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「勝浦川」その2.お鶴さん

喜平は考えていた。

喜平の家は、雲早山を源流として上流の上勝町から流れてくる勝浦川と、棚野村を源流とする坂本川が合流するところに在る。

喜平は、家の前に出した縁台に腰を下ろして煙草盆を引き寄せた。刻み煙草を適当な大きさに丸め雁首の火皿に詰め、煙草盆の炭火に雁首を近づけて一口喫った。
吐いた煙の向こうにお鶴さんの山脈が見える。

鶴林寺(かくりんじ)は、四国八十八箇所霊場第二十番札所で「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称される難所の霊場の一つで「遍路転がし(へんろころがし)」と謂われる急傾斜の参道を登ってゆく。

喜平は総領息子ではなかった。
実家を出て小作を始め少しの畑と炭焼きと土工の仕事を生業に四人の息子と二人の娘を育てた。
総領息子の名は丈三郎というが、名をみて判るとおり喜平は幼い息子を二人亡くしていた。

丈三郎は名の示すとおり丈夫な体躯を持ち、気持ちの優しい男で無口な性格だった。そんな丈三郎にも、やがて嫁をとらせなくてはならないだろう。
しかし、小作としては頑張って小作料を支払ってきたが、年頃になるこの大所帯を食わせてゆくには畑も狭く稼ぎが少なかった。

「いっぺん台湾に行ってみょうかぁ・・・」
喜平は、五服目の煙草の灰を煙草盆の灰吹きの縁に叩き落してつぶやいた。


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