という主旨なんですね。

今日はこの2つの意見を、自分なりに掘り下げてみようと思います。


まず、分かりやすいように例を挙げてみますね。

山野翔さん(40)さんは1児の父、かつ営業チームをまとめる部長。

平日は厳格なマネージメントを行う一方、休みの日は子どもにメロメロ。そんな2つの顔を持つ山野さんですが、

●厳格な一面も、メロメロな一面も山野さんである、というのが分人主義

●どちらかが本来の自分で、どちらかがペルソナ(仮面)というのがユング心理学

一応こんな捉え方してますが、合ってますかね?


たしかに、細野さんが言う通りどちらの自分も自分であることに変わりはないように思います。メロメロな自分も、厳格な自分も。

だけど、もし(本来とてもやさしい)山野さんが厳格であり続けることに疲弊し、心を病んでいるとしたらどうでしょう。

「ペルソナ」は、『周囲からの期待』をベースに形成されることが多いようです。山野さんが自分の意志とは無関係に、(あるいは無意識的に)厳格であるべきという『べき論』のみで動いてしまっているとしたら、それは「ペルソナ」であると言えるんじゃないかなと思いました。


そう考えると、そのときの「自分」というものに、きちんと自分の意志が介入していれば分人的な自分と言えるし、盲目的に周囲からの期待のみをベースに作ってしまった自分はペルソナ的な自分になりうるんじゃないでしょうか。

この辺り、細野さんはどう考えますか?

議論になってきて嬉しいです^^



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山崎 将吾|ライフキャリア
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